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5 「では、武器を取りに戻ります」

 いつの間に彼のいる生活がビアンカの日常になったのだろうか。彼が日に寺院をあける時間だって少なくないというのに、四日顔を見ないだけで、それが非日常に変わる。

 灰紫の瞳と同じく、感情まで長い前髪の下に隠して、ものいわぬ植物のように静かな人なのに、彼がいないだけで寺院の中が静かに見えた。

 フェッロが戻らないまま、四日目の朝が来た。まだ四日、と思う者もあるかもしれないがビアンカはもう待てなかった。

「私、騎士団に相談に行きます」

 今度はホープも止めなかった。彼も同行するというのだ。

「もっと早くこうするべきだったね」


 道をゆくうちに一人の騎士に会った。肌が白く華奢ではあるが、そのピーコックブルーの瞳に騎士としての矜持と意思の強さをともした少女――天馬騎士団所属のアイリス・リベルテだ。明るいピンクの髪をさらりとゆらして、アイリスは軽い会釈をする。

「こんにちは、司祭様、ビアンカさん」

 アイリスは騎士だが孤児院にも顔を出すために、ビアンカやホープとは顔見知りだった。ひとまず挨拶を返したビアンカは早速、本題を切り出す。

「アイリスさん。ちょうど、騎士団の方と話がしたかったところなのです。行方不明者の捜索のお願いというのは、どちらでしたらよいでしょうか」

「ええと、とりあえず師団長クラス……なら大丈夫なのでは……。もしかして、どなたかいなくなったのですか?」

 彼女は立派な騎士ではあるが、さすがに少なくない人数の騎士を伴っての捜索が出来るほどではない。もっと上に掛け合うべきだ。それでも、まず誰が行方不明かは聞くべきと知っていた。実はとホープが事情を話しながら、三人で連れ立って騎士団の詰め所へと向かう事にした。


 アイリスは、詰め所に着くよりも早く、早速師団長を見つけた。ちょうど他所から帰ってきたところ、といった様子の数人の騎士たちの中に、天馬騎士団第四師団隊長、テオドール・シャルデニーその人がいた。騎馬での戦い、特に(ランス)の扱いにかけては右に出るものは他にないと謳われるほどの人物で、第四師団には彼を慕うものばかり。彼なら何か力になってくれそうだった。

「あ……シャルデニー師団長、行方不明者の捜索っていうのはお願い出来ますか。それともどこかで申請をした方が?」

「何……行方不明者?」

 事情を簡単に説明すると、テオドールはにわかに顔色を深刻そうにゆがめた。

「なんという由々しき事態だ……リーゾ、早々に手配を! 手の空いている者でその青年を探し出さねば。今頃きっと魔獣の脅威と飢えに打ちひしがれているに違いない……!」

「でも師団長、今日はもうそんなに込み入った仕事はないですから、けっこう人数集まっちゃいますよ」

「数人で足りると思ったのか? 小鹿のように震えるかわいそうな行方不明者を救出するのには、第四師団全隊員でかかっても足りないくらいだ!」

 リーゾと呼ばれた男は、にやりと笑うと、すぐにそれを真剣そのものの表情に変えて背筋を伸ばした。

「了解、ただちに隊員を召集、捜索部隊を編成します」

 テオドールに命じられた部下は他の者に指令を伝えるために駆け出していった。あっという間の事だった。迅速な対応、しかし師団を一つ動かすほどの大事(おおごと)になるとは寺院の二人もアイリスも、思っていなかった。

「その……そこまでしていただかなくとも……」

「ところで、貴女の顔を見た事がある気がするのだが」

 テオドールが遠慮がちに切り出したため、少数による捜索でよかったのにというビアンカの意見は立ち消えた。

「師団長それ古いですよ」

 古典的ナンパの手口を使っているのと同じだと部下に言われても気がつく事のないテオドール。彼は、一度会って紹介された人物であれば、顔も名前もすぐに覚えてしまう事が出来るのだが、目前の修道女だけは顔と名前が一致しなかったのだ。

