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3 「ニーヴの思し召しだと思うんだよ」

寺院(うち)に住んでもいいし、仕事部屋(アトリエ)にしちゃっても大丈夫だよ。守門(ポーター)はそんなには仕事はないしね、副業だと思ってくれて構わない。あ、でももしうちに住むなら、子供たちの面倒も少しは見てもらっていいかな。住み込みなら後は……そうだね。毎食ご飯が付くよ」

 まるで悪い事など何一つないですよ、とばかりに微笑むホープ。守門について彼はちゃんと条件などを指定しているし、危険な目に遭う可能性はあれど待遇は悪くはない仕事ではある。だがあまりにも話が進むのが早すぎて、ビアンカは戸惑ってしまう。というより、突然の職の提供にフェッロが狼狽しているだろうと思っていた。

 確かにこのサン・クール寺院は守門を募集している真っ最中だ。これまでに守門を担当してくれていた男性が高齢を理由に引退し故郷のリュシオルヴィルに帰ってしまった。次の守門を探す必要があるため、町に少なくない枚数の募集の張り紙を貼っている。

「無理にとは言わない。画家の仕事が忙しくなったら辞めてもらっても構わないよ。ただ私としては出来れば寺院に住み込みで働いてもらえたらうれしいけれどね」

「司祭……! フェッロさんのご意見はお聞きにならないのですか?」

 ビアンカは慌てた。このままだとホープの思惑通りにフェッロは守門になってしまうかもしれない。悪い事とは思わないのだが、彼が後悔する事にでもなれば、話は別だ。

 ビアンカはちらと渦中の青年に視線を寄せた。ホープも今度は黙る事にしたようで、ビアンカに倣ってフェッロを見やる。

「……フェッロさん、突然で驚かれたと思います。その、お返事は……よくお考えになってからで構いませんので。もちろん、こちらの急なお願いですし……お気を使わずに断っていただいても……」

「まるでビアンカくんはフェッロくんに守門になってほしくないみたいな言い方だね」

「ち、違います……!」

 ビアンカはかすかに頬を染めた。そんな不躾な事、思ってもいない。どこか拗ねたような様子のホープは、よっぽどフェッロを守門にさせたいのか。

「なにしろビアンカくんを助けてくれたし、とっても良い人じゃあないか。それに剣士の家柄で、腕っぷしも強いときた。私たちには守門は必要だし、フェッロくんにはちゃんとした収入が必要だろう?」

「でも司祭、フェッロさんは画家で……」

 ホープはフェッロが剣士である事にばかり重点を置いているようだ。彼は画家でもあるというのに。画家だから、天井画に涙したのだろうか。ビアンカが思い出そうとせずとも、先ほどの光景は網膜に焼き付いてはなれない。

「仕事を提供してくださる理由が、おれの家柄にあるのなら、お断りします」

 きっぱりとした口調だった。これにはビアンカもホープも、少なからず驚いていた。フェッロという人間は、あまり物を言わずに何を考えているか分からない、というイメージが既につきはじめていたのだ。

「でも、そうではないのなら、少し考える時間をください」




 しばらくビアンカはかすかに足元の落ち着かない日々を過ごした。いずれ答えを出すという青年の到来を心待ちにしているのか。いや、そうではない。守門というのは寺院には必要な人材だ、それにどんな相手が就く事になるかと気に病むのは当たり前の事。前任の守門は人のいい初老の男性だった、彼とは上手くつきあっていけたので、次の守門がどんな人物になるか不安に近いものを抱いても仕方がない。もちろんフェッロが悪い人間ではないのは分かっているが――とにかくビアンカが自分に言い聞かせるようにして過ごしていると、(くだん)のフェッロがやってきた。

 ホープが食堂へと先導し、ビアンカがお茶を提供したのだがそれには手をつけずに、すぐさま保留にしていた案件切り出した。

「先日の話、おれの現状を見かねての事と、純粋に剣士としての技量を認めてくださっての事なら、お受けします」

 ホープはすぐにでも歓迎の言葉を口にしようと喜色満面になるが、それを遮るかのようにフェッロは続けた。

「ただ、剣士の技量をきちんとそちらで判断してほしいんです」

「……というと?」

「剣の試合でも見てもらおうかと」

「そこまでしなくても大丈夫だよ」

「……でも、雇う相手の腕がまともなものか不安になるでしょう」

「うーん、意外と真面目なんだね、フェッロくんは。大丈夫、いざとなったらキジャくんがいるし。それに……」

 ちなみにキジャは本来寺院の人間ではないのだが、寺院に暮らすリーシェという娘に並々ならぬ情熱を傾けているので、半分以上住んでいるのと同じくらい、サン・クール寺院に足しげく通っている。男手が必要な時には、彼の力を借りる事も可能――というよりリーシェが困っていれば彼の参加は強制行事だったりする。が、あくまで寺院の人間ではないという事を、この司祭は忘れているようだ。下手するとリーシェと結婚したら同じ寺院の家族のようなものさとでも思っていてもおかしくないだろう。

