王子を守って顔に傷を負ったら婚約破棄されましたが、傷だらけの国では聖女として溺愛されました
「婚約を破棄する。アリス侯爵令嬢」
「な、なぜですの?」
「君の顔に傷ができたからだ」
◇ ◇ ◇
侯爵令嬢としてわたくし・『アリス』は、この世に生を受けたわ。
こう言うと世の中からは羨ましがられるかもしれない。
しかし、そんなに良いものでもなかったりするのだな、これが。
物心つく前に父と母を同時に亡くし、遠縁の侯爵の親戚に引き取られたわたくしは、その家にとって邪魔者・アリスでしたの。
表向き貴族として非の打ち所のない義母様は、表立ってはわたくしを突き放すこともしなければ、手を差し伸べることもしなかったわ。
外向きにはわたくしと実の子供に対する愛情の注ぎ方は、同じように見えた。
見えるようにしていたから。
だけど、そのように見えても、内向きには自分の子と、わたくしへの愛情では、雲泥の差がありました。
でも、これはこれで仕方ないものだと諦めがついたの。
ライオンの子供と猫の子供では、可愛さが違うのも当然と言えるのだから。
問題は、貴族として半人前の義姉様・『ロザベル』と義兄様・『セグルド』よ。
両親の前でこそ義姉様と義兄様は、羊のように大人しいフリをしてましたが、両親のいないところでは人格が狼に変わったのかと思うくらいに野蛮で、意地悪になったの。
いえ、こちらが本来の人格で、普段が仮面を被っている……そう思えて仕方ないほどに、彼らの人格は崩壊していた。
なんでこんな生き物を神様は創造されたのか、幼いながらも神様を恨みたくなった。
まあ、幼い頃から神様が本当はいないと思っていたわたくしは、本当に恨むことはなかったけれど、無駄だから。
義兄様が「お前のために、お前のおもちゃと遊んでやろう」と言って、わたくしのおもちゃを取り上げて、バラバラに引きちぎるのは序の口ですの。
義姉様は「危ないわ、よけて」と馬車事故からの救出を装って、わたくしを深い川に突き落としたわ。
実際に川に落ちた者でないと分からないかもしれないけれど、服を着たまま泳ぐのは相当泳ぎの上手な者でないと難しい。
たまたま使用人が助けてくれなかったら、わたくしはそのまま溺れ死んでいたと思われますの。
幼過ぎる義姉様に殺意があったかは分からないわ。
年齢が低過ぎることから考慮すれば、殺意はなかったと考えるのが妥当でしょうか、でもわたくしは恐ろしくてならなかったわ。
ところが、そんな悪ふざけで死にかねない冗談のような日々は、ある日、突然終わりを迎えたの。
世の中、何が起こるのか分かったものじゃないわ。
わたくし、なんと聖女候補に選ばれたの。
◇ ◇ ◇
貴族から奴隷まで、ありとあらゆる身分の少女が、聖女候補に選出されたら修道院で修行を開始するわ。
ということは、どうなりますの?
陰惨なイジメに遭ってる家を出て、わたくしも修道院に入れるのです、やったわ。
そのことを聞くと義姉様はわたくしを引き止めたの。
「修道院になんて入ったら、貴族では耐えられないようなつらい生活が待っているのよ。温かい家庭で育ったアリスには耐えられないわ。あなたのためを思って悪いこと言わないからやめときなさい」
……はあ?
わたくしは自分の耳を疑いました。
どの口が言ってますの?
いま以上につらい生活なんてあるわけがないわ。
『あなたのためを思って』と義姉様と義兄様が言って、災厄以外の結果が出たことありましたか?
大体『温かい家庭』ってなんのことなの?
まさか地獄のように冷たい我が家のことなの?
そもそも義姉様がわたくしを引き止めたい動機が分かりませんわ。
しいて想像すれば愛用のサンドバッグがいなくなるとさみしい、ってところですかね?
