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グリッチライダー・サーガ

アイテリア(飛翔天使)

作者: さだきち


作業場の空気は、常に熱を帯びていた。

金属とオゾンの匂いが入り混じり、溶接音と微細な電磁波の唸りが空間を満たす――それがルイード・ファスの仕事場だった。


違法だと知りながらも、彼は今日もまた、一振りのクロノソードを作り上げていた。

刃の本体は、磁場で閉じ込めた高密度プラズマによるプラズマ収束構造。緻密な周波数制御と磁場パターンが要求される、まさに命を懸けるに値する職人の技術の結晶だった。


「今月の依頼は五件か……いつもより少ないな」


ルイードは一息つきながらも、気を抜くことはなかった。

数が少ないからといって、一振りたりとも手を抜かない。それが、彼が職人として貫いてきた流儀だった。


だが――。


バチッ……という微かな音とともに、制御装置の針が異常な揺れを見せた。

ルイードが眉をひそめると、プラズマの内部で不規則なノイズが走る。


「……やっちまったか」


磁場の歪みによる、粒子状のプラズマの漏れ。

刃が展開されると、エネルギーが零れ落ちるように飛散してしまう。これでは、斬撃どころか自爆の危険すらある。


「チッ、こんな何でもない時に、気が緩みすぎだな……。やり直しだ」


不機嫌そうに唸りながら、ルイードはそのクロノソードを手に取ると、作業場の隅へ放り投げた。


---


「とーちゃーん!また何か作ってるの?」


扉が開き、元気な声が響く。

ルイードの娘、セシリアだ。十歳にも満たない少女だが、父親の仕事場が大好きで、暇さえあれば入り浸っていた。


「あっ、これなに?」


彼女は作業場の隅に転がっていた失敗作のクロノソードに目を留めると、まるで宝物を見つけたかのように駆け寄ってスイッチを入れた。


ヴゥン――。


淡い光をまとい、クロノソードが起動する。だが、刃はまともに形成されず、細かな光粒子が零れ落ちるように空中を舞った。


「わあ……すごーい!なにこれ、キラキラしてる!」


粒子状のプラズマがまるでリボンのように宙を舞う。

セシリアはその光を纏いながら、くるくると回転し始めた。

まるで舞台の上のバレリーナのように、軽やかに、優雅に――。


「危ないから、やめろッ!!」


ルイードの怒号が作業場に響く。だが、セシリアはまるで聞こえていないかのように笑いながら踊り続ける。


(あぶねぇ……まったく、何考えてやがる……)


そう思いつつも、ルイードの目は自然とその舞に見入ってしまっていた。

粒子が光の帯を描き、少女の小さな体がその中心でくるくると回る様子は、どこか神聖な美しさすらあった。


しかし――。


「……いい加減にしろッ!!」


ルイードは駆け寄ると、クロノソードを娘の手から奪い取り、娘の額にゴツンと拳骨を落とした。


「いってぇ!なにすんだよ、クソおやじっ!!」


セシリアは目に涙を浮かべてルイードを睨みつける。


「うるせぇ!危ねえだろうが!あっち行ってろ!」


言い捨てるようにそう叫び、ルイードは娘を作業場の外へ追いやった。


---


……静けさが戻った作業場で、ルイードはさっきまで娘が舞っていた場所に目を向けた。

床にはまだ、淡く光の粒が漂っている。微弱ながらも、それは確かに、彼の作り出した“失敗作”が生んだ、奇跡のような光だった。


(あいつ……器用だな)


