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首都ゼラートでテルミナ金貨を使い馬車をこしらえ、北西の港町目掛けて今日も旅は続く。御者はジンが請け負ったので、ナオミとレナ、キャンディスとクリスティが寝込んでいるリアムと共に乗り込んだ。港町からミルナ島北端のエルフの集落までは船の移動になるが、どうやらそれ程距離がある訳ではなさそうだ。
「この森と丘を越えれば港町だろう。キャンディス、召喚獣に死の秘宝を使えば元の姿に戻るのか今の内に試してみないか?」
ナオミはサファイアの如き瞳を馬車の中でキャンディスに向けた。窓がないので陽の光が入らず薄暗かったが、馬車での移動はやはり快適だった。
「キマイラは元々マチスさんとイザベルさんの幻影だもんね。二人をパーティーに迎え入れたら心強いかも」
「それだけじゃない、あのドラゴンがいる。再び竜騎士になれたらきっと皆んなでファントムを倒せるさ」
と微笑んだ。だがそうなった場合キャンディスの召喚獣がグリフォン、ゴーレム、そして新たに加わったらしいリヴァイアサンの三体だけになる。究極融合体である「全てを越えし者」の召喚には更にもう一体魔物を加える必要がある、とキャンディスが言った。その時だった。
馬車が止まった。降りてみると狼の毛皮を着た少年が立っていた。
「アルクじゃないか!」
それが自分の第一声だった。ジンやキャンディスがそれに続く。
アルクはナオミの実の弟で、マチスとミルナ島の深き森で争った際に命を落としたのだが、幻影として姿形を残しているのだった。
「でも何で……」
「この毒ナイフの餌食になりたくなかったら食べ物をよこしな!」
とナイフを翳す。そう言えばアルクは今アンデットなのだが、そんなもの金の粉を振りかければ関係ない。死の秘宝をまぶされたアルクは見る見るうちに大人しくなっていくのだった。
「幻影としてエルフの集落に現れた際に、漁師と仲良くなって船に乗り込んだは良いけど嵐にあって港町に流れ着いたのさ。
そこで乞食をしてたんだけど、とうとう追い出されて森と丘で生活してた。
そこで見覚えのあるドワーフが馬車を操縦しているのが目に止まったんだもの。全く運が良かったぜ!」
「それにしても幻影の呪いは北のサルデア王国でも広がりをみせてるんだな」
とレナ。地理にあまり詳しくない彼でも事態の深刻さを受け止めているようだ。
「この辺りで有名な魔物は?是非キャンディスの仲間にしたい」
ナオミは馬車からパンの入った袋を取り出し、アルクに差し出して言った。
「この辺りで有名な魔物と言えばベヒーモスとそれを喰らうグレートデーモンしか居ない」
「グレートデーモン?聞いたことあるわね」
クリスティが腕を組んで言う。隣にいるジンも険しい表情だ。何しろグレートデーモンはあのベヒーモスを餌にしているわけだからな。
「今日は此処で皆んなで昼ご飯にしない?マチスやイザベルにも早く会いたいし」
「分かった」
キャンディスの提案に対し頷き、テントを広げる事にした。草が生い茂るこの丘での食事は中々乙なものだ。
テントを広げ終わり、鍋にシチューの材料を入れているとキャンディスがドラゴンを召喚している所だった。久しく目にした赤い竜は「グオオオオ」と空高く飛翔する。だが召喚士であるキャンディスの命令で直ぐに下に降りてきた。
続いてキマイラの召喚。ライオンの頭部をした黒と黄色と赤の折り重なった美しき獣は、丘の上で雄叫びを上げた。
アルクが「スッゲーや」と声を上げているのが分かる。