だったら拳闘場にでも通えば良いじゃありませんか。
たくさん吊るされてますわよ、サンドバッグ。
でも、動いてしゃべるサンドバッグでないと、たぶん義姉様は満足できない身体なんですわ。
狂犬だってサンドバッグにかみついたりはしないでしょうしね。
◇ ◇ ◇
修道院で聖女の修行、初日が始まったわ。
他の聖女候補はバラエティに富み過ぎて、説明するのが嫌になったので、説明は控えさせていただきます。
簡単に言えば、天使のような方から悪魔のような方まで全ての人種が揃ってた。
天国に悪魔もまぎれ込んでいたというのか、地獄に天使もまぎれ込んでいたというのか、何なのか分からない感じ。
それにしても、実家でのつらいことを思えばどんなことにでも耐えられる、とわたくしは楽観的に考えてここにやって来たの。
ですが初日が終わる頃には考えを改めなくはならなかった。
一言で言うと、聖女の修行とはその……地獄でしたわ。
だって、縄でぐるぐる巻きにされて、逆さに吊られた状態で水の中に放り込まれては引き上げられる、というのを何度も繰り返すのですのよ?
仮にもまともな神経を持ち合わせた人間なら、耐えられませんわ。
これって囚人に対する拷問と同じ方法よ?
水属性を得意とする聖女魔法の特訓といっても、限度というものがあるだろうに。
そのような聖女修行でしたから、脱落者の多いこと、多いこと。
意外と思うべきか、そうでないのか、分かりません。
修行が始まって三カ月したころには、候補者はわたくし一人だけになってたの。
わたくし以上に聖女の適性があった人間は、ざらにはいなかったようです。
というわけで、聖女はわたくしに決定いたしましたわ。
天使に選ばれたような強運だったと言えるのかどうか。
だって、まともな家庭に生まれていたら、わたくしはきっと聖女の修行に耐えられませんよ。
三カ月という期間だけ聞くと、一般の方は修行期間がえらく短いと感じるみたいだけど、実際に修行をした身になってみると、三カ月でも長い方だった。
その間に死ぬかと思うような目に数えてないけど、一万二〇〇〇回くらい遭った気がするわ。
本当、自分でもわたくし、よく生きてたと思います。
◇ ◇ ◇
我が国の名前はトレスというのですけど、トレス国の第一王子と聖女は婚約することになってるの。
力と力を合わせて、より力持ちというような発想ね。
頭の固いお偉いさんが喜びそうな婚約の法則よ。
そういうわけで、聖女になってから回り始めた車輪が止まらないように物事が進み、わたくしはジェバ第一王子と婚約いたしましたわ。
端正な顔立ちをしていて、非の打ち所がない美貌のジェバ王子と婚約だなんて、聖女になる前までは全く考えられず驚きだった。
そういえば義姉様が忠告にきました。
「あなたみたいな人が王子と婚約しても苦労するだけだわ。顔だってわたくしよりも劣るのだし、つらい婚約になるのは目に見えているの。悪いことは言わないから婚約はやめておきなさい」
いや、義姉様みたいな人が王子と婚約したらうまくいかないのは目に見えてますけどね?
顔だけは確かに良いから最初は可愛がられるかもしれませんが。
わたくしは誰と婚約したって、実家にいたときみたいなつらい目に遭うことは考えられませんわ。
たとえ犬と婚約したとしても、笑っていられますわよ、きっと。
◇ ◇ ◇
休日のある日、王子の提案で森にピクニックに行った。
しばらく楽しくお茶をしていたわたくしたちを襲ってきたのは、ヴォルグスというA級の魔物だったの。
クマと狼を足したような魔物で、手の指が指先ではなく鎌のような刃になってる。
こんな森に出るはずがない高ランクの魔物だわ。
この場にいるのは、わたくし、王子、義母様、義父様、義姉様、義兄様の六人よ。
普段は低級な魔物しか出ない森なので、こんなことになって、わたくしたちは蜂の巣をつついたように大慌てですの。
中でも一番慌てていたのは義兄様で、逃げようとして転倒していた。
義母様は神への祈りをあたふたと唱えていた。
そんなことをしても無駄なんだけど、育ちが良さそうには思えるわね。
そんな中で、いち早く動いたのは義父様だった。
戦場で戦った経験のある義父様は、一陣の風のように速く剣を抜いて、応戦を開始いたしましたわ。
よく健闘したと言えるでしょうか。
普通の魔物であれば十分に倒せたに違いないわ。
けれど、今回に限っては、はっきり言って相手が悪すぎました。
そうこうするうちに、義父様は崖に追いやられたウサギのように劣勢へと追い込まれたの。
このまま放っておいたら、すぐにでもやられてしまう。
義父様を助けるために、わたくしは聖女魔法を使いましたの。
せっかく聖女の修行をしたのだから、こんなときに使わずにいつ使うのか?