 それはさて置き――ホープにはこの青年に思うところがあった。

 フェッロに守門を頼む、最初は思いつきに近いところがあったのだが、この青年の眼差しにはどこか、放っておけないと思わせるものがあった。せっかく誰かの助け手になるのを拒みはしないのに、彼はどこか世間から離れたがっているように見えた。余計なお節介を働かせたいと思うほどには、彼は一人でどこまでも歩いて行っては消えてしまうように思えてしまったのだ。

 ホープの勝手な解釈だろうが、フェッロを、砂漠の中一人ラクダも伴わずに歩こうとしている旅人のように錯覚してしまったのだ。自分たち商隊(キャラバン)と一緒に行かないかい? そう誘うような気分だった。どうせなら、旅路は賑やかな方がいい。

「今回の事は、ニーヴの思し召しだと思うんだよ。困っているところに助け手が来てくれた、この事は」

 それに、万物を創造したニーヴのなす事に、意味のない事なんてないのだ。司祭であるホープはそう信じていた。偶然出会う事になったビアンカが、寺院へとつなげた縁。縁ある事に、意義がこめられていないはずがない。

「急な話だったし、強引だっていうのは分かっているよ。ちょっとは……反省しています。でも、フェッロくんだからこそ頼むんだよ。荷物を投げうってまでビアンカくんを助けてくれるようなお人好しにね」

「荷物……? ……忘れてた」

 フェッロの返しに肩透かしを食らったのはビアンカだけのようだった。まさかすっかり忘れているとは。

 あまりにも手間をはぶいて守門を決めようとするホープを、フェッロはどう思っているのか。寺院の人事に関してはビアンカが知る事は少ない。そう複雑な手続きをする必要はないのだろうとは分かっているけれど、それでも確かに、フェッロが疑問に思うのも道理だった。ビアンカには、ホープの言い分も分かる気がしたが、フェッロの不審も理解出来た。心の奥底では、ひそかにホープを応援している自分も知らずに。

「この寺院は争いごとが少ないんですね」

 だから簡単に初対面の人間でも、登用する。過去に何度も諍いが起こったのなら、もっとホープは警戒しただろうに。フェッロはそう言いたいのだろう。

 だが、ホープは自身の直感を信じたのだ。それを口にする事はなく、彼はただ青年の応えを待った。

「人を信じるのは、悪い事じゃないさ」

 結局、フェッロはサン・クール寺院の守門になる事となった。




   ***




 フェッロは一人暮らしをしていたが、サン・クール寺院へと移り住む事になった。最初は住まいから通うと言ってそれを実行していたのだが、寺院まであまり近くないので、自分の家へ帰るのが面倒になったと言う。

 引っ越し――といってもフェッロの持つ荷物は画材ばかりで家具や日用品などは極端に少なかったが――のために、フェッロが世話になった工房の弟子仲間が四人、寺院に集まった。キジャに頼む事も考えたがそれでも人手は少ないし、ちょうど彼は顔をしばらく見せておらず、この日もリーシェは出かけていて、寺院に現れる可能性は低かった。

 いずれもフェッロの年齢にほど近い男性ばかりが集まった。フェッロの弟子仲間を代表して、エリオと名のる青年が挨拶をし、ホープもそれに応じる。

「どうも、今日は騒がしくしますが」

「いやいや、こちらこそよろしくお願いします」

 最初は、それこそ和やかな雰囲気で賑やかな引っ越し作業だった。もう少ししたらお茶でも入れましょうかね、ビアンカがホープに声をかけていた頃だ。

「ああっ!」

 何かの破れる音がする。

「しまった!!」

 何事か、とビアンカたち見守り組もそちらに意識を向けるが、そこにはフェッロの弟子仲間たちの慌てる姿があるだけ。彼らは眼下に破れた紙を置いていた。その時弟子仲間たちは、聞こえるはずのない、紐の引きちぎれるような音を聞いたとか、聞いていないとか――。

「――何、やってんだ、お前ら」

 凄みのある声が、低くとどろいた。

「誰の、何を、壊してんだって聞いてんだよ!!」

 そこには、凶悪な顔つきの青年が立っていた。前髪は邪魔になったのかよけられ隙間から血走った目が見える。普段の眠たげな無表情はどこへやら、怒りの権化となり顔を悪意に染めていた。弟子仲間たちの元へ向かう足取りは荒く早い。それはよく見なくともフェッロ・レデントーレその人だったのだが、表情でよくぞここまでというほどに、人相が変わってしまっていた。

