光輪
俺の上司の課長が交通事故で大腿骨骨折の怪我をして入院した。気に入らない上司なので内心ざまあみろと思ったが、まさかその通りを口にはできない。同僚達は会社が終わったらみんなで見舞いに行くという。仕方なく俺もいっしょに付いて行くことにした。病院では課長は個室に入院していて品の良さそうな美人の奥さんが俺達を病室に迎い入れてくれた。夕食を終えたところのようで食器が流しの脇に置いてある。
「今日の午前中に手術があったんだよ。3時間も掛かってさ。腰椎麻酔だから意識があるんだよ。だから、いろいろ体験しちゃってね。ドリルみたいなので足の骨に穴を空けられちゃってさ。手術というより完全に大工さんに工事して貰っているっていう感じなんだよ。それに腰椎麻酔って、完全に感覚がなくなるんじゃないんだ。なんか振動とか引っ張られている感じとかはわかるんだよね。それが気持ち悪くてさ。術野は布で覆われていて見えないから、こっちは何をやられているかはわからない。だから、よけいに不気味なんだ。途中で医者が『あっ』とか『えっ』とか言うからさ、なんか失敗されちゃったのかと思っていちいちビクッとしちゃうじゃない。だから、終わったら、もうクタクタよ。さっきまで点滴されていて、今ようやく終わったの。夕食も一応食べたけど全然食欲なくてさあ。食べることに命を懸けているこの俺が食欲がないんだよ。インフルエンザに掛かっても食欲だけは落ちなかったのにさ。おしっこの管は入れられちゃってるし、歩いてもダメだって。手術した足に体重を掛けちゃいけないんだって。5日後くらいから徐々に足に体重を掛けるリハビリを開始するんだってさ。しばらく、会社は無理みたいだね。」
突き出た腹をポンポン叩きながら食欲がないと言うが、夕食の食器は綺麗に空になっている。課長は酔っているかのように異常に饒舌だ。彼の武勇談のような手術体験の話など聞きたくもないのだが、表面上は興味深そうに聞いているしか仕方がない。俺達は課長のベッドを取り囲むようにして彼の話が早く終わらないかなと思っていた。なかなか終わらないので、終わる兆候を期待して課長の表情を窺ってみるのだが、かなり元気そうでしばらく独壇場は終わる気配がない。そうして課長の顔を何度か見ているうちにふと奇妙なことに気が付いた。課長の頭の上にちょうどキリスト教の聖人の頭上に描かれる光輪のようなものが見えるのだ。何か照明の加減か、鏡やガラスに光が反射しているのか、俺の眼の調子の問題かとかいろいろ考えて、見る角度を変えたり、目をこすったりしてみたが変わらない。やはり光輪が見える。こんな体験は初めてで何か気味が悪いとは思ったが、長い課長の話がようやっと終わって病室を出てきたら、解放された嬉しさで光輪のことは光の加減のためだったのだろうと自分を納得させて、すぐに忘れた。
その5日後に俺達はまた課長の見舞いに行くことになった。昨日、課長が課長補佐に仕事の書類を持って来るように頼み、ついでに課のみんなも顔を見せに来てくれと誘ったのだという。大方、暇過ぎて寂しくなってきたのだろう。しかし、今後も何かと理由を付けて暗に見舞いに来るように言われるようになるのが予想されて気分はあまり良くない。12時になったので社員食堂へ行く前に仕事に一区切りつけようとしていたら、病院から連絡が入った。課長が2時間前に急死したと言う。さすがにすぐには信じられなかった。骨折で手術をしたとはいえ、まだ40代の健康な男がそんなに簡単に急死などするだろうか。5日前には元気そうに長々と眼の前でしゃべっていたのだ。その日の午後になると急死したいきさつが判明した。今日、手術後初めて課長は足に体重を掛けて良いと医者に言われていた。リハビリテーション室で理学療法士に助けられて、立つ練習をしようと車椅子から立ち上がった途端に意識を失って転倒し、見る見る内にその場で息を引き取ったという。医者の診断は肺塞栓だそうだ。課長のように太った人が怪我などで急に寝た切りとなった場合にまれに起こるらしい。いわゆるエコノミー症候群だ。下肢の静脈に血液のうっ滞が起こって、そこに血栓ができてしまうのだ。安静にしているうちは何も起こらないが、動いて下肢の静脈還流が急に活発になると下肢の静脈の中にできていた血栓が一斉に静脈の血流に乗って肺に集まって来てしまい、それが一気に肺動脈を詰まらせるのだという。駆けつけた医者も急変に驚いて2時間も心肺蘇生術を施したのだそうだが、結局救命することはできなかった。奥さんは今でも遺体に取りすがって泣き続けているという。会社の部下である俺のその後の数日間は通夜や葬式の手伝いで忙殺され、あっという間に過ぎて行った。