いまでしょう、という感じですね。
「深淵より流れ出でし蒼き命の源よ、我が呼び声に応え、その壁をここに現せ。 水の壁!」
ヴォルグスと義父様の間に巨大な水の壁が出現し、ヴォルグスの攻撃を防ぐわ。
この魔法はヴォルグスといえども簡単には突破できないはず……かどうかは、わたくしの知るところではないの。
ですが、この魔法を使うしかありません。
あとは幸運の女神がわたくしたちに微笑んでくれるのを願って、水を浴びた猫のように逃げるだけですわ。
「さあ、みなさん、いまのうちに逃げ――」
「水神の息吹よ、激流を一本の槍へと束ね、万象を貫く聖なる枝となれ。 水の槍!」
義姉様が魔法を唱えたわ。
天から垂れた無数の水を一本に合わせたような槍が、わたくしの水の巨壁を貫いて、ヴォルグスを攻撃した。
ヴォルグスが大気を震わせるような悲鳴を上げますの。
「グォオォゴォォオォォォ!」
「やったわ、ざまみろ!」
義姉様になんでこんな魔法が使えるのか、と疑問を持たれる方もいるでしょうか。
実は義姉様は意地悪なだけな一般人ではないの。
義姉様はなんと聖女候補だったのですわ。
……わたくしは義姉様から一番遠い言葉が『聖女』という感じがしますが、義姉様には聖女の適性があるのです、なぜか……。
まあ確かに聖女候補には奴隷でもなれる。
言い方を変えれば、義姉様でも立派に資格がある。
……いや、やっぱりどう考えても納得いきませんわ。
それでヴォルグスは手傷を負ったが、倒せたのかと言うと、そんなことはないの。
ヴォルグスには水耐性があり、聖女が得意な水魔法で倒すのは難しいわ。
おまけに槍魔法はわたくしの壁魔法を貫いて、威力がかなり落ちている。
それではますます無理に近いの。
いや、本当に何をしてくれてるの、義姉様!?
壁魔法が弱体化して、これではいつ破られるか分からない状況よ。
ヴォルグスはやっぱり弱体化に気付いたのか、壁魔法に向かって全力で突進してくる。
「やばいですわ! みなさん、逃げて!」
しかし、逃げろと言われても、誰でもが逃げられるわけではない。
特に義兄様は絶望的で、倒れたままで起き上がることさえできない。
立つくらいはせめて自分でやってくださいよ、と言いたいところだ。
バシュン、という重低音を立ててヴォルグスが水にぶつかる。
思っていた通り、水の壁はもうもちこたえられそうにない。
弱くなった壁魔法を突破したヴォルグスは、あろうことか王子のほうに向かって突進してくる。
そして死神が鎌を振るうように、その爪を伸ばしてきた。
「危ない!」
「ひいっ!」
わたくしは王子の前に身を投げ出したわ。
防御魔法で硬化させた身体で、ヴォルグスの一撃をなんとか防ぐの。
「ガァァァアァァァ!」
ほぼ直撃をもらったけれど、なんとか大丈夫。
わたくし、頑丈さには自信がありますから、死ぬことはない。
「ぐっ!」
そのまま硬化させた拳でヴォルグスの顔を狙うわ。
わたくしは右腕を真っすぐに伸ばして、ヴォルグスに右の拳を命中させたの。
正確には左目を。
「グォォオォォォン!」
魔物には弱点らしい弱点は少ないのだけれど、弱点がないわけではない。
魔物も生き物である以上、目も弱点になることが多いわ。
ただ目は小さいから狙うのが難しいし、魔物の真正面に立たないといけないの。
真正面に立てば、攻撃をまともに受ける確率が高いわ。
今回も実際に直撃をくらったけれどね。
わたくしの頭部からポタポタと鮮血がしたたり落ちる。
傷を負ったヴォルグスは、左目をかばうようにしながら森の奥の方へと逃げて行った。
それを見た王子は、ヘナヘナと腰をぬかした。
こういうわけで、なんとかわたくしたちは死の危機から逃げ延びたのですわ。