ルイードはふっと鼻で笑いながら、そのクロノソードを再び手に取った。

捨てようとしていたそれを、彼は作業台の隅に丁寧に置いた。


その日から、その“失敗作”は捨てられずに、いつもそこに置かれるようになった。

セシリアはまた来る。遊ぶ。くるくると舞う。


それが、ルイードにとっての静かな日常だった。


---


空は抜けるように青く、小型航空機が幾筋もの白い尾を描いて飛んでいく。

その中の一つ――最新鋭のVTOL型パーソナル・エアクラフトが、グライムス・コーポレーションの上空に差しかかっていた。


この企業は、空を走る未来の乗り物と、テレポーターによる燃料供給網の構築を両輪に、世界中の都市インフラを支えている。

創業者の遺産を継いだのは、一人の野心家。

その名は――アルベルト・グライムス。


彼の執務室には、今日も一通の報告が届いていた。


「社長、報告いたします。フォーブス研究所――小さな独立系の研究機関ですが、調査の結果、世界初の“無限距離テレポーター”の開発に成功したようです」


眼鏡をかけた部下が、分厚い資料を机に差し出す。

ページには、いくつもの試験データが並んでいた。


「距離無限……だと?」


アルベルトの眉がわずかに動いた。


「はい。既存のテレポーターが依存しているノード間接続の制限を打破し、理論上は“どこへでも、何光年でも一瞬で移動可能”とのことです」


その言葉に、アルベルトの口元がゆっくりと笑みに変わる。


「――よし。狙い通りだ」


椅子から立ち上がると、窓の外を見下ろした。

都市は彼の足元に広がり、その下には無数の人間の生活が蠢いている。


「今すぐ、フォーブス研究所を買収しろ。技術も、研究者も、全てグライムス・コーポレーションのものにするんだ」


「かしこまりました」


---


その頃――


TPB本部、イングリッド王国首都区。


女王にしてTPBの最高権限者、レベッカ・イングリッドは、緊急の報告を受けていた。


「女王陛下、フォーブス研究所が発見した新型テレポーターについて、機密資料が出回り始めています。技術の真価とともに、その危険性も極めて高いと予測されます」


レベッカは報告書に目を通し、すぐに理解した。

――これは、世界の転覆を招きかねない“扉”だ。


「グライムス・コーポレーションが不穏な動きを見せています。資金の大規模な移動も確認されました。買収に動いているのかと」


「……やるわね、アルベルト」


レベッカは冷たく微笑むと、端末を手に取り、即座に命令を下した。


「国家安全法による特別措置命令を発動。フォーブス研究所はTPBの管理下に置く。

さらに、グライムス・コーポレーションへの買収差し止め命令も同時に発出して。急いで」


「はっ!」


---


「……大変です、社長。TPBから買収の差し止め命令が発令されました」


部下の報告を受けた瞬間、アルベルトの表情が一変する。


「……おのれ、レベッカ・イングリッド!!」


手元のガラスのコップが粉々に砕け、床に散る。


「俺の邪魔をしやがって……っ!!」


部屋に怒声が響き渡る。


しばらくして、部下が恐る恐る口を開いた。


「しかし……確かに距離無限のテレポーターは革新的ですが、そこまでして手に入れる価値があるのでしょうか?」


アルベルトはゆっくりと彼に向き直ると、低く囁くように言った。


「……ふっ。お前は何も分かっていないな」


執務室の壁に設けられた金庫へ歩み寄ると、内部から黒く鈍い金属製の“コイン”を3枚、取り出す。


「あれがあれば、“国”さえも飛び越えられる。TPBの支配も、ルールも、すべて無意味になる。

世界が変わるんだよ――“あれ”さえ手に入ればな」


部下の顔に緊張が走る。


「社長、それは……まさか、グリッチライダーを……?」


「そうだ。あの忌まわしくも自由な連中に頼るときが来た」


3枚のコインが、金属音を立てて机に転がる。


「このコインを持って行け。グリッチライダーを雇え。研究所から、テレポーターの試作品を奪わせろ」


「……本当に、いいのですか?」


「構わん。早く行け」


その目は、すでに世界の頂点しか見ていなかった。


---


「よし、次は脚部の推進バランスだ……」


工房の空気は熱を帯びていた。

火花を散らす溶接の音、低く唸る発電機、そして壁にずらりと並ぶ無数の設計図。


そこは、グリッチライダー御用達の職人工房。

その主――ルイード・ファスは、溜息まじりに作業台から顔を上げた。


「クロノスーツ・プロジェクト」

それは彼を含む三人の職人が力を合わせて立ち上げた、空を飛ぶ重装アーマーの開発計画だった。


装甲、火力、そして飛行能力。

それらを最小限のサイズに凝縮し、実戦で使えるスーツを造るという壮大な夢。


だが現実は、夢ほど甘くはなかった。


「……完成したのは、これだけか」


作業台に置かれたのは、ブーツ型の機動装置――通称、《ケラヴォルト》。

脚部に装着することで、桁違いの跳躍力を得られる、試作品の一部だ。


極小サイズのテレポーターと、同じく極小のジェットエンジンを内蔵。

燃料もバッテリーも不要、TPBの目を盗んで空間から直接プラズマエネルギーを引き出す構造になっている。


それは、グリッチライダーの精神そのもの。

自由を求め、管理社会の網からすり抜ける者たちにとって、理想の装備だった。


――だが。


「……他の奴らが止まったままじゃ、どうしようもねぇな」


仲間の一人は開発に詰まり、もう一人は――資金を持って夜逃げした。


それ以来、プロジェクトは止まった。

背中用のスタビライザー、腕部の姿勢制御スラスター……肝心の“空を飛ぶ”機構は、完成していない。


ケラヴォルト単体では、空を跳ぶことはできても、飛ぶことはできない。

重力と空気の支配下で、姿勢を崩せば即死もありうる。


ルイードは、未完成のブーツを見つめながら天井を仰いだ。


「……やってらんねぇな。どいつもこいつも、最後まで付き合いやしねぇ」


その時だった。

ドアが軋み、静かに開く音が聞こえた。


「お父さん、最近やせたよね? ガリガリじゃない? どうかしたの?」


振り返ると、そこには成長した娘――セシリア・ファスの姿があった。


彼女は、かつて失敗作で遊び、今では一人前のグリッチライダー“アイテリア”として名を上げていた。


ルイードは微笑みながら、嘘を一つ。


「まあ、年が年だからな。ダイエット中ってやつだ。健康に気を使ってんのさ。……ところで、何の用だ?」


セシリアは、ブーツに目を向けた。


「その《ケラヴォルト》、私にちょうだい」


唐突な願いに、ルイードは目を細めた。


「こんな靴だけじゃ、空は飛べねぇぞ? 無茶な跳躍はできるが、着地を誤れば即死だ。どうする気だ?」


しかし、セシリアは揺るがない瞳で答えた。


「……昔から、お父さんの失敗作は私の宝物だったの。

このケラヴォルトだって、私なら使いこなせるよ」


彼女の腰には、すでに完成された武器があった。

――零刃ゼロブレード


それは、かつての失敗作の延長線上にある、セシリア専用の特殊なクロノソード。


ルイードの胸に、古い記憶が蘇る。


作業場の隅で、失敗作を持って、くるくると舞っていた幼い娘。

粒子の煌めきの中で笑っていた、その姿。


「……まったく、お前は昔っから、俺の後始末ばかりさせられてるな」


ルイードは、静かにケラヴォルトを差し出した。


「失敗作ばかり作る父親ですまんな」


セシリアは首を振り、にこりと微笑む。


「違うよ。私にとっては最高傑作だもの」


二人の間に、しばしの沈黙が流れる。

だがそれは、後悔や断絶ではない。

絆という名の、静かな肯定だった。


父が託した未完成の夢。

娘が背負ったその意志は、やがて空を舞う一陣の風となる。


そして、この日渡された《ケラヴォルト》は、いずれ世界を救う跳躍を可能にすることになる――


---


TPBの管理下にある研究施設。

その場所は、かつて「フォーブス研究所」と呼ばれた小さな独立機関だった。


だが今では、国家安全法に基づく特別機密施設として保護され、

周囲は高さ3メートルの塀に囲まれ、TPBの警備員たちが常時巡回している。


昼下がりの穏やかな午後――

空から一陣の風が吹き下ろされた。


「……何だ?」


警備員の一人が空を見上げる。

そこに現れたのは、まるで鳥が羽ばたくかのような、美しい軌道。


一人の女性が、小型のジェット噴射を制御しながら、優雅に着地した。


それは、グリッチライダー――アイテリアの姿だった。


「不審者発見! 至急、応援を要請する!」


警備員が無線を握りしめて叫ぶ。

その声に呼応するように、施設の各所から武装した警備員たちが集まってくる。


だが次の瞬間、彼女は地面すれすれに身を沈め、

ケラヴォルトのジェット噴射で滑空するように猛スピードで突進した。


「う、動きが……!」


警備員たちはクロノガンを構えるも、視界に映るのは残像ばかり。

彼女の動きに、反応が追いつかない。


「トライスラッシュ!」


アイテリアの声とともに、零刃ゼロブレードが粒子を撒き散らす。

三角形のプラズマ粒子が宙を舞い、建物の金属製の扉にぶつかる。


バリバリッ!