課長の葬式が済んだ1週間後に、会社の近くの駅で高校時代に仲の良かった高橋という同級生に偶然会った。聞くと彼の職場は俺の会社とそう遠くない所にある。高校時代にはもう一人の友人の柴田と3人で良く遊んでいたので、試しに柴田の事も聞いてみると、彼も近くに住んでいると言う。それなら近いうちに3人で夕食でも一緒に食べようということになり、メール・アドレスを交換した。携帯電話にアドレスを打ち込み終わってふと顔を挙げると、高橋の頭の上の光輪に気が付いた。つい1週間程前に亡くなった課長に見えたのと同じ光輪だ。忘れていた記憶が蘇ってきた。嫌な予感がした。課長の頭上には確かに高橋と同じ光輪が見えていた。そして、5日後に急死した。俺はもうこの光輪が気になって気になってしかたがない。もう、再会を喜んでいる場合ではない。しかし、この場で高橋に頭の上に光輪が見えていると教えても当然まともに取り合ってくれないだろう。俺は高橋が3人で会う時に使う料理屋の候補をいくつか挙げているのをうわの空で聞いていた。
高橋と会った1週間後に柴田から携帯電話が掛かってきた。高橋が急死したという。柴田は高橋から俺の連絡先を聞き、俺にコンタクトを取ろうとしていた矢先に訃報に接したそうだ。高橋は東北地方にある親戚の家に向かうために、日曜日の昼間、高速道路を一人で自動車で走っていて、10台が玉突き衝突をする交通事故に巻き込まれて即死したということだ。俺は心底ゾッとした。高橋が亡くなってしまったことについては無論だが、それよりもあの光輪の意味することが確実になったからだ。頭の上に光輪が見える人は近い将来亡くなる運命にあるのだ。どうして自分にそんなものが見えるようになったのかはよくわからない。どういう物理現象なのか想像もつかない。しかし、俺は自分でも理由がわからないうちに奇妙な能力を獲得してしまったのだ。
ただし、この能力の詳細がはっきりしない。今のところ俺にはまだ2人の経験しかない。 電車に乗っていたり、街を歩いていたりすると時々頭上に光輪の見える人見かける。しかし、後をついて行って、いつ死ぬのか確認するというのはどうにも実行に移すのがためらわれた。見ず知らずの他人なのだ。けれども、光輪の見える人のその後の経過は何としても詳しく知りたい。外で光輪の出ている人を見るたびに、その人の転帰を知る方法はないかと、もやもやした気持ちになった。しかし、しばらくして良いことを思い付いた。人が頻繁に亡くなる所で光輪の見える人を見つけ、その後の経過を追えば良いのだ。
それには恰好の場所がある。老人病院だ。俺には老人病院入院中の親戚や知り合いはいないのだが、そんなことは関係ない。どこでも良いから手頃な老人病院を見つけてそこに通えば良い。会社の帰りに立ち寄れる適当な老人病院をインターネットで探してみると、会社から電車で30分の所にちょうど良さそうな所が見つかった。面会時間も20時までだから会社が終わってから向かっても十分余裕がある。俺は見舞客のふりをして病院に潜り込んだ。その病院は病棟毎に機能の違いがあり、認知症専門の病棟やリハビリテーション病棟もあるが、そういう所に行っても仕方がない。重症者の多い病棟が良いだろう。俺は6つの病棟のうち重症者の入る内科急性期病棟という所を見つけ出した。8つある4人用の病室を何喰わぬ顔で一回りすると、頭上に光輪の見える患者が3人もいた。今日の仕事はこれでもう終わりだ。あとは同じように毎日この病棟ぐるっと一周見て回り、光輪の見える人がどうなったかと新しく光輪の見える人が出現していないかチェックすれば良い。こうしてこの老人病院に2ケ月間通い、俺は自分の能力を正確に把握した。俺には7日以内に亡くなる人の頭上に光輪が見えるのだ。ただし、7日以内のいつに亡くなるのかはわからない。翌日かもしれないし、7日後かもしれない。