◇ ◇ ◇
「君との婚約を破棄する、アリス侯爵令嬢」
「え?」
「顔に傷ができた者とは結婚できない」
治療院のベッドで寝ているわたくしに、ジェバ王子はそう言ったわ。
ヴォルグスとの戦闘で、わたくしは頬に傷がつきましたの。
A級の魔物の攻撃に直撃されて、無傷というわけにはいかなかった。
そのことを理由に婚約破棄をされた。
そのときのわたくしの気分は、とても一言では言えないようなものだわ。
A級の魔物から生き延びたことの安堵感。
王子を守れたことへ自負のようなもの。
傷ついた女の顔の価値。
捨てられた婚約者の悲しみ。
……他にも色々な思いがあって、無数の絵の具が混ざったときのように、わたくしの心も混ざっていたの。
カラフルなハンマーに頭を叩かれたようにわたくしは、まともに口をきくことができなかった。
呆然として王子の顔をただ真っすぐに見ていた。
王子は自分の仕事は終わったというふうな顔をしていたのを覚えている。
それが気がついたら、いつの間にか王子はもういなくなっていたの。
わたくしは全く目を離した覚えはなかったのだけれど。
それだけわたくしは時が止まったように呆然としていた。
一人残されたわたくしは、ポツリとこう言ったわ。
「何で……?」
◇ ◇ ◇
「王子が新しく貴族令嬢と婚約したらしいわ」
「え? まだ婚約破棄したばっかりでしょ?」
「その令嬢には命を助けられたので、それでトントン拍子に話が進んだそうよ」
「でも、王子って聖女としか婚約しないんじゃないの?」
「それがその令嬢は聖女候補だったらしくて、今度新しい聖女になるそうよ」
社交界でこのような会話がなされてるとき、わたくしは義姉様・『ロザベル』が新しく聖女となって王子と婚約することを知ったのですわ。
いや、どういうことですの?
わたくしにはさっぱり意味が分からなかったのですが。
社交界からの情報によるとこういうことだった。
【古い聖女アリス(わたくしのこと)は、王子を魔物に遭遇させるという危険な状況に陥らせた。
これは聖女として失格であるので引退させる。
新たに魔物を撃退に貢献した優秀な聖女候補を、新聖女に昇格させる】
部分的にだけ聞けば正しい情報のような気はしますが、実態はまるで違うではありませんか。
あの森を通ることを提案したのは王子で、わたくしではないわ。
むしろ危険性があるからやめておきましょうと、言ったのにも関わらず通ると言い張ったのは王子なの。
義姉様が魔物に手傷を負わせたのは確かだから、撃退の役に立ったと言えないこともない。
だけど、逆襲で王子が襲われる原因になった危険な行為だったのよ。
それを高く評価して昇進とか、あきれて果てて失笑がもれ出ちゃう。
こんなことでは我が国の行く末もあやういわね。
「さて、これからどうしようか」
わたくしは治療院のベッドに寝そべって天井を見上げたわ。
頬に傷がある令嬢を嫁にしたくないのは、何も王族だけじゃない。
普通の貴族だってそうだし、何なら平民だってそうだわ。
もうこの国にいても、わたくしの未来はない。
「ああ、もう、やってられませんわ! 義姉様も王子もうんざり! こんな国、出て行ってやります!」
そう思ったわたくしは、退院して身体が動くようになるとすぐに、他の国に行くことにしたのです。
◇ ◇ ◇
最初に行った国は商人の国・『トレナド』だったわ。
トレスとトレナドで名前が似てるから、昔からよく外国の人に間違われてきました。
戦争のない平和な国で商いが発達してるの。
この国でも顔に傷のある女は珍しいみたいで、わたくしがにっこり笑うと、みんな、ひきつった顔をして遠ざかっていく。
タカから逃げるウサギのようでしたわ。