「テメーかあぁぁぁ?!」

「ぎやあああああああ!!」

 フェッロに殴られた男の血が、宙に飛んだ。血相を変えた弟子仲間たちは皆でフェッロを取り押さえる。

「落ち着けえええ! 絵を描いて心を落ち着けるんだフェッロおおお!」

「絵を描いてくださーいぎゃあ!」

 フェッロは腰の剣に手をかけようとしていた。男たちはそれを取り押さえようと彼を羽交い絞めにする。

「ぶっ殺す!」

 ぎゃあぎゃあとまるでカラスが騒ぐような様子の中、一番の揉め事製造機はもちろんフェッロだった。平素、争い事はさっと避けますというような素振りを見せていたはずの男が、今はわれ先にと暴れている。顔つきはどこの犯罪者だよといわんばかりの、悪意のこもったもの。

 離れた場所で傍観するビアンカとホープは、目を点にするばかりだった。ビアンカは、助けてもらった際にフェッロの機敏な動きを見ているものの、すっかり普段のぼんやりとした彼に慣れてしまっていた。だから、目前の光景が信じられないでいた。

「……フェッロさん……とても、怒っていらっしゃるのでしょうか……」

 きっかけは彼の持ち物の破損だから、怒ってしまったのだろうと、ビアンカはぼんやり思った。


「本当にすいませんでした」

 エリオがうなだれるように謝罪する。寺院の建物自体には被害はなかったものの、植え込みが一部へこんだり気絶した男が転がっていたりと、景観が少々変わってしまっていた。

「フェッロは、その……ちょっと二重人格入ってるっていうか……あるきっかけで“裏”になっちゃうっていうか。あ、オレたちの間では普段を“表フェッロ”とか“表”って呼んでるんですけど、キレると“裏フェッロ”っていうか“裏”になるんです……」

 気まずげに自身のポケットをいじっていたエリオはその中に硬貨を見つけて、さりげない調子で取り出した。ちょうどそれが説明に似合うと思ったのだろう。アーガトラム銅貨の表をホープによく見えるように掲げて、くるくると繰り返しひっくり返した。

「本人あんま自覚ないんで言わないと思うから、オレから言っときます。表から、裏に――キレる時は、主に今みたいにあいつの画材か絵画を壊された時と、画家としてのあいつを貶され続けた時、それからこれが一番多いと思うんすが、血を見た時にさっきみたいになっちゃいます。だから血は見せない方がいいと思います」

 フェッロの友人は表にしていた銅貨を裏にすると、それが暴れだそうとしているかのように小刻みに動かした。それから、動きを止めるとホープの方に表面を向けた。

「表に、普段通りに戻すには、気絶させるか眠らせる――まあ勝手に眠ってくれる場合があるんでその場合で。あとこれが一番やりやすいと思うんですけど、絵を描いてって頼み続けると元に戻ります。なんでかあいつ、絵ぇ描いてっと、表に戻るんすよね。裏だと暴れるのが仕事みたいなもんだから、暴れながらじゃ絵ぇ描けないからですかねえ」

 手の上の銅貨がフェッロ自身とでも思っているかのように、エリオは呆れた目でそれを眺めた。

 そして今、フェッロは絵を描いていた。エリオたちは説得に成功したのだ。疲弊した弟子仲間(せんしたち)は今やゆっくり休んでいる。

 フェッロ・レデントーレの取り扱い説明を伝授されたホープは、しかし愉快そうに目尻を下げた。

「フェッロくんは、面白いねえ」

「ホープ司祭……あなたの器の広さには感服します……!」

 何故かエリオは感動して拳を握っていた。

「別にあいつの二重人格に手を焼いてるわけじゃないんですよ。ただ、あいつ一人でさっさと工房出てっちゃったから……いろいろ気になってたっていうか……。司祭みたいな方がいる寺院で働けるなら、なんつーか、よかったです。あいつ、一人だとまともな人間らしい生活出来ないんで、よろしくお願いします」

「わあ、なんだかお嫁さんもらうみたいだねえ」

「じゃあオレ、フェッロの親父っすか! いやだあんな息子!」

 笑いながら盛り上がっているエリオとホープは何故か握手をしていた。

 一方でビアンカは、糊でもってフェッロの画材である破れた紙片をくっつけていた。これがフェッロの怒りの理由だと思っていたからだ。

「あの、フェッロさん、これ……元通りまではいかないですけど」

「ありがとう」

 普段通りのフェッロに、ビアンカは安堵してしまった。人は誰しも自分の中に譲れないものがあって、それを刺激されれば感情が高ぶる事はある。それでも、ビアンカはいつものフェッロの方が落ち着けるようだ。

 こうして、画家剣士の騒がしい引っ越し作業が終わった。

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