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プロローグ
ミルナ島。かつての妻の名前から取った名だった。
五十八歳になったグレンは、自身の魔力の低下をひしひしと感じていた。今思えば「あの人」は妻の片割れだったに違いない。ならば今彼女に出来る事は島の脅威であるサタンを封印する事だ。
ドワーフたちが住む山の頂にサタンは立っていた。
「ワタシに何か御用で?」
男か女かも分からない声だった。
だが今日決着をつける。既に島に来て三十年近く経っていたが、グレンは最上級魔法を試そうとしていた。
「大審判」。捨て身の禁術であるそれは魔術のスキルを最大にまで高めた者にのみに許されるものである。
銀の「グインロッド」を駆使する。この二十八年の間に制作にその力を注いできた金の「グレンウォンド」は既にエルフの集落に隠してある。
「ハアアア!」
天は割れ、稲妻が降り注ぐ。ミルナよ、いつかまた会おう。心の中でそう呟き、杖を地面に突き刺す。
無数の魔法陣がサタンの足元に現れる。
「コ、コレハ……!」
時既に遅く、サタンは身動きが取れない状態だった。この命が尽きようとも貴様をここで封印する。
次の瞬間、サタンは石ころに変化していた。
視界が次第に暗くなった。
「せやっ!」
相手の首が血しぶきをあげながら飛ぶ。
残った胴体は馬に乗ったままだった。
一羽の烏が、瞬く間に空に羽ばたく。
この村に用はない、そう思っていた。
でも来てしまった。
あの別れ道でたまたま木の枝が左に倒れたから。
それだけの理由でナオミは決して安全とは言えないアラモ村へと進み、盗賊団と出くわし現在に至る。
「てめえ、何者だ!女のくせに剣なんか振るいやがって」
盗賊の一人が仲間の死に困惑して尋ねる。若干怯えているようにも見えた。
「ナオミブラストだ。冥土の土産に教えてやる」
ナオミはそれだけ言うと、手綱を引き方向を定めた。
盗賊には容赦しない。
「駄目だ、逃げろ!こいつ只者じゃない!」
三人の内の一人が言った。
どうやら黒馬に跨るこの男がリーダーらしい。
『インパクト!』
風を手の平から放出した。
一種の魔術である。
風を受けた三人の盗賊は馬から転げ落ち、泥濘にその身を打ち付けた。
ーー弱い。
王の統治が行き届いていないとは言え、この程度の盗賊も追い払えないのか。
ある意味とんでもない村に来てしまった気がする。
ナオミは馬から素早く飛び降り、剣先を怯え顔の盗賊たちに向ける。
「お前たちはこの村で何人殺した?正直に言えば見逃してやらなくもない」
「さ、三人だ。死にかけのジジイとその孫らしき娘、あと奴隷のような恰好をしたエルフ、それだけだ」
「そうか。孫娘は売り払わなかったか」
「ああ。俺の手を噛みやがったからな」
「最後の質問だ。エルフは何故殺した?奴隷だから金は持っていないはずだぞ」
「ストレス発散だ。分かるだろ、エルフは試し斬りに持ってこいだ」
そこまでだった。
ナオミの剣は男の肩を捉えていた。
薬草を懐から取り出し、男に見せて言う。
「これでお前を生かしてやる。代わりに盗んだものを返せ。そして村には二度と手を出さないと誓うんだな」
そう言うとナオミは剣を鞘に収めた。烏が、悠々と空を舞っている。
盗賊たちが去るのを見届けた後、ナオミは民家の戸を叩いた。
おそるおそる戸を開けたのはドレッドヘアーの男性だった。
「私は旅人、ナオミブラストだ。一晩停めてくれ」
聞けばこの男が殺されたエルフの所有者だった。
家の中は質素で奥にはベッドに寝込む妻らしき女性がいた。
「私の名前はリアムです。旅人には水さえ渡せないほど、貧困に喘いでいます」
「じゃあ、何故奴隷を?」
「実はエルフの方から『奴隷になりたい』って言ってきたんですよ。よほど食う物にも困っていたんでしょう。でも貴方はそれを許さないでしょうな」
「気づいていたか」
「一目見ただけで分かりましたよ。貴方は恐らくハーフエルフ。今まで差別に苦しんだことは心から同情します」