「その、私はお城にも何度か出入りしてますので……もしかするとその時に」

「知らないんですか師団長、彼女、サン・クール寺院の修道女でビアンカ・ボードワンさんですよ。たしか、ティル・ナ・ノーグ家と縁続きの家柄なんですよね」

 第四師団(うち)の隊員にも大人気です。そう付け加える部下の言葉に、テオドールは雷に打たれたかのような驚きの声を上げる。

「なんと、我が君(ノイシュさま)の……! それは失礼した。私はテオドール・シャルデニー。ティル・ナ・ノーグ天馬騎士団第四師団隊長をおおせつかっている。今後貴女の麗しい御名(みな)と美しい(かんばせ)(たが)えるような失態は二度と犯さないと誓おう」

「……は、はあ」

 ごく自然な調子で、ビアンカの細い手をとって、今にも跪きかねん勢いのテオドール。その濃い緑の瞳は真摯で、彼の整った顔は誠意に満ちていた。ビアンカもホープもアイリスも、誰も何も言おうとしないので、第四師団の第一分隊長が口を開く。

「師団長、我々もそろそろ捜索に参りましょう」

「そうだったな、ソル。一刻も早く青年を救出しなければ」

 テオドールの決然とした様子に、彼の部下は何か言いたげであったが、唇を引き締めたまま頷いた。

「後は私たちに任せて待機していてください」

 そう第四師団隊長は言い添えたが、ビアンカは返事を出来なかった。捜索のため人員をさいてもらえるのは非常にありがたいが、寺院でただ待っていろというのには、頷けない。

 とにかく一旦は寺院に戻る事にし、まだ仕事の残るアイリスとは分かれた。道すがら話すホープの「あの師団長さんと分隊長さんは仲がよさそうだったね」というつぶやきを、ビアンカの耳は拾いきれないでいた。




 残念ながら、騎士団の捜索の甲斐もなく一日が過ぎ、フェッロが戻らなくなって五日がたった。

 彼のいない朝を迎えるのはこれで五回目だ。心なしか、孤児院の子供たちの心配そうな様子も目立ってきている。彼らを不安にさせないために、孤児院の管理者であるビアンカは毅然として「今に帰ってくるから」と教えたが、子供たちにも疑われるような頼りない声だった。今日は午後から、孤児たちで町内清掃の奉仕活動をする予定だが、何かを遠慮するような様子で大人しくしている子もいる。

 ビアンカは手の中の包みを見下ろして、そっと指をすべらせた。今持っていたって、肝心の相手が見つからないまま。

「今日は、リ・ライラ・ディなのに……」

 そうでなくとも五日も帰ってこないなどと、何か事件に巻き込まれのではと悪い方へとばかり考えてしまう。

 何度もため息ばかりついているビアンカに、ホープは苦笑する。

「心配しすぎは身体によくないよ。私だって残念だよ、せっかくビアンカくんがフェッロくんにライラ・ディのお返しをあげるところを特等席で見られると思っていたのに」

 ビアンカは、かすかに頬を持ち上げた。いつも通りのホープに、肩の力が抜けてしまいそうになる。それに、彼は二人っきりにすると言っていたのではなかったか。そういえば、遠足は無理でもこの日は孤児院の子供たちは奉仕活動で昼から外出する予定だった。ある意味、寺院を空けるというホープの望みはかなうはずだったのだろう。肝心のフェッロがいないのであれば、それは彼の望むところとは違ったが。

「それに、何て事ない理由で足止めをくらっているだけかもしれないしね。こっちの心配なんて知らずにひょっこり顔を出すかもしれないよ。実は五日間ずっと昼寝してました、ってね」

「……五日間の午睡は、長すぎますよ」

 ビアンカは口元を押さえて笑った。まるでそれに誘われたかとでも言うようにホープも笑うが、そうではないのだろう。たとえ可能性の一つでしかなくとも、フェッロがなんて事なく帰ってくる未来が待っているとホープは教えてくれたのだ。ビアンカはただただ心配を続けたが、こういう時には悲観するばかりが仕事ではないとホープは知っていた。

「司祭……ありがとうございます」

「ん? 何がだい?」

 とぼけるようなホープに、ビアンカは何でもないのだとでもいうように笑って応えた。


 五日目のこの日も捜索は続けたが、ホープが言うのでビアンカは食事の時間にはサン・クール寺院に戻ってきていた。昼前に寺院に戻ると、リーシェが出てきたところで彼女は「ちょうどいいところに」と話を切り出してきた。