鋼鉄の扉が三角形のエネルギーに切り裂かれ、ボロボロに崩れた。


「くっ……!」


警備員たちが後退する間もなく、さらにいくつもの三角形の刃が放たれる。


「うおっ、あぶねっ!」


警備員たちは身を翻して避けるが、

その軌道はまるで空間を操るかのように滑らかで、どこまでも優雅だった。


三角形のプラズマは、しばらく宙を漂い、やがて淡く消滅していく。


混乱の中、アイテリアは建物内部へと突入した。

警備員たちの銃撃をケラヴォルトの機動力でかわし、

時に金属ブーツで蹴りを放っては、敵を昏倒させていく。


深部へ、さらに深部へ――

目指すはたった一つ、テレポーターの試作品。


重い扉の前で足を止めた彼女は、ブーツの底にジェット噴射を集め――


「……っ!」


爆発的な蹴りで扉を破壊し、中へ飛び込んだ。


そこにあったのは、研究者たちが命を賭けて設計した小型の転送装置。

彼女はそれを軽々と抱え上げると、再び建物の外へ――


屋上の窓を蹴破り、空へ跳び上がる。


青空の彼方へ、跳ねるように駆け上がり、

アイテリア――グリッチライダーは空の彼方へと姿を消した。


ほんの数分。

まさに一瞬の出来事だった。


──その瞬間、TPBの重要機密は奪われた。


---


TPB本部、王宮内。


「女王、緊急報告です!」


部下が駆け込んできた。

レベッカ・イングリッドは、書類に目を通していた手を止め、顔を上げる。


「何があったの?」


「グリッチライダーが研究施設に侵入し、テレポーターの試作品が奪われました!」


「……警備員の被害は?」


レベッカは即座に問い返す。

部下は端末を見ながら答えた。


「死亡者はありません。怪我人は数名出ていますが、いずれも軽傷です。後遺症も出ておりません」


レベッカは静かに頷いた。


「……なるほど。死者も重傷者もなし、ね」


その目がわずかに細められる。

ただの偶然ではない。――あれは“殺さないように”戦っていた。


「ま、まあ、一応そういうことにはなりますが……」


部下は困惑した表情を浮かべるが、レベッカの表情はどこか確信めいていた。


彼女は、ゆっくりと遠くを見つめるように窓の外を見上げ、そして決意の光を瞳に宿した。


「……動くわよ」


その一言に、周囲の空気が静かに引き締まった。


---


「すごい!SOCEに一発合格したって?やったわね、クレア!」


職場の同僚たちが、明るい歓声とともにクレア・バンホーテンを取り囲んでいた。


SOCE――TPB上級監査資格試験。

交通管理局の中でも、特に選ばれた者だけが受験できる、狭き門の昇進試験だ。


「えへへ…まぐれよ、まぐれ。ただの運だって」


クレアは少し照れたように笑い、控えめに答える。


「そんなことないって~!今度会うときには、もう上官になってるんだから!こりゃえいっ、このっ!」


冗談めかして肩を小突こうとする同僚に、


「じゃあ、上官権限でめちゃくちゃ残業させちゃうぞ?」


クレアも負けじと笑い返す。


その和やかな空気を断ち切るように、突然、上級士官の声が飛んだ。


「クレア・バンホーテンはいるか?」


「はい!ここにおります!」


瞬時に直立し、クレアはぴしりと敬礼した。


その様子に、周囲の同僚たちはざわめいた。


「……なに?あれ?ロイヤル・ガーディアン?」


「まさか、イングリッド王国直属の……!?」


驚きと尊敬の視線が集まる中、クレアはロイヤル・ガーディアン所属の輸送機に乗せられ、王国本部へと向かう。

TPBの中でも限られた者しか踏み入れることのない、その地に――


長い廊下を静かに進み、重厚な扉の前に立つ。


「……失礼します」


ノックの音のあと、中に入るよう促される。

案内役の男性職員は「ここでお待ちください」とだけ言い残して部屋を出ていった。


しんと静まり返った室内。

しばらくの沈黙ののち――


扉の奥が静かに開いた。


そこから現れたのは、気品と威厳に満ちた一人の女性。

その姿を見た瞬間、クレアは息を呑む。


「……レ、レベッカ・イングリッド陛下……!」


女王本人。しかも、こんなに近くで。

言葉を失ったクレアは、慌てて立ち上がり敬礼をした。


「TPB巡査官の、クレア・バンホーテンですっ!」


女王は小さく笑みを浮かべる。


「ふふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫よ。座って、いいわ」


言われるがまま、クレアはおそるおそる椅子に腰を下ろす。


「突然で悪いんだけど、ここで話す内容はすべて機密事項。口外は厳禁。守ってくれるわね?」


「……承知いたしました、女王陛下」


真剣な表情でうなずくクレアに、レベッカは静かに言葉を続ける。


「TPBの機密が、グリッチライダーによって盗まれた件――知っているわね?」


「はい。知っております」


「その件で、少し……あなたに協力してもらいたいの」


レベッカはそう言うと、テーブルの上に5枚の黒いコインを並べた。


「あなたも、グリッチライダーに助けられたことがあったわよね?」


「え……それは……」


「無理にとは言わないわ。これは依頼じゃなくて、選択肢よ」


レベッカの声は優しいが、瞳には強い信念が宿っていた。


「このコインを使って、グリッチライダーを雇い、奪われた機密を取り戻してほしいの。

でも、断っても構わないわ」


クレアは迷わず尋ねる。


「……女王陛下、その機密とは一体何なんでしょうか?それほどのリスクを冒すほど重要なものでしょうか?」


レベッカはふっと微笑み、静かに答える。


「その疑問、もっともだわ。

いい? その機密は、“無限の距離を一瞬で移動できるテレポーター”なの」


「無限の距離……? それって、どこへでも行けるってことですよね。確かにすごいですが……正直、それがなぜそんなに重要なのか、ちょっとわかりません」


クレアの率直な反応に、レベッカは頷いた。


「量子もつれと時空の曲率。この2つの異なる物理法則が、特定の条件下で共鳴することによって起きる現象――“量子時空共鳴(Quantum Spacetime Resonance)”。聞いたことある?」


「は、はあ……いや、さっぱりです」


「でしょうね。簡単に言うと――

そのテレポーターで宇宙を一周すると、元の位置に戻ってきたときには“1時間未来”に到達しているの」


「……えっ!? それって――」


「そう。逆回転すれば、“1時間過去”にも戻れる。

つまりこれは……タイムマシーンなのよ」


「……タイムマシーン……!」


クレアは言葉を失う。


「今はまだ、たった1時間だけ。

でも技術が進めば、数時間、数日、数年……世界はどう変わってしまうか、誰にもわからない」


「希望にもなるけど、破滅の引き金にもなりえる技術……」


「だからこそ、国際的な監視のもと、慎重に開発されるべきなの。

……アルベルトのような個人に、絶対に渡してはならない」


レベッカの声は厳しく、そして真剣だった。


その瞳に見つめられ、クレアは迷いを捨てた。

テーブルに置かれた5枚のコインに、静かに手を伸ばす。


「……重要性、理解しました。

クレア・バンホーテン、これより任務にあたります」


その言葉を聞き、レベッカは微笑みながら告げた。


「TPB最高権限により、ただいまをもって――

“フェイズセンチネル”に任命します」


「フェイズセンチネル・クレア・バンホーテン。よろしく頼んだわ。あなたに、期待している」


静かに、だが確かに、クレアの運命は動き出していた――。


---


薄暗い照明の中、古びたスピーカーからは、くぐもったジャズが流れていた。

どこか場末の空気を漂わせる、小さな酒場。

だが、この店には表に出せない“もう一つの顔”がある――グリッチライダーたちの非公式な連絡所だ。


私服に身を包み、地味なジャケットを羽織ったクレア・バンホーテンが、静かに扉を開けた。

TPBの人間と気づかれないよう、慎重に身なりを整え、目立たぬように奥のカウンターへと歩く。


そっと腰を下ろし、カウンターに黒いコインを2枚、静かに置いた。


しばらくして、店主と思しき男がカウンターの奥から姿を現す。

無言でコインを手に取ると、低くつぶやいた。


「……珍しいな。TPBが何の用だ?」


「え?……な、なんでTPBってわかったの?」


クレアは驚きに目を見開く。


店主はにやりと笑い、肩をすくめる。


「それを教えたら、商売になりませんよ、お嬢さん」


その言葉に、クレアは少し気まずそうに視線を落とした。


「で、何のご用件で?」


「あ、うん……グリッチライダーを指名したいの」


「どんなのを?」


「この前、TPBから機密を奪ったグリッチライダー。……って言えばわかるかしら?」


店主は少し眉を上げ、奥の席のひとつをあごでしゃくった。


「アイテリアか。あそこに座ってるぜ」


クレアの視線がそちらに向かう。


そこには、年齢的にクレアより5、6歳は若そうな女性が一人、グラスを指先でくるくる回していた。

一見、子供っぽさすら残るあどけない顔。しかし、その瞳は油断なく、鋭い。


「……この子が、あの?」


クレアは疑念を抱きながらも、その席に歩いていき、向かいに腰を下ろす。


「アイテリア……よね?」


女性はじっとクレアを見つめ、口元に皮肉な笑みを浮かべる。


「なあに? 私の顔に何かついてる? ジロジロ見ないでよね」


「あ、ご、ごめんなさい」


クレアはあわてて目をそらし、ポケットから3枚のコインを取り出してテーブルに置いた。


「……依頼を、受けてくれる?」


その瞬間、アイテリア――セシリアは口元を吊り上げ、ふふっと笑った。


「へぇ……そっか。これがブラック・エテルナムと寝た女ね?」


「――ば、ばっ、ばっかじゃないのアンタ!! 私はただ一緒に寝ただけよ!」


怒鳴ったクレアの声に、酒場の空気が一瞬凍り、客たちの視線が一斉にこちらへ向けられた。


セシリアはそれを気にも留めず、楽しげに続ける。


「だから、“一緒に寝た”んでしょ? ね?」


「違うわよ!! 何もしてないんだから! バーバラちゃんも一緒だったし、三人で寝てただけ!!」


「……言えば言うほど、妄想が広がるわね…まあ、いいわ」


セシリアは肩をすくめ、グラスをくいっと傾けた。


「……まあ、いいわ、じゃないわよっ!」


一度声を荒げかけたクレアだったが、深く息を吸い込んで落ち着きを取り戻す。


「……ごめんなさい。依頼の内容だけど……この前TPBから奪った試作品を、もう一度取り返してほしいの」


「……ふぅん?」


セシリアの目が、冷静に、鋭く光る。


「つまり、前に盗んだブツを、今度はそれを買ったお客から奪い返せってこと? あはは、ぶっ飛んでるわね」


「……イヤなの?」


クレアが少し意地を張るように問いかけると、セシリアはにやりと笑った。


「いいえ。すごく気に入ったわ」


そう言ってテーブル上のコインを手に取る。


「機密は……あなたに渡せばいいの?」


「ええ。このリンクに連絡して」


クレアは小さな端末を操作し、セシリアの端末に暗号化された通信リンクを送信した。


セシリアは立ち上がり、ウィンクをひとつ。


「じゃあ、期待して待っててね――お姉さん?」


そう言って、投げキッスをよこしながら軽やかに踵を返した。


「……期待しないで待ってるわよ!」


クレアはムッとした表情で悪態をつきながらも、その背中を見送るしかなかった。


だが、どこか――ほんの少しだけ、心が軽くなるのを感じていた。


---


グライムス・コーポレーションの本社ビルの向かい側。

まだ工事中のビルの壁面に、身軽な影が一つ張り付いていた。

それは、先ほど酒場で依頼を受けたアイテリア=セシリアだった。


一方、本社ビルの7階ベランダ。

一人の社員が静かに煙草に火をつけていた。

ゆっくりと煙を吐き出し、吸い終わると室内へ戻ろうとする。

入室カードをかざし、扉を開けた瞬間――


ドサッ!!


