恋人を殺して魔王を殺して自分を殺す勇者
一年前まで、僕は勇者でした。突如現れた魔王を討つべく日本から召喚され、チートボーナスを持って光臨した存在でした。今では王城にある小さな部屋の小さなベッドから、ぼんやりと青い空を眺める生活を送っています。
この世界にはレベルという概念が存在します。内容はRPGとかのゲームにあるあのレベルと同じです。経験を積めば上がり、強くなる。少し違ったのは、その経験の積み方が人によって異なるという事でした。
例えば、この国の王様は文字を書く事でレベルが上がります。騎士団長さんは、素振りをする事でレベルが上がります。知り合いの冒険者さんは、魔王の尖兵として世界中に広まり、そして土着した魔物を倒す事でレベルが上がります。ナナは、人を癒す事でレベルが上がりました。
レベルを上げるのに必要な経験値も、人によって差がありました。王様は途轍もない量の文字を書かなければレベルが上がりません。騎士団長も、一日中剣を振り続けて漸く上がるくらいです。冒険者さんは、魔物一匹で二くらい上がると言っていました。ナナは、三人ほど癒せば上がると言っていました。
当然、この世界に呼ばれた僕にもレベルという概念がありました。レベル一でも驚異的な能力を誇っていた僕は、このレベルが最大になったらどうなるのかと、嬉々として上昇させるのに必要な《経験》を確認しました。
レベルアップに必要な経験は、《自分を心から信頼する者を殺す事》でした。
当然、僕はそんな事をしてまでレベルを上げようとは思いませんでした。騎士団長に師事し、賢者様に魔法を教わって魔王を倒そうと頑張りました。そして、魔王は技術を見に付けた僕と、仲間達によって追い詰められて行きました。
僕は行けると思いました。このまま押し切れる。人々を苦しめる魔王を討てると。でも、魔王とかのラスボスには、必ず切り札がある物なのです。
動揺し、回避行動が遅れた僕は、目の前に迫る白刃をぼんやりと眺める事しか出来ませんでした。あぁ、この刃が僕を殺すんだなぁと、そんな事を延々と考えていました。でも、その白刃は僕を貫く事はありませんでした。
僕は庇われました。仲間であり、惹かれあう存在だったこの国のお姫様のナナに。ナナの背中から胸へ突き抜ける白刃を、僕は彼女の血を浴びながら呆然と眺めるしか出来ませんでした。
胸を、それも心臓を貫通するなんて致命傷です。慌ててナナを抱きかかえた時には、既に彼女は死ぬ寸前でした。震える手で僕の頬をなぞり、荒い息を吐いて体を震わせながら僕の名前を繰り返し呼んでいました。
僕に出来た事と言えば、必死にナナの名前を呼んで手を握る事くらいでした。でも、そんな事でナナの命が助かる訳も無く……そして最後に彼女は、僕の頬を撫でながらひとつおねだりをして来ました。
僕は断ろうとしました。いやいやと首を振り、考え直せと、絶対に助けるからと何度も叫びました。それでもナナは力無く首を振り、僕にそれをするようにお願いをするのです。結局、最後に僕は折れました。
聖剣なんて仰々しい名前を付けられた神々しい剣で、僕はナナの胸を突き破りました。魔王の付けた傷を上塗りするように、深く深くその刃を食い込ませました。涙が後から後から溢れて来て、止めようとしても止まりませんでした。
ナナは最後に僕の名前を呼ぶと、ゆっくりと目を閉じて醒める事の無い冷たい夢へと向かってしまいました。そしてナナを失った直後、喪失感と共に、溢れ出る全能感とナナを奪った魔王への復讐心が溢れ出でて来ました。
僕は魔王を八つ裂きにしました。レベルが上がる前よりも圧倒的に速く、強く。魔王すらも捉えられない速度で動き回り、体を幾つにも分けて焼き尽くしました。一だったレベルは、三百になっていました。
魔王を滅ぼした事は喜ばしいです。でも僕は全然嬉しくありませんでした。ナナがいないからです。何時も隣に立っていたナナが、もういなかったんです。呆然となった僕は、その後仲間に引き摺られるようにして王国へと帰ったそうです。
王様は全てを聞き終わると、静かに玉座から立ち上がって僕の目の前にしゃがみ、抱き締めてくれました。すまない、すまないと何度も謝ってくれました。でも、何度謝られても僕の霧は一切晴れる事はありませんでした。
それから、僕はずっとこの部屋で過ごしています。白い霧に包まれた薄暗い世界で、失ったナナの幻影を見て過ごしています。悲しい記憶と、ナナが最後に託してくれた三百というレベルを持って、王様に頼んだ最後の願いが叶えられる時を待っています。
そして、今日はその願いが叶えられる日でした。
何時ものメイドさんが、小さな錠剤を僕の口に含ませました。毒です。どんな生物をも殺す猛毒を、更に魔法で凝縮して、圧縮して、今日の為に作られた最強の殺人薬です。僕はそれを素直に含むと、冷たい水を飲まされました。
時間と共に、体を虚脱感と倦怠感が支配していきます。感覚は鈍くなりながら消えて行き、幻覚を映すスクリーンになっていた霧が一瞬だけ濃くなりました。ちらりと目を開けて確認すると、何人もの人達が僕に平伏していました。
最後に見た本物の景色はそれだけです。見事に世界を救った勇者は、自らの意思で命を絶つ事を選びました。それは酷く悲しい事であり、僕にとってはとっても嬉しい事でした。あの世にならきっと、ナナもいる筈だったから。