同情という言葉を無視し、ナオミは奥に寝そべる女性に目をやった。
「彼女は私の妻です。もう一年以上外に出ていません。病気なんです」
リアムの妻は痩せ細っていた。
目だけはあやしい光り方をしている。
「流行病だな。医者を呼ぶには、大金が必要になるだろう」
その時、腹から血を流した老人が、家に入ってきた。
「旅の者よ……。儂の命が尽きるまでに話を聞いてくれ」
どうやらこの村の長のようだ。
「儂が隠し持っていたこの財宝の地図を、其方に託そう。儂はこう見えても、偉大な冒険家の息子。見事財宝を見つけ出し、村を疫病から救ってくれ……」
その言葉を最後に、老人は息を引き取った。
「財宝か……。見つければ幾万の命を救えるだろう」
ナオミは長い黒髪を靡かせながら言った。部屋に入る風が冷たい。
「リアム、一つ聞きたい。あの馬の持ち主は分かるか?」
ナオミは外にいる黒馬を指して言った。
「あ、あれは殺されたエルフが所有していたものです」
「私に譲ってくれないだろうか?」
「ええ、結構です。確かにあの馬は走るのが速そうですよね」
速いだけじゃない。
恐らくスタミナも桁外れだ。
あれほどの馬は、王に仕える騎士でも持っていない。
「お前の名前はゼオにしよう」
ナオミがその背中に触れても、黒馬は嫌がる素振りを見せなかった。彼女が乗り手に相応しいと認めた証拠だ。
家から出てきたリアムが口を開いた。
「私は死んだ三人のお墓を作るとします。ナオミさんはこれからどうなさるおつもりで?」
「ひとまず森を抜けて、私の故郷にいる『師匠』に会いに行くつもりだ。彼女なら力を貸してくれるだろう」
手持ちの銅貨は三枚。この村では薬草も満足に買えそうにない。
ナオミは村の商人に会うのを諦め、リアムを手伝うことにした。
ーー
夜。火が暖かい。
「ナオミさんは何故人のためにそこまで尽くしてくださるのですか?」
リアムが隣に腰を下ろして言った。
「私は一度死んだ人間だからだ。幼い頃川で溺れそうになったところを、見ず知らずの青年に助けられた。彼は私の身代わりとなり、死んだのだ。それがきっかけで人助けの旅をしている」
ハーフエルフはパチパチと燃え盛る炎を眺めながら言った。
「この村は必ず助け出す。故郷に似た人の優しさがあるからな。首都マゼラには優しさはない」
それを聞いたリアムはおいおい泣き出した。
「あ、ありがとう……こざいます。ナオミさんが帰ってくるまで、全員で生き延びてみせます」
「ああ。……しかし、可愛い少女だったな。七歳だったか?」
「ええ……。村長の孫娘です。踊り子になるのが夢でした」
「何故もっと早く助けに来れなかったのか……。後悔の念でいっぱいだよ」
ナオミは呟き夜空を見上げた。
明日の今頃は、森で野宿か。
自分も、いつ死んでもおかしくない。
相談の結果、村長の住んでいた家で寝ることになった。
寝付けないので、一人剣を磨く。
ナオミを助けた青年が残した剣だった。
ーー
あの日は雲一つない快晴だった。
グレンソールに、師匠と二人で暮らすナオミは、剣術に明け暮れていた。
自分ならゴブリンでも一撃で倒せると豪語していた彼女は、一人村外れの砂地に出かけた。
緑色の皮膚、手には棍棒、黄色い歯。
これが悪者の姿だと信じていた。
人さらいに遭うまでは。
エルフと人間のハーフであるナオミは、砂漠で奴隷商人に遭遇した。
「これは上玉だぜ。早いとこ売りさばこう」
言葉の意味が分からなかった。
だが抵抗した。
敵の腕を斬り、腹を突いた。
だが相手は五人。多勢に無勢だった。
相手を怒らせたナオミは散々弄ばれた挙句、手足を縛られ濁った川に投げ捨てられた。
生まれて初めて死を覚悟した。
そして助けられた。
青年の顔は今でもはっきりと覚えている。
黒髪、そばかす、一重まぶた。
王子様には程遠いはずの彼は、ナオミの中の英雄となった。
だが、彼はナオミを助けて溺れ死んだ。
生まれて初めて涙を流した。
好きな人に「糞エルフ」と言われた時にも、流さなかった涙だった。
旅に出よう。
自分も人を救える存在でいたい。