突然、宙から降ってきたセシリアが蹴りを放つ。

「ぐわあ!」と社員は衝撃にのまれ、そのまま意識を失った。


セシリアは倒れた社員の手から入室カードを奪い取り、静かにビル内へと潜入する。


「確か、9階の保管庫だった気がするけど……」

非常階段を駆け上がり、彼女は目的の階へ辿り着いた。


しかしそこには、まるで傭兵のように屈強な警備員たちが5人も待ち構えていた。


「倒すしかないか……だっるぅ」

セシリアはため息混じりにケラヴォルトのジェット噴射装置を起動し、一人の警備員へ猛スピードで頭突きを放った。


「ぐえ!」警備員は叫び声を上げ、ぐらりとよろめいた後に意識を失った。


「この野郎!待て!」警備員たちが一斉に襲いかかる。


セシリアはジェット噴射で高速移動しつつ、追撃をかわしながら敵を引き付ける。


突然身をかがめて足を引っかけると、転倒した警備員の後頭部に膝を落とし気絶させる。


続けて駆けつけた二人には、一人の蹴り足を掴んだ足に麻酔装置を撃ち、もう一人のパンチを振りかぶった腕を押さえ込んで腕に麻酔を注入。


残る一人の攻撃を回避し、ジェット噴射で軽く浮かび上がって回転。

金属製のブーツを後頭部へ叩きつけて沈黙させた。


警備員のポケットからIDカードを奪い、セシリアは保管庫の扉を開ける。


そこにあったのは……先日TPBから奪った見覚えのあるテレポーターの試作品だった。


「何回も盗んで、いったい私何やってんのかしら?」


小さく呟きながらも、手早く試作品をバッグに仕舞い、保管庫から出ようとしたその時――


けたたましいアラートが館内に鳴り響いた。


「まずい!」セシリアは非常階段へと走る。


四角いらせん状の中央の吹き抜けから、下の階まで一気に落下。

だがすぐにジェット噴射を噴き出し、速度を緩めながら姿勢を制御する。


1階のロビーに出ると、警備員たちが取り囲んでいた。


そこは2階まで吹き抜けの広い空間。

全面がガラス張りで開放感あふれるが、逃げ場は少ない。


「パワーグラデーション!」


零刃ゼロブレードが七色に輝くプラズマの粒子をまとい、煌めきながらエネルギーが零れ落ちる。


ジェット噴射で勢いよく跳躍し、2階部分の窓を勢いよく割って外へ飛び出した。


「うわ!あぶねっ!やべっ!」警備員たちは七色に輝くプラズマ粒子を避けながら散らばっていく。


ビル外の道路へ降り立ったセシリアは、そのまま高く跳躍し、瞬時に遠くへ飛び去っていった。


---


グライムス・コーポレーション、第8製造工場の広大な滑走路。

ここではデラエム共和国からの軍事用兵器開発依頼により、密かに航空機型戦略核兵器――通称「ティルトウエイト」が製造されていた。


航空機部分は第8製造工場で組み立てられ、完成後はデラエム共和国へと飛ばされる。

そこで初めて核爆弾が搭載されるのだ。


ティルトウエイトは基本的にパイロットが搭乗し、手動で操縦可能な航空機である。

だが一度ドローン爆弾モードに切り替えられると、手動操作は一切受け付けず、完全自動操縦で標的を確実に破壊する兵器へと変貌を遂げる。


しかし、デラエム共和国で核爆弾を搭載しただけでは、核爆弾を起爆させる機能は付与されていない。

最終的な調整と起爆機能の有効化は、第8製造工場で行われ、その後正式に納入される仕組みだ。


国際法では核兵器の開発や受注は明確に禁止されている。

しかし、アルベルト・グライムスはあくまで「航空機開発」という体裁を整え、法の目を巧みにかいくぐっていた。

国家予算規模の莫大な利益がかかるため、彼にとってこのプロジェクトは絶対に譲れない重要な事業だった。


その日、アルベルトは第8製造工場の滑走路に立ち、デラエム共和国から戻ってくるティルトウエイトの到着を、指揮官として厳しく見守っていた。


「社長、大変です!」

部下から緊急の連絡が入る。


「本社ビルからテレポーターの試作品が盗まれました!」


その知らせにアルベルトの顔が激しく歪む。

烈火のごとく怒りが彼を襲い、思わず声を荒げた。


「ぐぬぬぬ!許せん!レベッカ・イングリッド、許せん!!」


「一企業の社長に過ぎないと思って、私の力を見くびっているのか!」

彼の怒りは止まることなく燃え上がる。


「一度ならず二度までも…こうなったら、イングリッド王国に目にものを見せてやる!」


その言葉の直後、滑走路の向こうから轟音と共にティルトウエイトが姿を現した。

デラエム共和国からの飛行を無事に終え、滑走路に着陸する。


「ふふふ……私の力を甘く見たな、レベッカ・イングリッド。」

アルベルト・グライムスは不敵な笑みを浮かべ、暗闇の中で静かに勝利を確信していた。


---


TPB本部の一室。

クレア・バンホーテンの端末が、暗号化リンクを介して小さな通知音を鳴らした。

画面をタップすると、見慣れた皮肉混じりの声が響く。


「テレポーターの試作品、持ってるんだけどさ。どうする? 捨てとく?」

画面の向こうでは、セシリア・アイテリアが楽しそうに言った。


「もう…でも、成功したのね。さすがグリッチライダーだわ」

クレアはため息まじりに笑いながら答える。


「185地区、20番の工場跡地に小型航空機で向かうから、そこに持ってこられる?」


「どこへでも、何なりとお申し付けくださいませ、お嬢様」

セシリアは芝居がかった口調で答えた。


「まーったく、この子はいちいち癇に障るわね…でも、いいわ。持ってくるってことね?」


「先に行って待ってまーす。早めに来てね?待ちくたびれたら、ふてくされて帰っちゃうから~」


「ボザいてればいいわ。小型航空機だったら10分もかからないんだから!」


クレアは端末を閉じると、すぐにフライトの準備に取りかかった。


一方その頃、セシリアは暗号化リンクを切り、笑みを浮かべていた。

テレポーターの試作品をしっかりと抱え、指定された185地区の工場跡地へと向かう。

彼女は約束通り、先に到着してクレアを待っていた。


やがて空の彼方から、小型航空機がゆっくりと近づき、工場跡地にホバリング着陸。

機体の扉が開き、中からクレアが姿を現す。


「どう?待った? 寂しかった?」

とクレアが冗談めかして声をかけた。


セシリアは微笑みながら、首を振って無言でテレポーターの試作品を差し出す。

クレアはそれを受け取った。


「これが…あ、いや、ありがとう。よくやってくれたわ」


彼女は丁寧にそれを小型航空機の荷室に積み込み、ドアを閉める。

それから、もう一度セシリアの元に戻ってきた。


「ご苦労様でした。僭越ながら、TPBを代表して感謝の意を表します。本当にありがとう、助かったわ」


クレアの言葉に、セシリアは少し驚いたような顔を見せたあと、少し照れたように微笑む。


「またあんたと仕事できる?」


「二度とごめんだわ!」とクレアは即答するが、少し間をおいて続けた。


「でも……友達としてなら、また会ってもいいかな」


その言葉に、セシリアはふっと柔らかく笑い、「また気が向いたら連絡して」と静かに返した。


クレアは微笑んで頷き、小型航空機に乗り込む。

