君を守るためなら
死の宣告を受けるのは、こんな気持ちなんだ。
死ぬのは俺じゃないのに、心が痛すぎて、呼吸ができないんじゃないかって思うくらいに。
隣にいる母さんは涙を流し、その震える肩に手を置いた父さんは、堪えるように歯を食いしばっている。
「ドナーを探していますが、おそらく、間に合わないかと……」
「っ」
その場から逃げるように、俺は両親と医者に背を向けて、部屋を出た。
男なんだから、泣くなよ、自分。
こんな姿を誰にも見せたくなくて、俺は屋上に向かった。
ここなら、人が少ないし、大丈夫だろう。
だが俺は、すっかりあのことを忘れていた。
「あ、お兄ちゃん」
聞き慣れた明るく可愛らしい声が、俺を呼んだ。
振り返ると、ベンチに座った妹が、こっちに向かって小さく手を振っている。
そうだ、ここはあいつの、美沙のお気に入りの場所だった。
「……美沙」
気付かれないように、眠そうにした目を擦るふりをして涙を拭いた。
ピンクと白の水玉模様のパジャマを着た美沙が、笑顔を浮かべながら近寄って来る。
「で、どうだった?」
突然の問いに、思わず息を飲んだ。
俺の口から、美沙が死ぬなんて、言えるわけがない。
だから、咄嗟に嘘をついた。
「じゅ、順調だってさ」
その言葉に安心したのか、美沙は目を輝かせながら、飛び跳ねた。
「やっぱりね! そうだと思ったんだ!」
こんな美沙を見ていると、とても死ぬとは思えない。
むしろ、本当に病を患っているのかさえ疑う。
「お兄ちゃん、退院したらケーキおごってね」
「あぁ、もちろん」
約束を交わすと、美沙は少し汗ばんだ額を裾で拭いながら、階段の方へと歩いていった。
鼻歌を歌いながら、機嫌が良さそうだ。
どうして、あいつが死ぬんだろう。
俺が代わってやりたいと、心から思う。
だって、俺は、誰よりも美沙が好きだから。
兄としてでなく、一人の女性として。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ベッドに横たわっている美沙が、気持ち良さそうに寝ている。
すやすやと寝息を立てながら、きっと幸せな夢を見ているんだろう。
その隣で、俺はただ美沙を見つめていた。
いろんなことを、考えながら。
俺がこの想いを告げたら、美沙は何て言うだろう。
わかるのは、この気持ちを受け入れることは絶対にないということ。
どうして、俺は美沙の兄貴として生まれてきたんだろう。
考えていてもきりがないし、答えもでるわけがない。
こんなときでも父さんは仕事。母さんも同じだが、明日から有給を貰うらしい。
幸い、他の患者もいない。
母さんに「真人は学校に行きなさい」と言われたが、ここのところ授業を休んでいる。
もちろん、できるだけ美沙と過ごしたいから。
俺が美沙を好きだなんて、誰が思うだろうか。
家族四人一つ屋根の下で一緒に過ごしていた頃、俺は恋愛感情に気付いてからあいつを避けるようにしていた。
兄妹が不仲だということを、両親が心配していたほどだった。
適当な理由で返事をすると、怪しむことなく母さんは、わかってくれた。
「あっ、お兄さん」
部屋の扉が開いたことに気付かず、俺はその声に驚いて振り返った。
そこには長身で爽やかなルックスをした、美沙いわく『イケメン彼氏』こと優哉が立っていた。
俺の最も欲しいポジションに立っている、とても憎い奴。
「こんにちは」
「あぁ。今、こいつは寝てるから」
俺の向かい側に来ると、優哉は美沙を愛しそうに見つめ、安堵した。
やばい、苛立ちそうだ。
「お兄さん、休んでてください。俺がここにいますから」
出た、いつものセリフ。
二人きりになって、無理やり美沙を起こそうとしたり、変な気を起こそうとしてるんじゃないだろうな。
なんて、毒づきたかったが、嫌でも俺は知っている。
優哉は、本当に美沙を心から想っていることと、その名前通りに優しいことを。