「思ったよりもうまくいかないものですね……」
わたくしはこの国を去るとすぐに決めましたわ。
見切りをつけるのが早過ぎるとは自分でも思わないでもなかったけど、反応があんまりにもひどいのです。
早々に決心しなければならない状況に追い込まれてしまったのよ。
二番目に訪問したのは、勉学の国・『デミルア』よ。
国民が数学から言語学まで、ありとあらゆる学問に熱中しているわ。
この国の人間は自分がやってることに熱中しすぎて、作業中の自分の手元を見ながら他の人としゃべるの。
だから話した相手の顔なんてまともに覚えていないんだって。
これはいいんじゃないかって、わたくしは思ったの。
その直感は間違っていなかった。
実際にわたくしが話しかけても、全然わたくしの顔を見ずに話し続けるんだもの。
まさにわたくしにうってつけの国だったわ。
わたくしはこの国に住もうと決心するまで、たいして時間はかからなかった。
こうして勉学の国に一カ月ほど滞在してみたのだけど……、残念ながら今度もうまくはいかなかったの。
確かにこの国の人はいつも何かに熱中してて、他人の顔を見ない。
だけど熱中してる状態が一カ月くらい経つと、ぼーっとして一日を過ごす日があるの。
この国ではその日を『ぼーっとする日』と呼んでるわ。
それでね、その日になっちゃうとわたくしの顔を見ちゃうのよ。
いままで一カ月間、何もなく平穏に過ごしてきたのに、猫に見つかったネズミみたいに怯えだしたの。
こうなるともうダメなのよ。
砂漠で見つけた泉のような希望だったけれど、はかない泡と消えたわ。
三番目の国に行ってみました。
もうね、期待なんか全然しないで行った。
行く前に勉学の国で、「危険だから行くのはやめておけ」って言われたんだけど、それも無視して行ったの。
この国はね、戦乱の国・『ビスタ』だったわ。
わたくしたちが住んでるこの大陸の中で、最も魔物が出現する場所、それが戦乱の国だったの。
戦乱の国なんて言ってるけど、実際はそんなに大げさなものではないんじゃないかと思っていたのよ。
だけど、この国に到着して三分で魔物に襲われた。
乾燥麺をお湯で戻す時間じゃないんだから、もうちょっと待てないものかしら。
魔物は挨拶兎と言ってね、この国で一番出現率が高い魔物だそうよ。
なんでも外に出たら挨拶するみたいに気軽に出てくるから挨拶兎と言うんだって。
強さは、さいわいなことに気にするほどではないわね。
これなら子供でも倒せるんじゃないかしら。
それくらい簡単に狩れるわ。
挨拶兎は何でもこの国の主食になってるんですって。
味も美味しいし、くさみだってない。
煮てもうまいし、焼いてもうまい。
さらにすごいことに、寄生虫も細菌もいないから生でも食べられるそうよ。
そんなわけで、わたくしもさっそく自分で狩った挨拶兎を食べながらこの国の人たちとしゃべってたんだけど、この国の人たちは食べながらよくしゃべるわね。
◇ ◇ ◇
「商人の国の王子が聖女と婚約破棄したらしいわ」
「へえ、早かったわね。この前婚約したばっかりだったのに」
戦乱の国の王城では、貴族令嬢たちがそんな話をしていたわ。
どこの国の貴族令嬢もしゃべることは、大体同じようなものよね。
そもそも我が祖国トレスの王城で見かけた顔が、ここ戦乱の国・ビスタの王城でもちらほら見かける。
近隣諸国は大体仲が良いので、貴族たちがそれぞれの行ったり来たりしていることはよくあるの、もちろん例外もあるけど。
そんなことを考えていると、見覚えのある顔から声をかけられた。
王城にはアリの行列のアリみたいに多くの人がいるから、顔に見覚えはあっても名前は覚えていないのだけどね。