そして機体はゆっくりと上昇し、青空の彼方へと消えていった。


セシリアはその姿を見送っていたが、その時、端末が再び震える。


「……え? お母さん?」

急に真剣な声になる。


「お父さんが……! 今、病院にいるから。できるだけ急いできて」

母の声は、どこか切迫していた。


セシリアは胸の奥に激しい不安が渦巻くのを感じながら、すぐさま病院への道を駆け出した。


---


クレア・バンホーテンは、テレポーターの試作品を無事に回収したことを報告するため、イングリッド女王の執務室を訪れていた。


「よくやってくれたわ。グライムスの方も、死者は出なかったそうね。完璧な仕事だったわ」


レベッカ・イングリッド女王は満足げに微笑む。しかし、クレアの表情は少し複雑だった。


「正直……死者を出さないようにとは、あまり考えていませんでした。危険な任務でしたし…」


「ごめんね。分かってるわ。殺さなきゃ殺される場面もある。

でも……だからこそ私は、アイテリアに依頼することを選んだの。身勝手な考えだけれどね」


レベッカの言葉に、クレアは少し俯いた。


「いえ、身勝手だなんて……そんな。死者が出ない方がいいに決まってます。

でも、あの子が……あんな風に任務をこなしていたなんて、知らなくて……すみません」


「あなたって、ほんとうに善人ね」

レベッカは優しくそう言ったあと、話題を切り替えた。


「けれど、グライムスがこのまま黙っているとは思えない。

今、部下に調査を進めさせているところよ。あなたにはフェイズセンチネルとして、現場でその進捗を確認してもらいたいの」


「承知いたしました、女王陛下」


クレアはすぐにTPB本部のコントロールルームへと向かった。

部屋に入るや否や、分析官が立ち上がって報告を始める。


「クレア上官、デラエム共和国からグライムス・コーポレーションに、大規模な資金移動があったようです」


「……それって、つまりどういうこと?」とクレアが訊ねると、別の分析官が情報を引き継ぐ。


「どうやら、航空機の発注があったように見えます。一見、普通の取引のようにも思えるんですが……」


「金額が異常なんです」

先ほどの分析官が続ける。


「ただの航空機にしては、金額が国家予算レベルにまで跳ね上がっていて…」


「デラエム共和国について、何か情報は?」とクレアが尋ねる。


「はい。実質的な軍事政権で、核開発に積極的な国です。

次の建国記念式典で、大きな発表があるという噂もあります」

分析官がモニターを操作しながら答える。


「……その時期、グライムスの航空機の納品予定と、重なってるんですよね」と、別の職員も不安げな声を漏らす。


クレアはこれらの情報を取りまとめ、再びレベッカ女王の執務室へと戻った。


「調査の結果、グライムスはデラエム共和国から航空機の発注を受けていました。

どうやらその機体が、式典の目玉になるらしいんです」


レベッカは静かに頷きながら、思案に沈んだ。


「デラエム共和国……確か、核開発に積極的な国だったわね」


「はい。金額の規模から見ても、ただの航空機ではなさそうです」


女王は瞳に決意の光を宿らせ、力強く言った。


「分かったわ。国家安全法に基づき、グライムス・コーポレーションへの強制捜査権を発動します。

あなたが指揮を執ってくれるかしら?」


「承知いたしました、女王陛下」

クレアは直立し、敬礼を捧げた。


女王の元を後にしたクレアは、すぐさま部下を集め、グライムス社への強制捜査の準備を開始するのだった。

真実の核心に迫る戦いが、いま幕を開けようとしていた。


---


グライムス・コーポレーション本社ビル前に、TPBの車両が次々と到着する。

その先頭から颯爽と降り立ったのは、フェイズセンチネル、クレア・バンホーテン。


社内の受付に歩み寄った彼女は、はっきりと告げた。


「デラエム共和国からの航空機の受注についてお伺いしたいのですが、責任者の方はいらっしゃいますか?」


受付嬢は丁寧に微笑みながら答える。


「それではお手数ですが、3階の3005号室へお進みくださいませ」


「ありがとう」


クレアは捜査官たちとともにエレベーターに乗り込み、3階へと向かった。

目的の部屋に着くと、責任者と思しき社員が出迎える。


「ようこそ、グライムス・コーポレーションへ。今日はどのようなご用件で? TPBの皆さん」


「デラエム共和国からの航空機発注について調査に来ました」とクレア。


責任者は即座に部下に指示を出し、データベースの検索を始めさせる。

しかし、数分後、首を傾げながら答えが返ってきた。


「デラエム共和国からの受注記録は見当たりませんね…」


その瞬間、クレアは一枚の文書を取り出した。

それは、国家安全法に基づく強制捜査の令状だった。


「“ありません”では帰れないんですけど?」


鋭く詰め寄られ、責任者の顔が青ざめる。しばらく沈黙の後、観念したように口を開いた。


「社長のアルベルトが……独自に受注するケースがございます。もしかしたら……」


「アルベルトは今どこ?」


PCを操作しながら、責任者が答える。


「本日は朝から第8製造工場に出ているようです」


「行くわよ」

クレアはすぐさま捜査官を率いて、第8製造工場へ向かった。


---


製造工場に到着したTPB一行。

静まり返る構内に足を踏み入れたその瞬間――


パンッ! パンパンッ!


突如、銃声が響いた。


「隠れて!」クレアが叫び、全員が即座に物陰に身を伏せる。


訓練されたTPB捜査官たちは、すぐにフォーメーションを組み、状況確認に移った。


「敵は3~5名。銃器を所持。位置は10時方向からの射撃と思われます」

無線で情報が共有される。


「よし、三人ずつ二手に分かれて挟み撃ちに。一人は入口に残って、動きがあればすぐ知らせて」


クレアの冷静な指揮のもと、TPB部隊が威嚇射撃を行いながら敵を包囲していく。


その時――


「報告! 裏口から誰かが出てきました! 車両に乗り込もうとしています!」


無線が叫んだ。クレアはすぐに入口へと駆け出す。

逃げていく黒い車両を視認すると、彼女は片膝をつき、安定した姿勢でクロノガンを2発放った。


バシュッ! パァンッ!!


後輪が破裂し、スピンした車両が停車中のトラックにぶつかってようやく止まった。


すぐに駆け寄ったクレアが銃を突きつけると、そこには逃げようとしたアルベルト・グライムスの姿があった。


「航空機の会社なのに、車で逃げるとは間抜けね。次は航空機でも用意しておくことね」


だが、アルベルトは怯む様子もなく、不敵に笑った。


「ふふふ……間抜けなのはお前らの方だ。

ドローン爆弾は1時間前に、イングリッド王国に向けて飛び立った。もう手遅れだ」


その言葉に、クレアの表情が一変する。


「なに……ですって?」


怒りに任せ、クレアは彼の顔面をクロノガンのグリップで殴り飛ばし、気絶させた。


そしてすぐさま、無線でレベッカ女王に連絡を入れる。


「至急報告です! デラエム共和国からの発注は、ドローン爆弾でした!