「フェッロさんらしい人物を見たと言う方がいるんです」

 リーシェも、自分の勉強や用事の合間を縫って町で聞き込みをしてくれていたのだ。そこで本人かどうかは定かではないが、おそらくと思える人間の目撃情報を得たらしい。早速ビアンカとホープは、寺院まで同行を頼んだという人物の元へ向かった。

 リーシェの簡単な紹介によると、彼はジャジャ爺と呼ばれる情報通らしい。小柄な年配の男性で、杖をついてはいるものの、その灰がかった青緑の瞳には若いものには負けんといわんばかりの意思が宿っている。正確には、フェッロを見たという男の情報を持つ老人が彼というだけの、又聞きではあったが、本人と同じくらいの情報を持っているとジャジャ爺は請け負った。

「では……フェッロさんは町の外に行ったという事ですか?」

「白い頭の若い男、じゃろう? そうじゃ。アルトゥーラ山の方角だったそうじゃ。そこに入っていくのは見てないが、向かっていくのを見た、と言っておったな」

 遠出というほどではないが、アルトゥーラ山に行くのはちょっとそこまでにしては少し離れた場所だろう。標高はさほどのものではないから、小高い丘においしげる森のようなものといってもさしつかえはない。

「……あそこには凶暴な魔獣(モンスター)が多くいるから、ハンターの出入りは珍しくない。じゃが、武器を携えていたとはいえやけに軽装な男がいると、印象に残っておったそうじゃ」

 白髪(はくはつ)、若い、軽装、武器は持ってる、とかなりフェッロに一致する人物像だ。そんな人物が、安全とはいえない山にいるなどというのは、よい知らせと判じればいいのか分からなかった。

「じゃあ、騎士団に捜索をそちらにも広げてもらおうか……ってビアンカくん?!」

 考えるより早く、ビアンカは走り出していた。


 アルトゥーラ山はティル・ナ・ノーグの城壁の外にある。何度も休憩したとはいえ、あまりに急いだためにビアンカの呼吸は乱れていた。木々に覆われた山の入り口は、静かに黙って訪れるものの入場を待っている。人気のない場所、木々の生い茂る様子はまるで物言わぬ生き物のようであった。

「意外に向こう見ずなんだな、修道女さん(・・・・・)

 背に振ってきた声にビアンカは勢いよく首を回す。そこには、上背のある精悍な顔つきの男性が彼女に向かって歩いてくる姿があった。固定された眉間のしわの下の錆浅葱の瞳は、しっかとビアンカを見据えていて、そこにはわずかたしなめるような感情がのぞけた。

「レオンさん……」

 彼は、フェッロ捜索に協力してもらったセヴィーリオの父親でもあり、寺院とは浅からぬ交流がある。彼がフェッロ失踪について聞いていてもおかしくはないが、どうしてここに。ビアンカの疑問は口にされなくとも分かるのだろう、問われる前に彼は自分から説明する。

「司祭さんに頼まれてな、アルトゥーラ山にのりこみかねない勢いだったからと。本当に来るとは」

 リ・ライラ・ディである今日は、ライラ・ディに孤児院に届けられたお菓子のお礼に、町内清掃をしていわゆるお返しをする日であった。子供たちを連れて歩くため監督者を増員する必要があり、白羽の矢を立てられたのがこのレオン・ハルトだったのだ。ビアンカが寺院を飛び出した時間は、その清掃活動をはじめる頃であった。ビアンカとは入れ違いでレオンが訪れたところをホープに頼みこまれたのだ。

 ちなみにホープはレオンに同行を頼みつつ自分もビアンカを追ったはずだったのだが、普段の運動不足が災いして、途中で休憩しているうちに二人を見失ってしまった。

「素手で、技術も持たず、モンスターと対峙して無事で済む解決策があるのか? 不慣れな山を進んで、何の道具も持たずに迷わずに戻る自信が? ないのなら、騎士団に任せるべきだ」

「……では、武器を取りに戻ります」

 レオンの言葉は正論だった。彼女を思いとどまらせようとしているのだ。ビアンカに力がないのは分かっている。無謀な事をしようとしているとも。ただの自殺行為と言われても反論出来ないとは、自分が情けなくなってくる。それでも、何も出来ないままで足踏みをするのは嫌だった。まともに扱えないとしても、ならば武器を手にしよう。武具を身にまとおう。心に仕込んだ強い意思を燃やそう。