ナオミは其々に金の粉を振りかけ、幻影の呪いを解いた。するとドラゴンはナオミを識別すると同時にその鼻を彼女に擦り寄せてくる。マチスとイザベルも無事元の姿に戻り、ナオミとの再会を喜び合う彼らが其処には居た。
これでパーティーは九人になった訳だが、グレートデーモンと戦えそうなのはリアムを入れても六人だけだった。ただ回復が使えるイザベルが後衛にいるのは心強い。
昼ご飯を食べ終え、レナはマチスに槍を習う事になった。またリアムも起き上がり事の経緯を説明しながら昼食を振る舞う事で彼も仲間に加わった。
「なんか仲間が増えて嬉しいですわね」
「イザベルは何故死んでキマイラに?」
「マチスに対する恋心といったものかしら。彼は私を顔で判断しない珍しいタイプの男性だったから。でも死んで一つになるって素敵じゃない?」
恋か……。ナオミは真剣な表情で槍を習うレナの方を見た。
「どうかした?」
「いや……何でもない!」
とナオミ。イザベルが隣でフフッと笑った。その横ではジンが急にシチューを食べようとするリアムの体調を心配していて、その更にに横の樹の陰ではキャンディスとクリスティが談笑している。
(幸せだな……)
これから化け物と一戦交えるというのに呑気なものだが、今日は闘いを忘れようかと思うナオミだった。
だがその時は突然訪れる。
紫色の身体をした体長十メートルの怪物。その足音で地面は騒ぎ立ち、木々は揺れひしめく。
グレートデーモンの登場である。森の奥から姿を現したそれは正に絵に描いたような四本足の悪魔で、真紅の瞳がナオミたちを見下ろした。
「ドラゴン!合体だ。竜騎士の鎧姿になって奴を倒す」
契約者であるナオミがクリーチャーに呼び掛ける。
またキャンディスは「ゴーレム」を召喚し、ジンやアルク、クリスティを戦いの巻き添えにさせないようにした。
戦いの火蓋は切って落とされた。リアムの弓が、見上げるような怪物の頭部に命中していく。また喧嘩っ早いレナはもう駆け出していた。アンドロスピアによる一撃を相手の右脚に負わす。
「ナンダ?ハエデモトマッタノカトオモッタゾ……」
グレートデーモンは人語を操れる。つまり知能も高いというわけだ。ナオミの血が騒ぐ。
ドラゴンを鎧として身に纏った竜騎士ナオミは、その跳躍力で空高く舞い上がった。遥か上空から下へ串刺しにするつもりだ。
地上ではイザベルが補助魔法「鬼人化」を唱えていた。恐らくマチスへの援護だろう。
ナオミは右手にザンガ、左手にガイキを携え対象の頭部に向けて斬り込みを入れた。かに見えたがグレートデーモンの大きさは想像を絶するものだった。あんぐり口を開いたデーモンに、ナオミはそのまま食べられてしまった。
*****
気付いた時、ナオミはグレートデーモンの腹の中にいた。ドロドロした胃液の様なものに浮かんでいるが、このまま消化されて生涯を終えるのだろうか。
(ドラゴンの鎧を纏っていたのが不幸中の幸いだね。どうやら死なずに済んだ)
誰が心に語りかけてきているのかと思えば人狼ルシドだった。鎧に残った僅かな思念が、今更ながらもナオミに囁いてくる。
「私はこんな所で死ぬ訳にはいかない。ファントムを倒し、世界を救うんだ」
(ほらまた他人の為に戦ってる。レイヴンの死に際の言葉を忘れたのかい?)
レイヴンは「君は自分の為に生きるべきだ」と言っていた。確かにそうなのだが……。
(君は今までずっとこの汚い世界で他人の幸福の為に生きてきた。でももう自分を許してやっても良いんじゃないか?)
「……何が言いたい?」
(炎の剣技「炎帝」風の剣技「迅竜」氷の剣技「氷結」土の剣技「桜花」光の剣技「閃光」そのどれにも属さない新技その名も闇の剣技「邪鬼」。心を鬼にして習得してみないかい?)