そうなるためには、もっと強くならなきゃ駄目だ。
魔術も学ぼう。
これ以上、大切な人を失いたくない。
差別にだって負けない、
男の人にだって負けない、
怪獣や、悪魔にだって負けない、
強い魔導剣士になる。
そこに救える人が一人でもいたら、
力になってあげられる
そんな強い女性でいたい。
ナオミは青年の残した剣を背負い、
自らの足で歩み出したのだ。
ーー
剣を抱えたナオミは、いつしか眠りに落ちていた。
決して忘れられない思い出と共に。
*****
魔術「インパクト」を受けたオオカミたちは放物線を描いて宙を舞い、やがて地面に転がり落ちた。
ナオミが剣を構える。
「怪我はないか?」
「あ、はい……」
壊れた馬車の傍で倒れこむ少女を一瞥し、ナオミは動いた。
獣を殺すのは久しぶりだ。
「せやっ!」
一瞬で二匹のオオカミを斬る。
目にも留まらぬ早業だった。
乾いた草木がすぐさま血に染まる。
残る一匹には最近習得した剣術「閃光」を見舞い、止めを刺した。
一瞬の消えたかにみえたナオミの動きに、少女は唖然としている。
「家まで送るよ。方角は分かるか?」
普段クールなナオミが、いつになく穏やかだった。相手が幼い少女だった事が関係するのだろう。
「私は首都マゼラから来ました。『闇のエッセンス』を探しに……」
少女は金髪だった。
頬が果実のように明るく、それだけに若く見えた。
「闇のエッセンスは武器の材料だな?この近くのダンジョンで採れると聞いたことがある。しかし、かなり危険だぞ」
「はい、兄と一緒にこの森に来たんですがはぐれちゃって……。私たちはこれでも一端の鍛冶屋なんです」
「なるほど。では私にもあの暗黒剣とやらを作ってもらおう」
ナオミが冗談交じりに言った。
少女を黒馬ゼオの背中に乗せた。手綱を持つナオミの後ろに、である。
聞いた話では闇のエッセンスを取り入れた武器は悪魔の力を帯び、性能は飛躍的に向上する。
そして人はその剣を暗黒剣と呼ぶ。
「キミの名前はなんという?」
「キャンディスと言います。十五歳です」
「若いな……」
二人は鬱蒼と茂る森の中を、徐々にスピードを上げて進んで行った。
「お姉ちゃんは何のために旅をしているの?」
「今はある人のために財宝を探している。恐らく金貨千枚以上の価値のある財宝だ」
「マゼラに寄り道していいの?」
「構わん。キミを助けるのも同じくらい大事さ」
ダンジョンの前に着いた。早くも地図が役に立ったと言える。
後ろのキャンディスが固唾を呑むのがはっきりと分かった。
「お兄ちゃんが中にいるかもしれない」
「一緒に来るか……?」
彼女が頷くのを確認した後、ゼオの首を軽く叩き、ナオミは落ちていた木に炎を灯した。
唯一ナオミが心を許す雄馬が、ブルルッと身体を震わせる。
今までナオミが乗りこなしてきたのは全部雌馬だった。
「行って来るよ、ゼオ」
ーー
ポツリと雫が滴れるのが聞こえる。
ナオミはいつ魔物が現れてもいいように剣に手を添えている。
しかし中腰はキツイ。生まれて初めて己の身長の高さに悩まされた。
キャンディスが口を開いた。
「この洞窟、誰かが意図的に造ったみたいだよ、例えばドワーフとか……」
確かにそうかもしれない、とナオミは思った。
道は背の低いドワーフに丁度良い大きさだ。しかも壁の所々に奇妙な文字が刻まれている。
「こ、これは……!」
頭蓋骨が落ちていた。
形から人間のものと分かる。
この付近に生息するオオカミの仕業だろうか。
ナオミの脳裏に嫌な憶測が生まれる。
「道が広くなってきた。近いぞ」
松明をキャンディスに渡し、剣を抜いた。
そこは正方形に縁取られた空間だった。
僅かに日の光が差し込んでくる。
中央には石碑のようなものが置いてあった。文字は読めない。
「あった……!闇のエッセンスだ……」
石碑の上に埋め込まれた紫色の石。
キャンディスが嬉しそうにそれを手に取った、その時だった。
地響きと共に四方の石像が動き出す。一種の罠だったのだ。
四体の石でできた騎士は各々武器を構え、ナオミたちを囲む。
「はっ!」