自分の能力がしっかり確認できると、俺の中には他人に対するかなり強い優越感が湧いてきた。具体的にどういうことかと一言で言うと、他人がバカに見えて仕方がないということだ。街や電車の中で出会う光輪のある人々は、自分が1週間以内に死んでしまう運命にあることなどつゆ知らず、次の休みに遊びに行く相談をしていたり、漫然と携帯をいじっていたり、英単語を必死に暗記していたり、仕事の書類を熱心に読んだりしているのだ。彼らの将来を見通せる俺にはみんながバカに見えてしまうのも仕方がないだろう。次の休みにその人は生きていないし、すぐ死んでしまうのに携帯をいじって残された貴重な時間を浪費している場合ではないし、勉強してもそれを役立てる将来はないし、この期に及んで仕事に精を出しても何にもならないのだ。人間、一週間以内に死ぬとわかったら、やらなくてはいけないことが山のようにある。親しい人に別れを告げたり、身辺整理も必要だろう。光輪の出ている多くの人はそういうことをまったくできずに死んでいくのだ。しかし、まあ、冷静に考えれば、彼らがバカなのではない。将来のことを見通せないのは人間の性だから仕方がない。要するに俺の能力が人間のレベルから神の領域に近付いているということだ。
会社の帰りに一人で焼き鳥屋に入ったら、そこのマスターに光輪が出ていた。かわいそうにあと少しの寿命なのに、それを知らずに暑い中、黙々と焼き鳥を焼いている。挙句の果てにネギが焦げ過ぎだとか、鳥モモが生だとか、皮に塩を振り過ぎだとか客に文句を言われている。俺は少し哀れになった。俺の会計は3800円だったのだが、奮発して5000円渡して「釣りはチップにしていいよ」と言ってやった。光輪が見えようになってからというもの、安月給の俺もついつい上から目線となり、油断して財布の紐が緩くなってしまっている。これ以上気前が良くなってしまうのも考え物だ。
うちの会社が輸入し、デパートに卸している紳士用の鞄の留め具が時々うまく外れないと購入者から苦情が来ているという。取引先のデパートの担当者からひどい口調のクレームが入った。上司は俺に、とりあえず情報収集と謝罪のために直ちに先方を訪問して来いと言う。向こうの担当は俺より3-4歳若い青二才なのだが、電話の調子から察せられた通りかなりイヤな奴だった。「こんな鞄納入しておいて、商売として通用すると思っているの」とか「お宅はどういう品質チェックしてるの、信じられないよ」とか「客の苦情の矢面に立たされるのはこっちなんだよ、わかってる?」とか「お宅の不始末でこういうことになっているのだから、お宅がうちの顧客全員に頭下げてよ」とかいちいちこちらの神経を逆撫でるような事を言ってくる。翌日も打ち合わせのためにこの担当者に会いに行ったのだが、そうしたら、彼の頭上に光輪が出ていた。こうなると、もう彼に何を言われてもまったく気にならない。彼の事は嫌いだが、憎しみの気持ちは既にない。「しっかり原因を調査させていただきます」と理由を付けて1週間の時間を貰った。これでとりあえずこの青二才に不快な言葉を浴びせられるストレスからは完全に解放された。チョロイもんだ。
ある暑い初夏の日曜日、俺は隣町まで最近評判になっているつけ麺を食べに行った。バスに乗ろうと大通りの歩道をバス停に向かって歩いていると、バスが俺の脇を通り過ぎてバス停に走って行った。俺が乗るバスだったので、俺はバス停までダッシュして、客が昇降しているバスに飛び乗った。何とか間に合ってやれやれと思って車内を見廻すと、なんとこのバスの15人程の乗客のほとんどに光輪が出ている。俺は心底ゾッとした。これは確実にこのバスが事故を起こして乗客がみんな死んでしまうということではないか。俺はすぐに乗ったばかりのバスの「次、停車します」ボタンを押して転げ落ちるようにバスから降りた。
「これは、たいへんなことになるぞ。俺は知らねえぞ。」
という気持ちだった。バスがのっそりと走りだし、後部座席の乗客の後ろ姿が徐々に遠ざかって行く景色はまさしくいつもと変わらない日常生活の何でもない平穏そのものの光景だった。さっき見た乗客達の表情はみんなのんびりと平和そうだった。彼らは何も知らないまま大惨事に巻き込まれるのだ。無力な、余りに無力な姿だった。俺はゆっくりとバス通りを歩いて行った。15分程歩いたら、案の定、救急車とパトカーのサイレンが遠くから聞こえてきた。そのあと、あっと言う間にあたりはサイレンの音で充満した。歩き進めて行くとすぐにサイレンの音に人の叫び声と怒号が加わって異様な雰囲気となった。やっぱり、大事故が起こったのだ。バス通りと国道の交差点がその現場だった。大型トレーラーがバスの側面に激突し、そこにトレーラーの運転席がめり込んだ状態で2台の車が真っ黒い煙と赤い炎を上げて燃えていた。「この火の勢いではさすがに乗っていた乗客は確実に全員死ぬな」と思った。