なるほど……。闇の力を解放するには自己中心的になれという事か。良いだろう、ここで闇の剣技を習得し外に出てやる。
(駄目駄目。もっと闇に染まらなきゃ「邪鬼」は放てないよ。それに僕はその先の最終剣技が見たい)
「最終剣技?」
六つの剣技を習得したもののみに許される究極奥義。シンバが一言零していた気もするが、確か技の名前は「虹」。
「その技を使えばデーモンを内側から倒せるか?」
(ほぼ間違いなく。ただリスクも否めない。一つ言える事はその技を放たないと貴方の未来はないという事)
「分かった」
呟き、名剣ガイキを抜いた。先ずは「邪鬼」から。「氷結」の方は常闇の神殿でのカイザとの戦いで学び、得意な氷技なので使いこなすのは容易いだろう。闇をイメージし、心を鬼にする。
「覇!」
飛び上がり、水しぶきが上がった。デーモンの腹で一生を終えられるか。
紫色の光がブーンとガイキを覆う。よし、この感じだ。空振りはしたが、一応技は成功した様だった。再び重力に逆らえず胃液の中へ。さてこれからである。
(流石シンバの弟子と言った所……さあ後は虹色の力を解放するのみ!)
(私は……もう一度レナに会いたい!)
炎、風、氷、土、光、闇、全てを解き放つ。
(私はもう一度……レナに会いたい!)
二度目の挑戦で究極奥義は発動した。時空が捻じ曲がったような錯覚と剣先から放たれる虹色のオーラ。光り輝くそれは触れたもの全てを歪ませていく。
「くっ……」
ガイキを持つ手が耐えられなくなって離したが、あの英雄グレンの「大審判」に勝るとも劣らないであろう究極奥義「虹」は確実にグレートデーモンの体を蝕んでいった。オーラに触れた所からみるみるうちに消えていく。やがてデーモンは「コノワタシガ……ヘラサマァ!」との声と共に絶命した。だが呼吸が荒いのはナオミブラストも一緒だった。「虹」のオーラに触れ、身体が焼け爛れそうなのだ。
森を抜け息を切らしながら丘に登った。そしてそこで見た光景にナオミは絶句した。
血塗れになって死んでいる仲間たち。グレートデーモンの仕業に間違いなかった。前衛で戦っていたレナやマチスは勿論、ゴーレムの影に居たはずのアルクたちまで皆完全に息絶えていた。
「ぐっ……皆んな……私が帰ってきたんだよ?何で起きないの?」
レナを揺さぶるが返事はない。
「そうだ、また幻影になっても死の秘宝で復活させれば」
懐に手を伸ばすが、死の秘宝の入った袋は先程の最終剣技の効果で溶けきっており、粉はばら撒かれてしまっていた。ナオミ自身の意識が朦朧としてくる。
「レナ……有難う。私の枯れた戦いの人生に水をくれて」
そう言い残し、覆い被さる様に息を引き取った。遠くで狼の遠吠えが微かに聞こえた気がした。
ーー
一面真っ白な世界だった。自分を此処へ連れてきたという事は本当に死んだのだな。うつ伏せになっていると何者かが正面で立っているのが分かった。
「私だ。女神サルデアだ。目を覚ましなさいナオミブラスト」
聞けばシンバの実の母親らしかった。何故その事をシンバが隠していたかと考えれば、恐らく女神の娘でなく母代わりとして見て欲しかったからだろう、とナオミは思っていた。
起き上がり、膝を抱えて座る。女神サルデアは青白い光で眩かった。だがかろうじて人型なのだと分かる。
「この世界が何故、想像世界と呼ばれているか知っているか?この世界は冒険者グレンの夢の世界なのだ」
冒険者グレンの夢の世界?だから我々には魂が宿っていないというのか。
「レナという青年を元の現実世界に戻すには想像世界を終わらせるしかない。グレンの思念体を倒せばレナの魂は戻るが」
女神は一旦溜めて言った。
「我々は消えて無くなる」
つまりレナとは一生会えないという事か。
「我々だけでない。草木もサルデアの城も世界そのものが無くなる。それでも良いのなら、グレンの夢想空間に案内するわ」
どっちにせよレナと会えないのだったら、この世界ごと終わらせてやる。そしてレナには幸せになって欲しい。レナには帰る場所があるんだ。
「どうやら決心したようだな」