すでにイングリッド王国に向かって飛行中とのことです!」


レベッカの声が即座に返ってくる。


「わかった。今すぐ王都に避難指示を出します。ドローンの位置を特定して。撃墜できれば撃墜する。王国軍にも連絡を入れるわ」


「承知いたしました!」


クレアはすぐに工場内に戻る。

捜査官たちはすでに武装社員4名を拘束していた。


「ドローン爆弾の情報を出しなさい!殺害許可は出てるわよ」


クレアの言葉に、その場の空気が凍り付く。


銃口を頭に突きつけるクレアの迫力に、社員は顔を背けながらもアゴである場所を指す。


「……あそこ、PCです」


すぐに捜査官の一人がPCの前に座り、データの解析を始めた――。


---


グライムス・コーポレーションの第8製造工場内。

拘束した社員の案内で、TPBの捜査官がPCの端末にアクセスし、内部情報の解析を開始する。


「……ありました!」


緊張を滲ませながら、捜査官が声を上げた。


「“ティルトウエイト”……航空機に戦略核兵器を搭載した、自爆型のドローン兵器のようです!」


画面には、機体の設計データ、核搭載の状況、航行ルートなどが表示されていた。


「現在、ティルトウエイトは2番目のテレポーターに向かって飛行中です。管理番号は……B249C2。あと20分ほどで到着予定です!」


その瞬間、無線機からレベッカ・イングリッドの声が飛び込んできた。


「――標的はどこ?」


捜査官の顔色がみるみる青ざめる。


「T、TPB本部です……!」


「ティルトウエイトは、標的に到着するまで爆発しないタイプかしら?」


「はい。設定された標的に到達するまでは、飛行を継続するようプログラムされています」


「よし。国家安全法第16条に基づき、テレポーターの緊急操作を発動します。

今すぐ、B249C2をC444A5へ接続し直して。急いで!」


---


その頃、TPB本部のオペレーションルームでは、緊急アラートが鳴り響いていた。

オペレーターたちは指示に従い、B249C2をシステムに接続。対応するC444A5の状態を確認し、空路の安全性をチェックする。


「こちら管制! 緊急事態を宣言! テレポーターB249C2、C444A5へ強制リダイレクトします!」


通信網の再構成が完了し、数秒後――


「……通過しました! ティルトウエイトがC444A5側にテレポート完了!」


捜査官の報告に、本部内が安堵に包まれる。


「よし、やったわ!」


「ただし、テレポート先が予定航路外のため、ティルトウエイトは自動航行モードに切り替わったようです。このままの進路だと、TPB本部到着まで5時間はかかる見込みです!」


「時間は稼げたわね。よくやってくれたわ」


レベッカはすぐさま次の指示を出す。


「テレポーターの緊急事態宣言は解除。B249C2は通常運行に戻して。

それから、TPB本部を中心に半径2kmのテレポーターを優先開放し、緊急避難警報を出してちょうだい!」


「了解!」


「これより、ティルトウエイトの迎撃作戦に入ります。今すぐ王国軍を招集。軍司令部と会議リンクを開いて」


---


数分後、王国軍の参謀たちが会議リンクに次々とログインし、情報が共有される。


「戦略核兵器ティルトウエイトについてですが……」


年配の参謀が口を開いた。


「うちの諜報機関によると、デラエム共和国の核兵器の破壊力は、せいぜい半径2km程度と推定されています」


「じゃあ小規模核……。でも、それでも都市部じゃ壊滅ね」


「問題は、C444A5からTPB本部に向けて、ティルトウエイトが高度500メートル程度の低空で飛行していることです。

航路には町や村が点在しており、避難行動を考慮しても、安全に撃墜して爆発させるのは極めて困難です」


レベッカは眉をしかめながら問い返す。


「……つまり、どこで爆破しても犠牲は避けられないってこと?」


「はい。ですが、もし“安全に爆破”させるなら……TPB本部から300km離れた広大な砂漠地帯があります。

ただし、高度を十分に落とした上で自爆させなければ、放射能汚染の拡大は避けられません」


「航路変更や再プログラミングが必要ってことね?」


「その通りです」


一瞬の沈黙の後、レベッカが問いかける。


「ティルトウエイトには、航行中でも“中に入る”方法があるのかしら?」


参謀は少し言い淀みながらも答える。


「……機体の速度はそれほど速くないため、戦闘機で接近し、上部からハッチを破壊すれば内部に侵入できる可能性があります。

ただし、任務には極めて高い身体能力を持つ、訓練された兵士が必要です」


「わかったわ。作戦変更ね」


レベッカの声が力を持って響いた。


「軍部では、任務を遂行できる兵士を探して。私は、ティルトウエイトのドローン再プログラミングの手段を調べるわ」


「承知いたしました、女王陛下」


そう答えると、参謀は会議室からログアウトした。


---


白く静まり返った病院の一室。

セシリアは息を切らしながら駆け込んだ。

目の前のベッドには、痩せ細った父・ルイードが点滴につながれ、眠っていた。


「……おう、どうした?」


目を開けたルイードが、いつものように飄々と声をかける。


「どうした?じゃねーよ!……クソおやじ!」


怒鳴るようにして言い放つセシリアの目には、涙が浮かびかけていた。


「なんだよ、藪から棒に」


「あれ?お母さんは?」


「一度家に戻って、着替えとか持ってくるんだとよ」


セシリアは、ベッド脇にしゃがみ込んで顔を近づけた。


「……入院するの?」


「ああ、検査入院だ。すぐに出てくるさ」


それでも、父の姿は以前とは比べものにならないほど弱々しく、か細かった。


「なんで……突然“がん”で倒れたとか……もっと早く教えてくれなかったの!?」


「お前に教えたってしゃーねぇだろ。医者じゃあるまいし」


「そんなの……!」


セシリアが何か言いかけたその瞬間、ルイードは言葉を遮るように声を張った。


「……あーもう、いいんだよ!うるせーな。死ぬって決まったわけじゃねぇし……ゆっくり寝かせてくれ」


そう言うと、ルイードはふてくされたように目を閉じ、寝たふりを決め込んだ。


「もう……何なんだよ、このクソおやじは……」


そうつぶやいたセシリアの目には、あふれそうな涙が滲んでいた――そのとき。


病院内に、けたたましい館内放送が鳴り響いた。


『緊急速報、緊急速報!避難指示です!

今すぐTPB本部から半径5km圏を離れてください!