「じゃあ、邪魔者は退散しますかな」
「な、何を言ってるんですか! そんなつもりじゃ……」
「こら、大声出すな。わかってるよ。何かあったら、下に居るから呼んでな」
重い腰を上げて立ち上がると、張り付けた笑顔を浮かべながら、部屋を後にする。
そう、俺は美沙の兄貴だから。
恋人にはなれなくとも、その関係が絶対に切れることはない。
愛しい妹の死期が迫っているというのに、俺は美沙の側を離れて、下にある食堂に向かうために廊下を歩いていた。
優哉が来たことを知れば、美沙は向日葵が咲いたような笑顔で喜ぶんだろうな。
そのとき、後ろから肩を叩かれる。
誰だろうと思ったら、そこには死の宣告をした、美沙を担当している医者がいた。
「真人さんに、お話しなければならないことがあります」
「俺に、ですか?」
一体、何の話だ。
両親じゃなくて、どうして俺なんだろうと考えるも、今はいない両親の代わりに話を聞いてほしいということなのだろうか。
拒む理由もないから、俺は医者の後をついていく。
連れてこられたのは、誰もいない診療室だった。
座るように促された俺は、ベッドに腰をかけた。
「……美沙さんを助けられる方法が、一つだけあります」
「えっ!?」
俺は、医者の言葉に耳を疑った。
そんな方法があるなら、どうしてあのとき、何も言ってくれなかったんだ。
だが、深刻な表情をした医者が唇を噛みしめる仕草に、嫌な予感がした。
そしてそれは、的中した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「あ、おかえりなさい」
「あぁ」
俺が入って来た途端、美沙は優哉と繋いでいた手を離した。
やっぱり、俺は美沙にとって、邪魔者なんだろうな。
「じゃあ、俺は帰ります」
「えっ、もう帰っちゃうの?」
寂しそうな瞳を向ける子犬のような美沙の頭を、壊れものを扱うように優しく撫でる優哉。
「また明日来るから」と言うと、美沙は嬉しそうに頷いた。
俺の前でいちゃつかないでほしいが、そんな本音は言えない。
「またな」と手を軽く振りつつ、内心では俺に頭を下げる優哉に『早く出ていけ』と何度も言った。
優哉が部屋を出ていくと、美沙は大きなため息をついた。
疲れたのだろうか、いや、そんなはずはない。
だが、心なしか普段より暗い表情を浮かべているような気がした。
「……私、死ぬんでしょ」
椅子に座った俺は、予想外の言葉に目を見開いた。
どうして、そのことを知っているんだ。
まさか、優哉の奴が言ったのか。
いや、俺が知る限りそんな気の利かない奴じゃない。認めたくないが。
「は? 何を言って――」
「私、わかるもん。お兄ちゃん、嘘つくの下手だから」
力無く微笑む美沙は、かけ布団をぎゅっと掴んだ。
「……いいや、嘘はついてない」
「えっ?」
「美沙は、死なない。絶対に」
俺が断言すると、美沙が顔を上げて俺を見つめた。
嘘をつくときがわかるなら、逆に事実を言っていることもわかるだろう。
その表情は、次第と明るくなる。
「ほ、本当に?」
「もちろん」
笑顔で言い切る俺を見て、美沙は涙を流した。
ちょっと待て、どうして泣くんだよ。
「嬉しい、嬉しいよ! 私はまだ、生きられるんだね!」
あぁ、嬉し涙か。それならよかった。
愛する美沙が喜ぶ姿に、俺は素直に嬉しいと思った。
この笑顔を守りたいと、心から思った。
だから、俺は一生に一度の大きな決断をした。
美沙の兄貴として生まれた理由が、ようやくわかった。
そうだよな、美沙の為にこんなことできるのは、どう考えたって俺しかいない。
だって俺は、誰よりも愛してるから。
さようなら、美沙。
俺は、生まれたときからお前が大好きだ。
この小説を読んでいただき、ありがとうございます。
いつになるかわかりませんが、近いうちに後半を書きたいと思ってます(^^)