「聖女アリス様じゃねえか。ビスタ国へようこそ」
「残念ながらもう元聖女なんですけれどね」
「やや。すると聖女をクビになったっていう噂は本当だったのかよ」
「世の中、外れてる噂はたくさんあると思いますが、この件に関しては本当ですわ」
「確かに外れてる噂は山のようにあるなぁ、オレの噂も外ればっかりだ。はっはっは。ときにビスタ国に来るのは初めてのようだが、我が国の印象はどうでえ?」
「なんだか、不思議な国ですわね。他の国にはない人々の温かさのようなものを感じます。まあ、まだ魔物をしょっちゅう食べてるという印象だけが相当強いのですが」
「確かに我が国は魔物が豊富に獲れる長所があるからなぁ」
「それ、自慢できませんよ?」
「たしかに、はっはっは」
昇る朝日のように明るい人ね。
話してて、陽だまりの中にいるみたいに心地良いわ。
それから一時間ばかり、美味しい魔物の出現場所や魔物の美味しい料理法などの会話をした。
誰だか分からないけど。
「アリス様、この国のことは気に入ったか?」
「ええ、すっかり」
「それは良かった。オレは前からあんたのことが好きだったんだ。オレと結婚してくれ」
「え? け、結婚ですか?」
「オレじゃ嫌か?」
「嫌ではないのですが……ところですみません。結婚以前に、顔に見覚えはあるのですが、名前を失念してしまって……何ていう名前の方ですの?」
「はっはっは。この戦乱の国・ビスタ国の第一王子のエディだ」
「なっ!?」
「気にすることはねえ。名前なんてただの飾りじゃねえか」
「いや、しかしわたくしは顔に傷があって、話もしてもらえないくらいで……」
ここまで言って、はっと気がついた。
エディ王子はいままでわたくしの顔の傷を全く気にしなかったわ。
これまでの国ではそんなことはなかったのに。
「顔の傷か? ああ、そういえばあるな。それがどうした?」
「いや、それで婚約を破棄されたくらいでして……」
「ん? オレは気にしねえよ? 結婚の障害にはならねえよ」
「え? そ、それはわたくしとしてはとてもありがたいですわ。しかし、逆になぜ気にしないのですか? 他の国では気にされるのに……」
「ええ? 改めてそう言われるとなんでだろうな?」
エディ王子は城内をぐるりと見渡して、しばらく考えた。
そこには魔物の肉を楽しそうに食べている人々がいた。
いままで見た国では魔物を食べることなんてあまり見なかったから、魔物の肉ばっかり目に入ってしまうわ。
「そうだな、ちょっと我が国の連中を見てくれ」
「はい、先ほどから拝見しておりますが……魔物しか目に入りません」
「はっはっは。魔物じゃなくて人間に注目してくれ。見てみれば、傷だらけの人間ばっかりだろう?」
そう言われてわたくしは目が覚める思いだった。
もう一度見回してみたのです、ビスタ国の人々を。
確かにそこの方々の身体には数々の傷があったのです。
「我が国は戦乱の国ってくらいだからな。魔物との戦いで傷を受けることは何でもねえことなのさ」
「そ、そうなのですか……そんな話、いままでの常識と違い過ぎて、なかなか頭に入ってこないのですが」
「はっはっは。我が国はたしか変わっておるからな。だが、我が国に入ってきてからいままでのことをよく思い出してみてくれ。オレの言葉がウソじゃねえことが分かるはずだ」
そう言われて、わたくしはこの国に入ってきてからのことを、色々と思い出してみましたわ。
挨拶兎を狩ったときの人々の感心した顔。
兎類がどんな魔物なのか聞いたときの村人の反応。
挨拶兎の料理方法を質問したときの店員の教え。
何度も人と会ったし、何度も会話をした。
村人でも、猟師でも、料理人でも、誰とでも目を見て言葉を交わしてきた。