ネグランド方面のテレポーターを開放中!ただちに移動してください!今すぐ逃げてください!――』


「な、なにこれ?何が起きてるの……?」


混乱するセシリアの隣で、ルイードは落ち着き払った手つきで端末を操作し、暗号化リンクでグリッチライダー仲間たちと通信を始めていた。


「……ああ。そうか。うん。わかった。お前らは先に逃げろ。こっちは何とかする」


通信を切ったルイードに、セシリアが詰め寄る。


「え?何? 何なの?」


「……TPB本部に向かってる航空機型のドローン爆弾があるそうだ。

戦略核兵器だってよ。半径2kmを一瞬で吹き飛ばすって話だ」


「ここも危ないじゃん!早く逃げようよ!」


そう訴えるセシリアの手を、ルイードはそっと取る。


「……いや。お前に頼みがある」


「は? こんなときに? 後回しよ!!とにかく早く逃げるわよ!!」


半ば強引に父の腕を引こうとしたそのとき、ルイードが一つの装置を差し出した。


金属製の筐体に、ぎっしりと回路とコードが詰め込まれた自作のハッキングデバイスだった。


「……まだTPB本部に着弾するまで、4時間以上はあるらしい。

これは、ドローンの自動操縦をハッキングする装置だ」


「……えっ?」


「お前が行ってくれないか」


一瞬、時が止まったような沈黙のあと、セシリアは小さく首を振る。


「お父さんはどうするの?一緒に逃げないと!」


「マーサ――お前の母さんが戻ってきたら、一緒に逃げるさ。

逆に俺がいなかったら、あいつが不安がるだろ」


「……そっか。確かに、お母さんは……一緒じゃないと心配するわね」


セシリアはゆっくりとうなずき、装置を受け取った。


「……それに、俺はお前を信じてる。

お前が爆弾を回避させてくれたら、俺たちは助かる」


ルイードの声には、父としての静かな確信があった。


「わかったわ。……それで、この装置をどうするの?」


「航空機の中に入れたら、どこか天井に設置して逃げろ。それでいい」


「え? 天井に?……それだけ?」


「――ああ。それだけだ」


短い言葉のやりとり。

けれど、その中に込められた父の信頼と、娘の覚悟は、確かなものだった。


セシリアは小さく息を吸い込み、強くうなずいた。


「うん、わかった。……必ずお父さんとお母さんを助けるからね、私」


そう言って、セシリアは病室を出ていった。


彼女の背中は、いつもより少し大きく見えた。


---


グライムス・コーポレーション第8製造工場。

縛り上げられた社員たちが残るその現場で、クレア・バンホーテンは情報端末に向かっていた。


そのとき、無線に女王陛下の落ち着いた声が響く。


「クレア、聞こえる?――ティルトウエイトの自動操縦の再プログラミングが可能か調べて。何かわかったら、すぐに報告してちょうだい」


「承知致しました、女王陛下」


クレアが即答すると、傍らにいたTPBの捜査官がすぐにPCを操作し始める。


「……自動操縦は、一度起動したら修正不可能な設計です。ですが、ハッキングできれば、強制的に手動操作に戻すことは可能かと……」


その報告に、クレアは眉をひそめた。


「……ってことは、誰かが中に入ってハッキング装置を設置しないといけないってわけね。つまり、誰かが犠牲になるってことじゃない……」


重苦しい沈黙が流れる中――クレアの暗号化リンクに、割り込み通信が入る。


「……なに?こんな時に。誰?」


ディスプレイに現れた名前に、クレアはわずかに目を見開いた。


「アイテリア? どうして?」


「クレア、航空機型のドローン爆弾について、調査中なんでしょ?」


「……どうしてそれを?」


「グリッチライダーの職人が作ったハッキング装置があるの。ドローンの自動操縦を変更できるのよ。だから、中に入る方法を教えて」


その言葉にクレアは即座に反応した。


「……待って、いま女王陛下と繋ぐわ」


数秒後、通信が繋がる。


「え? アイテリア?……あなたが、自動操縦を再プログラミングできる装置を持っているのね?」


「はい、女王陛下」

セシリアの声は、揺るがぬ意志を秘めていた。


「でも…」

レベッカは慎重な声色で続ける。

「それを使うには、戦闘機からドローンに飛び移って、ハッチを破壊して内部に侵入する必要があるわ。それでも、できる?」


一瞬の間をおいて、セシリアは声を張る。


「――私を誰だと思ってるんですか?

そんなの、子供の遊びですよ」


「こんな時に冗談言って……」と、クレアが焦ったように言いかけたその瞬間――


「いいのよ、クレア」

レベッカがその言葉を遮るように口を開く。

「面白いじゃない。いいわ、アイテリア。戦闘機を送るわ。場所を教えて」


「レネゲート病院の屋上です」


「了解。そこで待機していて」


レベッカが通信を切ると、クレアが思わず言った。


「もう……そんなこと言って、本当に大丈夫なの?!」


だが、セシリアは笑って答える。


「えー? 2回もテレポーター盗んだの忘れたの?

だーいじょうぶ。私に任せて」


そう言って、セシリアはリンクを切った。


風はすでに動き出していた。

決死の作戦――その火蓋が、今、切って落とされた。


---


レネゲート病院の屋上。

青空の下、セシリアは風を浴びながら、じっと空を見上げていた。

そのとき、空に音速の轟音が響く。――イングリッド王国軍の戦闘機がホバリングしながら接近してくる。


「こちら空軍301。着陸不能。ホバリング状態で待機中。……どうすればいい?」

コクピットの中からパイロットが無線で尋ねてくる。


「操縦席を開けて」

セシリアは一言だけ答えた。


シュウッと音を立ててキャノピーが開くと、セシリアはケラヴォルトのブースターを軽く噴かし、ビルの屋上からジャンプ。そのまま戦闘機の後部座席に飛び乗った。


「閉じていいわよ」


セシリアが微笑むと、パイロットは呆れたように言った。


「……とんでもねえな、あんた」


キャノピーが閉まり、戦闘機が再び加速を始める。


「ドローン爆弾は“ティルトウエイト”っていうらしい。これから、それに接近する。準備はいいか?」


「いつでもどうぞ」


セシリアは小さく笑い、装置の入ったポーチを強く握った。


数分後、雲の間に不気味なシルエットが現れる。――無人航空機、ティルトウエイト。

「あれね。……ねえ、あれを追い越して、前方の上空に出てくれる?」


「了解」

戦闘機は一気に加速し、ティルトウエイトの進行方向を超えて上空に滑り込む。


「今よ。開けて」

セシリアが言うと、キャノピーが再び開く。


風圧が一気に吹き込む中、セシリアは軽く飛び上がると――ケラヴォルトのブースターで姿勢を調整しながら、後方のティルトウエイトの上部に飛び移った。


「っ、ここ……!」


機体の上にしがみつきながら、セシリアはハッチの位置を確認。零刃ゼロブレードでロックを焼き切り、体重をかけて押し込む。バキッと音を立てて開いた瞬間、両腕を使ってその隙間から這うように機内へと侵入した。


中は冷たく無機質な空間。すぐ前方に操縦席があり、電子パネルが青く光っていた。


セシリアは躊躇なく天井の一部に、父から渡された装置を取り付けた。


「……こんなので本当にハッキングできるの?」


不安を呟いたその瞬間――装置が起動し、静かな光を放つ。

中央に赤い細い筋が現れ、まるで空間そのものが裂けるようにパカッと開いた。


「……え?」


その裂け目から――ルイードが現れた。


「なにやってんのよ!? お父さん!?」


セシリアは思わず叫ぶ。だが、ルイードはニヤッと笑った。


「ははは。俺の最後の失敗作だ。さすがの俺でも、見たこともない航空機のハッキングなんて無理だからな。だから、こうするしかなかったんだよ」


ルイードは操縦席に座ると、軽く身体を沈ませる。


「どれどれ……これが操縦席か。よっこいしょっと」


「ちょっと!なにやってんのよ!お父さん!」


「うるせえ!少し黙って見てろ!」


そう言って、ルイードは装置の基盤を取り出し、操縦席の端子に手際よく差し込む。


「えーと、E24T95G1か……。なんだこれ、安物の制御ユニットじゃねえか。変なとこでケチりやがって……よっ、と!」


パチッと音がして、操縦席のディスプレイが切り替わる。


「よし、これでOKだ」


「え? ハッキングできたの? すごい……!」


セシリアの顔に驚きと安堵が混ざる。


「おう、俺の腕も捨てたもんじゃねぇだろ?」


ルイードは少し得意そうに笑って見せた。


「じゃ、早く脱出しよう。早く立って、お父さん!」


だが――ルイードは、ゆっくりと首を横に振った。


「……どうしたの? お父さん……?」


セシリアの胸に、不安が走る。


彼女の鼓動が、ゆっくりと、だが確実に、高鳴っていくのだった。


---


ティルトウエイトの操縦席。

冷たい空気と機械の駆動音だけが響く中、セシリアの震える声がこだました。


「……一度起動したプログラムの再プログラミングなんか、出来ない。これは、そういう設計なんだ」


ルイードが静かに言った。

目の前の装置は確かに反応していたが、それは「別の方法」だった。


「それじゃ……それじゃ、どうすんの?」

セシリアは不安に満ちた表情で尋ねる。


「自動操縦はハッキングして、強制的に手動操作に戻した。あとはこれを、安全な場所まで自分で操縦するしかない」


「……誰が操縦するの?」


セシリアの声がかすれた。もう、答えはわかっていた。


「俺に決まってるだろ」


ルイードは穏やかな目で、娘を見つめた。


「ダメよ……絶対ダメ。こんなの、ヒドいわ……」


セシリアの瞳から涙があふれ落ちた。


「実はな……俺、もう3か月の命なんだ。医者に言われてた。不摂生がたたったんだな。情けねぇ。……ダメな親父で、面目ねぇな」


そう言ってルイードは、照れたように優しく笑った。


「じゃあ、脱出できるの? 操縦終わったら、すぐに逃げられるんでしょ?」


希望を捨てきれず、セシリアは問いかけた。


「できるわけねえだろ。一緒に爆ぜるぜ。……カッコいいだろ?」


ルイードは冗談めかして言ったが、セシリアは笑えなかった。


「なんで……なんでこんなときに言うの? なんでお父さんがやらなきゃいけないの……?