ナオミはクルクルと回転し、四方の敵に斬撃を喰らわせた。
剣術「桜花」である。
しかし、先程の「閃光」に続く大技で、ナオミの体力は著しく低下していた。
オオカミごときに試しに使用した己の愚かさを自嘲する。
しかしそれは、緊迫した戦いを喜ぶ笑みでもあった。
怯んだ隙に一体の首を飛ばした。
あと三体。
「お姉ちゃん、後ろ!」
キャンディスの声が洞窟に轟く。
剣がナオミの背後に迫り、その肩を抉った。
鮮血がその肩口から滴り落ちる。
更に左方から槍を持った石像がここぞとばかりに追撃する。
ナオミは気力を振り絞り、魔術「リジェクト」を発動させた。
オレンジ色の眩い光が彼女を包み、攻撃をはじき返した。
「キャンディス!今だ、逃げろ!」
必死だった。
万が一自分が死んでも彼女だけは助かって欲しい。
息が切れかけてきた次の瞬間、ナオミは安堵の表情を浮かべた。
ドワーフである。
それも一人や二人ではない。
合計九人のドワーフが奥から駆けつけたのだ。
ドワーフたちは勇敢に石像の騎士たちに攻め込み、ナオミたちは救出された。
「早く闇の石を元の場所へ!」
年長のドワーフがキャンディスに叫ぶ。
しかし、周りは敵だらけでなかなか中央に戻れない。
それを見たナオミは石をキャンディスからひったくると、疾風のごとき速さで移動し、見事石碑の上に闇の石、別名闇のエッセンスを置き直した。
すると石像の騎士たちはピタッと動きを止めた。
洞窟は再び静寂に包まれた。
「……入口付近に死体があったな。あれを詳しく見てみよう」
「まさか、あれがお兄ちゃんだと言うの?」
ナオミは少女から目を逸らした。あの死体は最近のものだ。
そして、オオカミに食われたに違いなかった。
死体の傍に埋もれる首飾り。
先程は暗くて見えなかったが、茶色い衣服がビリビリに引き裂かれている。
「…………」
少女の涙が何を意味するか。
ドワーフたちもため息交じりに肩を落としていた。
ーー
外にいるゼオにはドワーフ族特有の結界を張ってもらい、今晩はドワーフたちの洞窟に停めてもらうことになった。
洞窟の奥は何部屋にも別れており、十二人のドワーフが生活していた。
「しかし、驚いた!ここ五十年間、石像を破壊できた人間は見たことがなかった」
「あれは悪魔の罠。遥か昔から闇の石を守る」
ドワーフたちは口々に告げる。
ナオミはご馳走してくれた兎の肉を頬張りながらも、内心キャンディスを心配していた。
はっきり言って、彼女はまだ家族の死に耐えられる年齢ではない。
(家族か……)
ナオミは天涯孤独だった。
ただ、父親はエルフだったと聞かされている。
幼い頃から剣術に明け暮れ、あの日を境に旅立った。
今だにカナヅチではある。
「この中に鍛冶屋はいるか?」
ナオミは思い立ったように言った。ドワーフ族といえば優秀な鍛冶屋が多いイメージだ。
「俺が鍛冶屋のジンだ。剣の修理でもしてほしいのか?」
年長のドワーフが歩み出てきた。
ジンには風貌から熟練者の印象を与えられる。
「我々は闇の石が欲しいのだが、この洞窟以外に手に入れることが可能な場所はあるか?」
「ふむ、闇の石なら首都マゼラの闘技場で優勝すらば手に入ると、聞いたことがあるぞ」
マゼラの闘技場。
ナオミは微かに頷いた。
恐らくキャンディスは既に知っていただろう。
だが、闘技場で優勝するのは至難の業だ。
悪魔の罠に勝てなかった自分が、通用するだろうか。
キャンディスは暗黒剣を作ることに情熱を感じている。
いや、サルデア中の鍛冶屋がそうだろう。ならば闘技場に参加しないわけには……。
「大丈夫か、キャンディス」
頭をそっと撫でたが、返事はなかった。
「私は闘技場で優勝することにした。だから、共にマゼラへ向かおう」
コクリと頷いた気がした。
ナオミは微笑み、藁のベッドに横になった。
しかしこれだけ連戦を重ねれば、いつか自分も死ぬかもしれない。
森のオオカミの遠吠えが、それを予感させたるのだった。
*****
「ほう。つまりお前はこの馬の持ち主だったエルフの息子なわけか」
深き森で一際異彩を放つ女性が言った。