それなのにこの国の人たちって、わたくしの顔を見ても、何も反応しなかった。
いままでのことを振り返っていると、わたくしの頬にツーっと涙が流れた。
「ど、どうした、急に!? 何か嫌なことでも思い出したか!?」
「い、いえ……違いますの。……逆ですわ。……嬉しくって……この国に来て良かった。……こんなに嬉しいことはございませんわ。わたくし……もうこの傷ができてしまってから……結婚できないと諦めていましたの。……聖女も辞めさせられて……祖国にもいられなくなって……他の国にもいくつか行ってみたけど……それでもダメで。……精神の支柱のようなものが……なくなってしまっていたのですわ。……それなのに……こんなに良くしてもらって……」
王城の石床に、ポタポタと涙が落ちていく。
それを見た王子は、ポケットからハンカチを出して、頬をぬぐったわ。
その動作は、一枚の羽毛を扱うように優しかったの。
「そりゃあ、良かった。それじゃあ、オレと結婚してくれ。あと聖女もやってくれよ。いま我が国には聖女がいねえんだ。でも、聖女のほうは嫌なら断ってくれても構わねえ。とにかくオレは結婚がしてえんだ」
「は、はい……」
「ま、当面のところは婚約で、いつでも破棄してくれて構わねえからな」
「それは安心ですわ。悪いところがあったらすぐに婚約破棄しますので」
「おいおい、勘弁してくれよ」
「冗談ですわ。しばらくは我慢しますわ。他に行ける国もありませんしね」
「はっはっは」
「よろしく頼みますわ」
「こちらこそ、よろしく頼む、商人の国の人」
「え? わたくしは商人の国・『トレナド』の人間ではありませんよ」
「ああ、オレたち戦乱の国に比べれば、あんたたちトレス国も商人がいっぱいだから商人の国なんだよ。名前もトレスとトレナドで似てるじゃねえか」
「ああ、確かによく間違われますわね。うふふ」
「はっはっは」
わたくしたちはお互いの目を熱っぽく見つめて笑い合った。
ん?
いま何か重要なことを聞いたような気がしましたが、何だっけ?
ちょっと何だか分からないので、放っておきましょうか。
◇ ◇ ◇
「エディ王子とアリス嬢の婚約を祝って!」
「それとアリス嬢の聖女就任を祝って、乾杯!」
エディ王子は親しみやすくていい人だとは思っていたけど、想像以上だということがすぐに分かったわ。
国を挙げてわたくしたちの婚約が盛大に祝われたの。
惜しむことのない人々の祝福、喜びを隠さない国民の声が、次から次にわたくしたちにかけられる。
それはもう国中のあらゆる人が、広大な花畑の真ん中にいるわたしたちを祝福してくれるようだった。
婚約と同時に聖女としても活動を始めたのだけど、いままでにないような感謝の言葉の数々を浴びたわ。
トレス国でも、もちろん聖女をやっていたけれど、その頃とは比較にならないほどよ。
聖女をやっててこれほど良かったと思ったことはなかった。
聖女としての人生が報われた瞬間が訪れた、そういう気分になれたの。
いや、こんな良いことが続いてわたくしもうすぐ死ぬんじゃないのか、心配になってくるほどよ。
わたくしもうすぐ結婚するんだ……とか本当に言ってますけど、大丈夫でしょうかね?
「愛しているぞ、聖女アリス様。本当によく我が国に来てくれた。感謝してるぜ」
「わたくしもですわ、エディ王子。いえ、わたくしのほうがエディ王子以上にこの国に感謝しているかもしれませんわ」
何よりエディ王子は、太陽が草花に光を届けるように、わたくしに愛を届けてくれるの。
その愛がポカポカとわたくしの心を温める。
以前のわたくしは極寒の地をさすらう旅人みたいだったけれど、その頃とは大違いね。
そういえば、私の祖国はいまどうしてるかしら?
