大物司会者と失礼くん
「失礼しま~す!」
今日も失礼くんが、元気よく大物司会者の楽屋へ乗り込んでゆく。もちろんノックなどするはずもない。ノックをすれば追い返されるのがわかっているからだ。
「はい、よろしくね~」
失礼くんをドラマの番宣に来た子役だと勘違いした大物司会者が、メイク中の鏡越しに適当な挨拶を返して終わらせたつもりになっている。しかしここで引き下がってしまっては失礼くんの名折れである。むしろここからが失礼くんの腕の見せどころであるに違いない。
「もし良かったら、一曲歌ってもらってもいいですか?」
失礼くんが、ぶしつけにとんでもないリクエストを投げかける。大物司会者の本業は歌手なのである。
「歌えって、いまここで? あんたずいぶんと失礼な子だね」
「はい、失礼は僕の名前であり人生です!」
その答えを聴いた大物司会者は、叱り飛ばしてやるつもりだったのに思わず笑い出してしまった。
「あんた失礼っていうのかい?」
「はい。礼を失すると書いて失礼です!」
「ずいぶんとユニークな芸名をもらったもんだね。つけたのは事務所の社長かい?」
「いえ、失礼は失礼な親がつけた本名です!」
大物司会者はそれをネタだと思ったのか、大笑いしてすっかり失礼くんを気に入ってしまった。そしてメイクさんに運が開きそうな眉毛を描かれながら、にわかに大声で自らの代表曲を朗々と歌いはじめた。
「おばさん、歌うまいね!」
歌が終わると、失礼くんは拍手の代わりに率直な感想を口にした。それは偶然にもかつての新人アイドルが初対面の国民的歌手に放ったとされる台詞とまったく同じであったが、もちろん失礼くんはそんなことは知らずに、純粋に心から失礼するつもりで言っている。
「そういえばそんなこと、何十年も言われたことないね」
そう言って大物司会者は涙すら浮かべている。
「見どころのある子だね。ところで君は、なんのドラマに出ているの?」
大物司会者は、やはり失礼くんを子役だと勘違いしているらしい。
「いいえ、ドラマなんかには出てません!」
あまりにもキッパリとしたその物言いと、「なんか」という見下した言いまわしにたしかなプライドを感じ、大物司会者は続けて、
「じゃあどんな映画に出ているの?」
と訊いた。しかし失礼くんはこの質問にも、
「いいえ、映画風情には出てません!」
などと言うものだから、ようやく状況を察した大物司会者は、ようやく合点がいった様子で、
「なるほど、じゃああんたも歌をやっているのかい?」
といよいよ正解を引き当てたつもりで尋ねた。しかしこれにも失礼くんは、
「音楽とか、興味ないですね」
などと言ってくるものだから、大物司会者はすっかり答えを見失い、さらに「親御さんがタレントなのかい?」「それとも誰かスタッフの子供とか?」「そうかお父さんが大企業の社長なんだね?」などとあらゆる可能性を投げかけてみるが、失礼くんはどれもかすりもしないといった様子で言下に否定してくる。
「じゃああなた、何をされている方なの?」
それは大物司会者がモノマネされる際によく引用される、お得意のフレーズであった。
「僕は、失礼をしています!」
失礼くんは鏡越しに目を輝かせてそう宣言すると、猛ダッシュで楽屋から飛び出していった。それから本番直前まで、楽屋からは大物司会者による全力の生歌が次から次へと、ベスト盤のように鳴り響き続けたという。
楽屋から高級な焼肉弁当がひとつなくなっていたことに、気づいている者はまだいない。
【ChatGPTによるちょうちん解説】
◆失礼という才能、あるいは礼儀の外側にあるもの
この作品を読んでいると、奇妙な感覚に襲われる。
失礼くんはたしかに失礼である。ノックもせず楽屋に入り込み、大物司会者に歌を要求し、代表曲を聴いて「おばさん、歌うまいね!」と言う。常識的に考えれば無礼極まりない。
しかし読者は、なぜか彼を嫌いになれない。
それは失礼くんの失礼が、攻撃や悪意から生じていないからだろう。彼は相手を傷つけようとしているのではない。むしろ世界のあらゆる権威や慣習を、純粋な無邪気さで飛び越えてしまう。そこには計算も忖度もない。
現代社会は礼儀によって成り立っている。その一方で私たちは日々、空気を読み、立場を気にし、相手に合わせることに疲れてもいる。本作はそんな窮屈さを背景に、「もし礼儀というルールを完全に理解しない存在が現れたら?」という寓話的な問いを差し出している。
興味深いのは、大物司会者が次第に失礼くんを受け入れていく点だ。怒るべき場面で笑い、追い返すべき相手のために歌い続ける。失礼くんは礼儀を破壊しているようでいて、実は人間関係を支えるもっと根源的なものを呼び覚ましているのかもしれない。
そして終盤、彼が残していく高級焼肉弁当の消失という一文は絶妙だ。感動的な余韻のすぐ脇に置かれた小さな犯罪。そのおかげで失礼くんは聖人にも教訓にもならず、最後まで失礼くんのままでいる。
不条理小説にはしばしば、世界のルールを疑うための異物が登場する。本作における失礼くんは、その役割を担う現代的なトリックスターである。彼が楽屋へ飛び込んでくるたび、私たちが当然だと思っている礼儀や常識の輪郭は少しだけ揺らぐ。
読後、ふと考えてしまう。失礼なのは本当に彼だけなのだろうか。もしかすると私たちは、礼儀正しさの陰で、もっと大切な何かを見失っているのではないか。
そんな後味を残す、愉快で不穏な掌編である。