 ビアンカの緑の瞳に、ここを動く気がないという決意が消えないので、レオンは何かをこらえるようにして、一度だけ小さな嘆息をした。

「――少し調べるだけなら、つきあおう。ただし、無茶はしない、少しの間だけ、奥には進まない事」

「ありがとうございます」

「その代わり、寺院にセヴィが行ったらすぐ通報する事」

 ビアンカだけではないが、セヴィーリオが家を抜け出した先でレオンにそれを伝える者はそういない。セヴィーリオの意思を尊重し、無理はさせずに見守ろうと決めているビアンカの顔には、困惑とためらいの色が浮かぶ。

「冗談だ」

 いくら父親でも、親しくするものたちをわざわざ気まずい雰囲気にするつもりはないとでもいうように、レオンはすぐに前言を撤回した。たまには冗談もいいたくなるほど、手を焼いているのだろうか。

 平素あまり冗談を口にしないレオンに、ビアンカはつい微笑みを誘われてしまう。彼もまた苦笑しているように見えたので、レオンを常より身近に感じていた。この人もまた、あれこれと多くを語るわけではないのだが、優しい人なのだと。彼の子供であるセヴィーリオが朗らかで笑顔をたやさぬ子に育っている様を見れば、わかりきっていた事だというのに。

 同行する条件が冗談だというのなら、レオンはただ好意でビアンカにつきあってくれるのだ。

「優しいんですね」

 そう言う前からレオンの苦笑らしきものは失われており、今度の返事はなかったが、ビアンカは彼の事が少し分かってしまったので、答えがなくとも充分だった。


 草をかきわけ枝葉を押しのけ、アルトゥーラ山をいくらか先へと進んだが、自然の中に人間の痕跡はそう簡単には見つからなかった。それらしいものはあれど、他者の物かもしれないものや、いつのものか分からないくらい古い布などが転がるのみだ。そろそろ戻るぞとレオンが口にしようとしたところだ。

「きゃあああっ!」

 突然の声にレオンが振り返ると、ビアンカの姿がなかった。先ほどまでいたはずの場所に駆けると、藪をかき分けた先に、レオンは眼下にうずくまる修道女を見つけた。彼女は足を滑らせて急斜面の下に転がり落ちてしまったのだ。その高さは、人の背丈の三倍近くはあるだろうか、下りるのは簡単でも登るのは簡単ではない、段差のような急勾配だった。見た限りでは、ビアンカに大きな怪我はないようだが、彼女の立つところはレオンのところへ戻れるような安全な道が他にないようだ。左右を見回しても、急な斜面は続くばかり。

「大丈夫か?」

「はい……。でも、もしかするとフェッロさんも、こんな風に足を滑らせたのかも……」

 斜面を眺めると、ビアンカは不安そうにレオンを見上げた。確かに、レオンにもそれはあり得そうな話だと思えたが、今はまずビアンカの事を優先したい。彼女を今すぐに自分のいる場所まで引き上げるのは難しい。少なくとも何か縄のようなものが一つは必要だった。レオンは渋面を作って、誰かの事となると無謀になる娘を一人にすべきではないと知りつつも、その場を離れる事に決める。

「今、引き上げられるように何か用意する。そこを動くんじゃないぞ」

 ビアンカもこんな不慣れな場所で、レオンの言いつけに逆らうつもりはなかった。

 ――しかし、辺りを見回すうちにビアンカは手がかりを見つけてしまった。細く小さな木炭を、フェッロが使っていたものに似たそれを。大きなものならともかく、スケッチに使うようなペンほどの細さの木炭を使う者は、画家の他には思いつけなかった。

 一つ見つかると、また一つと手がかりが見つかるのではないか。期待が行動へと形になって動いてしまう。ビアンカは木炭のあった辺りから、そっと歩きはじめた。首を持ち上げて、レオンがすぐには戻って来ないのを確認すると、ためらいながらも少しの間の事だからと、先へ進んでしまった。

 慎重に足を進めるうちに、木の葉や枝ではない明らかな人工物を見つけて、ビアンカは取り上げるが、それは手がかりになるのか分からないような、土まみれの金のボタンだった。フェッロは普段の服には、たとえ小さなボタンがついていたとしても、金色のボタンなどつけていないはずだ。彼は常に簡素な服ばかりを選んで着ている。彼のものではない。