この事件から光輪を見ることのできる俺の能力には他人の余命を知るだけではなく、自分の命を救う力もあることに気が付いた。本当にありがたいことだ。すばらしい能力だ。きっと神様が俺のことを特別に気に入ってくれたのだろう。この平凡な俺の何を気に入ったのかはわからないが。
夏休みに俺は一人で自宅から2時間程の海辺の町にブラリと散策に出かけた。海を見て、あたりを散歩して、美味しい昼御飯でも奮発して気晴らしをしようと思ったのだ。海岸までのバスは空いていた。乗客数はおよそ5-6人というところだった。俺は海側の座席に座って綺麗な海岸の景色をぼんやりと眺めていた。次のバス停で乗ってきた人は光輪のある60歳ぐらいの女性だった。「ああ、ここにも光輪の人がいるなあ」と軽く思った。次のバス停でまた光輪のある若い男性が乗って来て、光輪のない人が2人降りた。さらに次のバス停で光輪のある人が一度に2人乗って来て、光輪のない人が2人降りた。俺以外の5人の乗客の内4人が光輪のある人になった。これはやばい。先日のバスとトレーラーの衝突事故の時と状況がそっくりだ。このままバスに乗っていたら確実に事故に巻き込まれて死んでしまう。俺は慌てて「次、停車します」ボタンを押して、どこともわからない所でバスを急いで降りた。まったく危ないところだった。俺は今回もバス通りをゆっくりと歩いて行った。バスはすぐに見えなくなったが、そのうち救急車やパトカーのサイレンが聞こえてくるはずだ。サイレンの聞こえてくる方向に進めばそこが事故現場だ。しかし、20分経っても30分経ってもサイレンは聞こえてこない。妙だなとは思ったが、田舎のバスなので結構遠くまで路線が伸びているのかもしれないと思い、事故現場に行くのはやめにして、そこら辺の海岸を散歩することにした。海岸は人影もまばらで、釣りをしている人や、暇そうに座ってぼんやりしている人が所々にいるぐらいだ。その中に数人、光輪のある人がいた。このあたりは、近いうちに亡くなる人が少し多いなあという印象を持った。近くの食堂に入ってその店自慢の超大漁定食というのを注文した。1800円で豪華なお刺身の船盛にウニ・イクラ丼、それにイセエビの御味噌汁が付く。コスト・パフォーマンスが非常に高い。大満足した。そこの食堂のテレビではニュースが流れていたが、近くでバスの大事故が起こったという報道はなかった。ちょっと拍子抜けした。ここの食堂のおかみさんにも光輪があった。
満腹になり、散歩にも飽きたのでそろそろ帰ろうと思い、またバスに乗った。このバスで俺の前に座っていた人にも光輪が見えた。なぜか今日は光輪のある人が多い。帰りの電車の中でも光輪のある人がちらほら目立った。自宅に帰ってテレビや新聞を見てみたが、俺が今日行った海岸の周辺で大きな交通事故は起きていなさそうだった。
翌朝、会社に行こうと駅までの道を歩きていると次々と光輪のある人に出会った。電車の中にも何人も光輪を頭の上に載せている人がいた。会社の同僚にもパラパラと光輪のある人が目立つ。これはいったいどうしたことか。昼になって社員食堂で食事をしようと食券の自動販売機の列に並んだら、俺の前の5人のOLは全員が光輪を頭の上に載せている。彼女達は、Aランチの魚のフライにするか、Bランチのハンバーグにするか、Cランチのタンメンにするかを大騒ぎしながらいちいち迷っていて屈託がない。みんな楽しそうだ。俺だけ食欲がない。帰りの電車ではさらに光輪の人が増えていた。光輪のある人はみんな、隣に座っている友人とおしゃべりをしたり、携帯ゲームに没頭をしていたり、恋人同士で人目も憚らず抱き合っていたり、新聞の株価欄を熱心に見ていたりと、何の心配もしていないいつも通りの普通の生活だ。
翌日は電車の中の3割の人が、翌々日は5割の人が、その次の日は7割の人が、さらに次の日は9割の人が光輪を頭の上に載せていた。俺は食事がまったく喉を通らなくなった。夜も眠れず、何をどうすれば良いのかもわからない。俺はいつの間にか人類の歴史上最も深い絶望を経験する人間に選ばれていたのだ。神様は俺の何が気に入らないのかはわからないが。