微笑み、クルクルと杖を振るう女神サルデア。飛ばされるのはグレンの思念体が待つ場所。最後の戦いが始まる。
*****
冒険者グレンの夢想空間。其処は紫色のクラゲの上を渡り歩くような場所だった。神秘的な雰囲気を醸し出す螺旋状に並んだそれを、どんどん駆け上がっていく。
思えばレナと出会ってからこの世界への見方全てが変わった。以前の自分ならカードゲームであんなに気持ちが昂ぶならなかっただろうし、アギトのような盗賊にも良心があると気づかなかっただろう。そしてこんなにも男性を愛する事も無かっただろう。
もう会えないなんて嫌だ……。でも想像世界を終わらせるという事はファントムも消えて無くなるという事。グレンの思念体を倒さない理由はない。
最上階。グレンは待っていた。すっぽりフードを被っており顔が見えないが、魔力はとんでもなく高いと覚悟しておいた方がいい。
「………………ナオミブラスト……」
「悪いがこの世界を終わらせにきた」
「そうかミルナの片割れサルデアから聞いたか。ミルナは私の妻。彼女の人格が二つに分裂した際に、現実逃避に陥った私はこの想像世界を創った。そう、この世界は私の頭の中の世界が具現化したものだ」
「……なるほど。それが創造神と崇められるミルナの正体か。まあいい。私は剣を抜くぞ」
名剣ガイキを構えた。もう覚悟は決まっている。
「この世界で私やミルナに物理攻撃は通用しない。特に愛のない錆びれた攻撃は」
とグレンは念力を唱えた。衝撃波がナオミを襲い後方に吹き飛ばされた結果、クラゲのようなものから落ち真っ逆さまに下へ下っていく。
グオオオオ……!
ナオミの鎧が剥がれ赤き竜が現れた。ドラゴンに乗り致命傷を避けたナオミは、そのまま最上階へと舞い戻った。が、
「邪魔な竜だ」
とグレンが氷属性上級魔法「アブソリュートゼロ」を唱えるとドラゴンはカチカチに氷漬けになってしまった。これで竜の鎧を纏えない。万事休すである。
(やはりここは「虹」しかない!)
ルシドの思念体がナオミに語りかけてきた。
気付けば白いぼんやりとした思念体が幾つもナオミの周りを取り囲んでいる。
(お姉ちゃんはこんな所で負けない)
キャンディスの声だった。思えばいつも自分の事を信じてくれた。
(俺が認めた唯一の強者それがお前だ)
(頑張ってナオミ。私達は貴方の味方よ)
(おいら途中から気付いてたんだ。ナオミがおいらの姉ちゃんだって。ほんとに嬉しいぜ)
(負けるなナオミ。例え世界が終わろうともお前の伝説はお前だけのものだ)
(貴方の負った傷、誇りに思うべきだと私思う)
(お前はアタイの自慢の弟子だ。持ち前の剣術センスでぶっ飛ばしちまいな)
(ナオミちゃんなら出来る!)
皆んなの声が聞こえる。負けない……負けられない。
(全ての感情を解き放つ、最終剣技「虹」!)
剣先から六色のオーラが放たれ、夢想空間はそれに侵食されていった。
「くっ私が消えて無くなる。こんな事があってたまるか……」
グレンが消えて無くなる。やがて夢想空間と想像世界との境目がなくなり、城、村、山々が次々に消えて無くなる光景が遥か上空から見下ろすナオミの目に映った。そして見れば自分自身も消えかかっている。
「ナオミ、消えちゃ嫌だ!」
気付けば現実世界の海辺の道路の上でパーカー姿のレナと二人っきりだった。空には大きな虹。風が髪や人狼の鎧を靡かせる。でもこれは定め……。
私はグレンやミルナの「作った」オモチャに過ぎない。魂は……無いのだから。
「また……会えた。良かった。君が幸せでいてくれたら私は嬉しい」
「ナオミ!」
レナが駆け寄り最後の抱擁を交わす。彼の腕の中で自分が消えていく。
「そうだ今日誕生日なんだろ!?何が欲しいハンバーガーか?そんなもん直ぐに買ってきてやって……」
と肩に手を置いて言うが、ナオミは俯き顔を横に振った。
「……初めて見たときから他人の様な気がしなかった。例え私が消えて無くなっても心は繋がってるよ」
「……………………ああ」
それが最後の言葉だった。口付けを交わしたナオミがバラバラになり、風に身を任せて消えていく。
「さようなら」
それがレナが人前で見せた最初の涙だった。