童話の女神のように整った顔立ち。
真っ直ぐ伸びた黒髪。
服は例えるならば魔導剣士の装備のようで、背中には剣が二本。
明らかに普通の人間ではない。
「この黒馬は父さんのもんだい!何処から盗んできやがったこのコソ泥め」
と、子供エルフが騒ぎ立てる。
森の中は昼間にしては薄暗く、この子供はこれでも商人のようだった。
「コソ泥で悪かったな。マゼラに行くためにはこの馬が必要なのだ」
そう呟き、女性は馬から下りた。
彼女の名はナオミ・ブラスト。
若きハーフエルフは、剣術の達人である。
「酷なことを言うようだが、お前の父はもうこの世にはいない。 盗賊に殺されたのだ」
ナオミが少年の肩に手を掛けながら言った。
「嘘だ!父さんが盗賊なんかに負けるはずねえ!病気でもない限り……」
少年の眼が徐々に潤んできた。
どうやらナオミの証言が嘘でないと、薄々感じているらしい。
それにしても、病気か。
一昨日訪れたアラモ村では流行っていた。少年の父が殺されたのもその村だ。
「その馬は名馬なんだ。自分が乗り手に相応しいと思うのなら、怪物の一頭や二頭倒してみろ!」
目に大粒の涙を浮かべながら少年が叫ぶ。
「いいだろう。この辺りで有名なのはコカトリスか?」
ナオミが髪を撫でながら言った。
森の覇者コカトリス。
相手にとって不足なしだ。
少年が渋々頷いたのを確認すると、ナオミは懐から三枚の銅貨を取り出した。
「売り物を見せてくれ」
交渉の末、ナオミは二人分の携帯食料を買った。
「お姉ちゃん、大丈夫なの?」
金髪の少女キャンディスが心配そうに尋ねる。
何しろ相手が相手だ。
コカトリスは鷲と蛇の身体を併せ持つ怪物で、生態系の頂点に立つ。一筋縄ではいかないというのが彼女の見解だ。
「肩の怪我か?別に何ともないが」
ナオミは怪物の事など気にも留めない様子で言い、愛馬に飛び乗った。
目指すはコカトリスの巣である。
「約束破って逃げるなよ、コソ泥」
別れ際、半泣きの子供エルフが呟くのが聞こえた。
ーー
「ねえ、お姉ちゃんは何で剣を二つも持ってるの?」
後ろに座るキャンディスが尋ねる。昨日夜通し泣いた彼女は、持ち前の明るさを取り戻しつつあった。
「普段使ってるのがサルデアの王様に貰った『ガイキ』。もう一つは命の恩人である青年が残した名もなき剣だよ」
「二刀流じゃないんだね」
「ああ。一種のお守りだ」
二人を乗せた黒馬は、一層スピードを上げて森を駆け抜けていく。
川を越え、やがて十字路に差し掛かった。
「やあ、旅の者!見事な馬だね。銀貨七枚で売ってくれないかい?」
「何だ、お前は」
「僕はマゼラの生物学者。ここに住むオオカミや鹿の生態を調べに来たのさ」
「ならば話は早い。コカトリスの殺し方を教えてくれ」
それを聞いて男は踏ん反り返った。
「君たち二人でコ、コカ、コカトリスを殺すだって……?正気かい?」
「ああ。巣まで案内してもらえると助かる。地図は大まかな位置しか教えてくれないんでな」
ナオミが馬上から見下ろして言った。
「僕は怖がりだから巣まで案内できないけど、ここから北東に進めば、小さな山が見えてくるはずだ。あとこれを持って行くといい」
男は馬車の荷台から、紫の液体が入った瓶を取り出した。
「猛毒だ。剣先に塗ると強力だぞ」
「しかし我々は一文無しでな」
「無料で構わんさ。その代わり、もしコカトリスを本当に殺せたら、その死骸を調べさせてくれ」
男はニヤリと言った。
こうしてナオミは毒瓶を手に入れた。なるほど、これは確かに役に立ちそうだ。
「キャンディスはここに置いておく。指一本でも触れたら斬り殺すからな」
男にそう言い残し、ナオミは風の如き速さで一人巣へと向かった。
伝説は、ここから始まる。
ーー
岩から岩へ飛び移り、ナオミは巣に到着した。
これは少年と、死んだエルフのための戦いだ。
彼女は黒馬を返さない。
返せばやがて盗賊の手に落ちて、こき使われるのが関の山だからだ。
「いよいよか。では剣に毒を塗るとしよう」
呑気にも、巣に着いてから戦う準備を始める。
ゴロロギャアァァ!