私、イヤだよ……一緒に帰ろうよ、お父さん……!」


嗚咽混じりの声が機内に響く。


ルイードは、静かに語りかけた。


「頼むよ、セシリア。……管にいっぱい繋がれて病院で死んでいく俺なんて、お前、見たくねぇだろ?

せめて――ここで、カッコよく死なせてくれ。な? セシリア……」


その声には、苦しみも、諦めも、誇りもあった。


「……わがままばっか言って……わからず屋の親父で、悪かったな……お前には、あんまり――」


「そんなことないよ!!」


セシリアの叫びが、ルイードの言葉を遮った。


「お父さんはカッコよくて、尊敬できて……私は、大好きだったんだから! こんなに……こんなに好きだったんだから!」


その言葉に、ルイードの頬を一筋の涙が伝った。


「……すまんな、セシリア。わかってくれ……」


彼は懐から端末を取り出し、そっと娘に手渡した。


「俺の暗号化リンクをTPBに繋げてくれ。誘導支援の座標を受信して、正確に操縦できるようにするんだ」


セシリアは震える手でそれを受け取り、リンクを開き、接続を確立させた。

そして、端末を父へと返す。


ルイードは受け取ると、深く息を吐いた。


「じゃあ、セシリア……。その空間の裂け目から脱出しろ。

あとは、TPBに繋いで、俺が安全な場所まで飛べるように誘導支援を頼んでくれ。

……最後のお願いだ。しっかり頼んだぞ」


セシリアはうなずいた。

こらえていた涙が、再びあふれた。


「……うん、お父さん……」


名残惜しそうに、セシリアは空間の裂け目に足をかけた。

光の中へと体を滑らせ、彼女は消えていった。


そして――裂け目はゆっくりと閉じ、光も静かに消えていく。


その瞬間、天井に設置されていた装置が「役目を終えた」と言わんばかりにカタンと落ちた。


残されたのは、ひとり――ルイード。


そして、空を飛び続けるティルトウエイトだけだった。


---


空間の裂け目を抜けると、そこは高い建物の屋上だった。

風が強く吹きつける中、セシリアはすぐに暗号化リンクを開いた。


「……クレア……応答して……!」


『なに? 成功したの?』


クレアの声が聞こえてくる。希望のこもったトーンだった。


「……ううん、違うの……私は脱出してきたの……」


『どうしたの? 泣いてるの……?』


クレアの声に、セシリアは言葉を絞り出す。


「私のお父さん……ルイードが、ティルトウエイトを手動で操縦して、安全な位置まで運ぶって……だから……お願い、お父さんを安全な場所まで誘導してあげて。これが、お父さんの……最後の仕事なの」


『……そんな……』


クレアは一瞬、絶句した。


だがすぐに切り替えるように言った。


『……わかった、とにかくレベッカ女王に繋ぐわ。少し待って』


少しの間の後、通信の先に、毅然とした声が響いた。


『再プログラミングが成功したの?』


その声に答えたのは、セシリアではなかった。


『……再プログラミングは不可能です』


それは、ルイードの声だった。

機体の中から、静かに繋がれていたのだ。


『私はルイード・ファスという者です。現在、手動操作で爆弾を安全な位置まで運びます。指示をお願いします』


セシリアの頬には、止まらない涙が流れていた。

声すら出せない。ただ父の声だけが、冷静に届く。


レベッカの声が慎重に続いた。


『TPB本部最高権限者、レベッカ・イングリッドです。ルイードさん、手動操作とのことですが……脱出の手段はあるのですか?』


『おお、女王陛下……お声がけ頂き、光栄の至りです。残念ながら私は、末期ガンで余命三か月と宣告を受けております。

覚悟は、もうできています。どうか、誘導のご指示をお願い申し上げます、陛下』


数秒の沈黙があった。

やがて、レベッカは低く、深い声で応えた。


『……いくら三か月の命とは言え、尊い命に変わりはありません。

国家を代表して――あなたの崇高なる犠牲に、深く感謝いたします』


重く、敬意を込めた言葉が通信の先から伝わった。


『それではまず、進路を9時の方向に変更してください』


『承知致しました、女王陛下』


ルイードは操縦桿を握り、機体を旋回させる。


『進路、変更完了しました』


『目的地は砂漠地帯になります。まず高度を300mまで下げてください』


『了解。降下を開始します』


機体がゆっくりと滑空するように、高度を下げていく。


『できれば、砂漠地帯の中央付近で、高度10m以下で爆発できれば、放射能の汚染も最小限に抑えられるわ。だから……段階的に高度を下げていってほしいの』


『承知致しました。……燃料は――ギリギリですが、まぁ、足りるでしょう』


その言葉の裏にある覚悟に、誰も何も言えなかった。


機体は目標に向けて静かに滑空を続け、200m……100m……と高度を下げていく。


そして、高度50mに差し掛かったそのとき――


突如、ルイードの意識に猛烈な眠気が襲いかかった。


抗がん剤の副作用だった。これまで何度も体を襲ってきた、あの重い眠気が。


「……ちくしょう、今かよ……!」


そのまま、ルイードの意識はゆっくりと暗闇に落ちていった。


操縦桿を握るその手から、力が抜けていく。


――爆弾を乗せた航空機、ティルトウエイト。

その機体が静かに、そして不安定に、空をさまよい始めた。


---


「今日はセシリアの授業参観日よ」


母・マーサの優しい声に続いて、セシリアが校門から出てきた。

彼女の手には、折りたたまれた紙がひとつ。


「お父さんへの感謝状だって。あなた、大事なところを見逃しちゃったわね」

マーサが少しだけ寂しそうに、でもどこか楽しげに笑った。


『なあにぃ? 感謝状だってぇ!?』

ルイードの大げさな声が聞こえる。嬉しさを隠せないその様子に、セシリアは笑いながら紙を差し出す。


「はい、お父さん。感謝状。受け取って」


しかし、ルイードは顔を赤らめ、まるでからかわれているかのように後ずさる。


「ちょ、ちょっと……! お父さん!なんで逃げるの!?」

「ねえ、お父さんってば、ちょっとぉ、お父さん!」


――ティルトウエイトの操縦席。通信端末から、セシリアの叫び声が聞こえる。


「お父さん!お父さんっ!お父さんっ!!」


――その叫び声が、夢と現実をつなぎ、

意識を失っていたルイードを、再び覚醒させた。


目を開くと、目の前にはまばゆい光と、砂の大地が広がっていた。

彼は反射的に操縦桿を握り直す。


「……もう砂漠に入ってたか。よし、あと少しだ……」


――40m

――30m

――20m


順調に高度は下がっていく。彼が目指した“最も安全な爆発地点”が、すぐそこにあった。


そのとき、通信端末に一瞬だけ、彼の声が乗った。


「……セシリア……ありがとう」


次の瞬間、プツン――

通信が途切れる乾いた音が、すべての終わりを告げた。


---


TPB本部――。


巨大モニターには、ティルトウエイトが砂漠の中心部で眩しく爆発する瞬間が映し出されていた。

光と煙が空高く舞い、空間が一瞬だけ光に包まれる。


その映像を見届けた女王レベッカ・イングリッドは、ゆっくりと立ち上がり、静かに敬礼を捧げた。


それに続き、室内にいたTPBの職員たち全員が直立不動になり、女王と同じように敬礼を送った。


敬意と、感謝と、静かな誓いを込めて――。


---


遠く離れた高い屋上。


セシリア・ファスは、その瞬間を遠くに見ていた。

空の向こうで、一瞬だけまばゆく光る閃光。


それがすべてを終え、すべてを守った証だった。


「……失敗作なんか、一つもなかったんだからね。

 私が全部、成功させたんだから……」


目を潤ませながらも、セシリアは小さく、笑った。


「……最後まで、最高だったぜ。クソおやじ」


風が吹く。涙が乾く前に、彼女は両手を広げた。


そして、ケラヴォルトのエネルギーを最大に解放する。


セシリアは空へ、大ジャンプを放った。

次の世界へ、次の戦いへ――。


彼女の姿は、空の彼方へ消えていった。





















挿絵(By みてみん)

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