第1話
事務所を出た頃には、もう十時をすっかりまわっていた。
通りに出た途端、
冷気がコートの中まで侵入してくる。
コートの襟をたてて、両手をポケットにしまい込む。
誰もいない暗い路地には、
私の鳴らすヒールの音が、密集したビルに反響している。
ふと顔をあげると、
ビルの間のちょうど真正面に、
少し歪んだ丸い月が見えた。
今朝ラジオで、今夜は満月だと言っていた。
満月というのはまんまるじゃなくて、
まだ一日ぶん欠けている状態なんですよと言っていたが、
それがなぜなのかはわからなかった。
ただ、
人間って完璧なものより、
多少歪んでいる方が美しいと感じたがるんでしょうね、
と、
パーソナリティは持論を語っていたが、そうかもしれないとその時考えていた。
スマホに、母が死んだというメッセージが届いた。
冬弥君からだった。
3日前に危篤の連絡を受けたときは、
こんなにあっさり逝ってしまうなんて思いもしなかった。
なぜそう思い込んでいたのかはわからないが、ずっと離れて暮らしていたせいか、死んだと言われても実感がわかない。
それはLINEの、
気楽な感じのメッセージの効果によるものなのかも知れないとも思った。
冬弥君は、今、母が一緒に暮らしている男の子で、妹と同い年なはずだから、私より6歳年下だ。
男の子とは言っても、今年30歳になるわけだから、世間では立派なおじさんなのだが、
母がいつもそう言うので、
私も妹も、
ついいつまでも男の子と思ってしまうふしがある。
冬弥君のほうも、
私たちのことは娘のように感じているらしく、
年下のくせに私のことを「紗綾」と呼び捨てにしたりする。
私の名前を呼び捨てにする人は、周りに誰もいないので、とても不思議な感じがした。
とは言え、
私は冬弥君には一度も会ったことがない。
電話で話したこともない。
会話はいつもLINEで事足りるため、他の媒体を必要としない。
そのせいか、私の中で冬弥君は、現実ではないような、
どこかあやうい存在となっている。