怪物が雄叫びを上げる。
その姿は鳥と言うより竜に似ていた。
クチバシはある。
羽も梟のような灰色である。
だが、問題はサイズだ。体長四メートルを優に超えるそれは、鳥という概念を逸脱していた。
ナオミが言った。
「………本気でやろう」
まず手の平から風を放出。
怯んだところに一太刀浴びせようとしたが、時すでに遅く敵は翼をはためかせ、空を飛んでいた。
(インパクトが効かない相手は久しぶりだ)
軽く薄笑いを浮かべ、剣を構え直す。
叫び声とともに突っ込んでくるコカトリスを、魔術リジェクトでガード。オレンジ色の光が砕け散った。
今だ。
ナオミは剣術の師匠直伝の技「迅竜」を繰り出した。
「ガイキ」の剣先が青く輝き、下から上へ、竜の飛翔の如き動きを見せる。
ーー手応えあり。
羽をばたつかせる森の主の身体から血が流れ落ち、毒は確実にその身体に染み込んでいった。
桜花、迅竜、閃光。この三つが今のナオミが使える剣技である。
コカトリスは円を描くように上空を迂回し、鬼の形相でナオミをその爪で押さえつけようと飛び込んでくる。
「くっ!」
間一髪。
ナオミは右方に前転することで攻撃をかわした。
そしてすかさす剣で足に傷をつけようと試みる。
だが、皮膚は鋼のように硬い。
「……そう簡単にはいかないか」
ナオミは一旦距離を置き、息を整えた。
日が沈むまでに勝たないとまずい。それは彼女も分かっていた。
ただ、彼女の剣術は諸刃の剣。
体力を激しく消耗させる。
ギャオォォオ!
思わず耳を塞ぎたくなる咆哮。
だが、これは苦しみからこみ上げる喘ぎ声だ、とナオミは悟った。
猛毒が回り始めている。
「この一発に賭けるか……」
剣を縦に構え、すーっと息をする。
よし。
ナオミは消えたかと相手に錯覚させる程のスピードで移動した。
剣術「閃光」だ。
次の瞬間、怪物は倒れた。
それを確認したナオミも、続けざまに倒れた。
勝ったのだ。
毒のおかげとはいえ、申し分のない勝利だった。
ーー
キャンディスと合流し、少年エルフの元へと急いだ。
戦利品であるコカトリスのクチバシとともに。
「お姉ちゃんは無敵だね」
「だといいがな……」
ナオミは昨日に続く連戦で軽く目眩がしていた。頭を押さえながら黒馬を走らせる。
来てみると、少年は火を起こしている最中だった。
「怪物は倒した。約束通り、これからもこの馬は私が乗ることにする。いいな?」
少年が頷く。
もう泣いてはいなかった。
「アンタもエルフの血を引いてるんだろ?しょうがないから、今夜一晩テントを貸してやるよ」
その日は、火を囲んで携帯食料を食べることになった。
「そう言えば、お姉ちゃんはこの国の王様に剣を貰ったんだよね。どうして?」
「一度だけ、王の依頼したクエストに参加したことがある。その報酬に、だ」
「どんなクエスト?」
「ゴブリン討伐。確か二人掛かりで森中のを全滅させたはずだ」
キャンディスが尊敬の眼差しで見てくる。悪い気分ではなかった。
「明日にはマゼラに到着できるだろう」
言いながらナオミは横になった。
強烈な眠気が彼女を襲う。
体力をつけなければ。
そう自分に言い聞かせ、重い目蓋をゆっくりと閉じた。