ま、もうあまり興味もなくなっちゃったけどね。
◇ ◇ ◇
祖国から遠く離れたアリスは、知らなかったことがある。
ビスタ国で噂になっていた商人の国の王子と聖女が婚約破棄したという話。
あれは祖国であるトレス国のジェバ王子と義姉ロザベルの婚約破棄の話であったということを。
ジェバ王子は婚約パレードをしていたときに、観衆にまぎれた暗殺者に命を狙われた。
「ジェバ死ね! この王国を内側から腐らせる病め! 王とならぬいまのうちに取り除いてやるのが世のためだ! 覚悟しろ!」
「ジェバ王子、危ない! がっ!」
暗殺者の手からジェバ王子をかろうじて救ったのは、自らの身を挺した新聖女であった。
つまり義姉ロザベルである。
しかし、その際にロザベルは顔に傷を負ってしまう。
そしてその傷が原因となり、後日、ロザベルは王子から婚約破棄をされてしまう。
「ロザベル嬢、王子との婚約を破棄する。聖女の地位もはく奪だ」
「何でわたくしが婚約破棄されなくちゃいけないのよぉぉぉおぉぉぉ! 王子の命を救ったのはわたくしなのにぃぃぃいぃぃぃ! 婚約パレードをしよう、って言い出したのも王子なのに、なんでわたくしに責任がぁぁぁあぁぁぁ!」
王室の使者からつらい知らせを聞かされたロザベルは、治療院のベッドの上で泣き崩れた。
絶望に染まったその姿は、あまりにも痛々しく、見るに堪えなかった。
しかし、使者はそれを見ても少しも態度を崩すことはなく、無表情のまましばらくロザベルを眺めると、やがて無言で立ち去った。
あとにはひび割れたガラス細工のように傷心のロザベルが残された。
彼女はもう一押しで粉々に砕け散ってしまうかもしれない。
婚約者でなくなり、聖女でもなくなり、今後も結婚ができない彼女に、この後の人生を耐え抜いていくことができるのだろうか。
いままでの人生もつらかったであろうが、これからの人生でもつらいことは起きるのだから。
◇ ◇ ◇
それから三カ月ほど経ったときのことだった。
ジェバ王子は新しい聖女と婚約を発表した。
社交界の貴族たちは一年間で三回の聖女との婚約は、前代未聞だと噂をした。
どこの誰が聞いても異常事態だと思うが、当のジェバ王子はいままでの三回の婚約発表の中で、一番幸せそうな笑顔を振りまいていた。
その理由は、今度の聖女がジェバ王子の幼馴染で、昔から好きな少女だったからである。
しかも、彼女は三人の聖女の中で最も可愛かった。
いままで彼は王子といえども、好きな女性と結ばれることはないと諦めていた。
ところが遠くの歯車と遠くの歯車がかみ合うような偶然が起きる。
幼馴染の少女が聖女としての才能にたまたま目覚めたのだ。
ジェバ王子はこれまでの人生の中で、いまが幸せの絶頂であると感じた。
これまで二人の聖女を不幸にした過去など、まるで意に介さないがごとく、気になどしなかった。
というよりも、もう過去の聖女のことなんかを、脳裏にちらりと思い出すこともなくなっていた。
ジェバ王子の幸せはさらに続く。
聖女との間に赤ちゃんができたのだ。
幼い頃からの愛しい人との間にできた子である。
ジェバ王子は国中から、いや遠い外国からも人を招いて、盛大に祝った。
あとから考えれば、このときが幸せの絶頂だったのだろう。
だが、それと同時に人知れず、不幸は始まっていたのである。
ある日、ジェバ王子が体調を崩した。
最初はただの風邪だろう、とくらいに誰もが軽く考えていた。
しかし、何日経っても症状は軽くならず、かえって重くなるばかり。
徐々に特徴的な症状があらわれて、病名が判明する。
この国では見られないはずの、遠い国特有の不治の病だった。
なぜそんな珍しい病気にかかったのか、王子には見当もつかなかった。
だが、医者は言った。
恐らくは聖女懐妊の祝いの儀のときであろうと。
遠い異国の人間と、王子が会見したときであるからそのときの確率が高い。
それから王子の病状は悪くなる一方だった。
「なぜこんなことに……全ては完璧であったはずだ。……オレもオレの周りの人間も……みんな幸せだったではないか。……なのになぜこんな目に遭わなくては……ならないのだ……」
やがて王子は力尽き、静かに目を閉じた。
永遠の眠りについた若過ぎる王子の葬儀が、しめやかに行われた。
「またか……」
あるトレス国民は呟いた。
トレス国に三人の聖女が誕生した異常な年は、こうして終わりを迎えたのである。
今後、トレス国はどのようにすれば良いのだろうか。
トレス国にはジェバ王子以外に他に王子がいなかったのだ。
元々は他にも二人の王子がいたのだが、なぜか他の王子は若くして急死していたのだ。
良い兆しはどこにも見当たらなかったし、希望の光がまるで見えなかった。
誰の目から見ても、救いの糸口は少しもなかった。
国民は今後のトレス国のことを思うと、ため息をついた。
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