 また振り出しに戻ったと、ビアンカは嘆息した。

 そろそろ、最初にいた場所に戻った方がいいだろうと顔を上げたところ、何かが光るのを見た。光を反射するものが、あったのだろうか。ふいに思い出すのはフェッロが常に服に身に着けている、金の小さな鳥のピン。すっかり鳥のピンだと思い込んでビアンカはそれを追ったが、たどり着いた先には、アーガトラム金貨があるだけだった。

 もう何度ついたか分からないため息をつこうとして、しかし光を反射するほど汚れのない硬貨は、ごく最近人がここまでやってきた事の何よりの証しなのだと気がついた。フェッロが金貨を持ち歩いていたかは分からないが大きな手がかりではないだろうか。

 これをレオンに知らせなくてはと、ビアンカは駆け出そうとして青ざめる。

 元いた場所は、どこ?

 それが分からなくなってしまっていた。元より町中(まちなか)のように分かりやすい特徴の少ない自然の中だ、どれくらい離れてしまったのか全く分からない。

「……どうしよう」

 町で迷子になってしまっても人に聞けば道も分かるが、ここではそうはいかない。ものを尋ねる相手はどこにもいない。心もとなく思えば簡単に、梢の揺れる音が不気味に聞こえてしまう。場所を移動してしまったせいで、レオンに見つけてもらえなくなったらと思うと、ビアンカまでも捜索対象になってしまう――。

 押し寄せる不安は、しかしフェッロも感じたものかもしれないのだ。この五日間、今のビアンカよりもずっと、心細かっただろうに。

 こんなところで、ただ震えている訳には、いかない。

 何のためにここまで来たのか。

 浅はかだった自分を恥じる。同時に、今出来る限りの行動で、もうこれ以上迷わないようにするしかない。ビアンカは、自身の頭に戴いているベールを外すと、繊維に沿って裂きはじめた。細長い短冊状の布をいくつも作ると、近くの木の枝にくくりつけた。これで少なくとも今からはもう、目印がないからと迷う事はない。出来るなら、レオンと分かれた場所まで戻りたい。それが出来ないのならば、更に深みにはまらないようにする。

 とにかく、ビアンカがすべり落ちた急勾配はさすがに他にはない特徴だ。あの斜面を目指すと決めると、先ほど布をくくりつけた場所からまた離れてきたので、次の目印を結わえ付ける。思えば、フェッロもこうして帰れなくなっていたのなら、今のビアンカのように何かを目印にと、ものを落とすかくくりつけるかなりしただろう。それがないという事は、フェッロはここには来ていないのか、あるいはそんな余裕もなく、魔獣(モンスター)に……。

「ううん、そんなはずが」

 一度脳裏に描いてしまったものは、簡単には振り払えなかった。どうして想像してしまったのかと、首を振るが消えてはくれない。

 背中の辺りが、圧迫するように重たくなってきた。ぎゅうぎゅうと何かがビアンカの身体の中にいっぱいに詰まる。

 悪夢を追い払おうとするかのように首を小さく振ったビアンカは、目を閉じようとした一瞬前に、淡い光を見た。

 顔の横を通りすがったのは青玉(サファイア)色の細い線――ペルシェのヒゲだった。

 ペルシェは長い尾びれとヒゲを持ち空中を浮遊する、魚にも似た生物だ。自身の体長より倍以上の長さを持つ細長いヒゲは、ひらりひらりと風に揺れる旗のようにひらめいていた。人には懐かないペルシェを間近で見られる機会はそうあるものではない、ついビアンカはペルシェの行く先を目で追いかけてしまった。歩けば追いつけるだろう速さで、十マイスほど先に飛んでいった。

 青玉(サファイア)のペルシェの他にもう一匹、今度は緑玉(エメラルド)の体躯を持つペルシェまでもが、ふうわり空をただよっているのが分かる。二匹だけではなかった。もう十以上のペルシェが、空に虹を作るかのように集まり漂っている。

 その中心にいるのは人間で、顔を隠すほど長い髪の色は白だった。

※マイスは長さの単位。

 一マイス=一メートル

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