22.「あの娘の能力は、適切に管理されるべきだ」
◆
王都の法廷は重苦しい沈黙に包まれていた。
傍聴席に座るアンナは、震える手を膝の上で組み合わせていた。
「被告人ダンカン・フォン・リーベンシュタイン」
裁判長の声が響く。
「貴殿に対する容疑は以下の通りである」
羊皮紙を広げる音が、静寂の中で異様に大きく聞こえた。
「第一、複数の貴族に対する贈賄」
「第二、実の娘に対する監禁および虐待」
「第三、神の祝福を悪用し、王家の秩序を乱そうとした企て」
一つ一つの罪状が読み上げられるたびに、ダンカンの顔は蒼白になっていく。
特に最後の罪状で、傍聴席がざわめいた。
王太子への接近を図り、公爵家を陥れようとした──それは反逆にも等しい重罪だった。
「これらの罪により、被告人を極刑に処す」
裁判長の宣告が下された瞬間、アンナは立ち上がった。
「お待ちください!」
法廷中の視線が彼女に集まる。
「私からお願いがあります」
アンナは震えながらも、はっきりと言った。
「父の罪は重いことは理解しています。でも、どうか命だけは」
裁判長は厳かに首を振った。
「リーベンシュタイン男爵令嬢、お気持ちは察するが──王家への反逆は決して許されることではない」
アンナはなおも訴えようとしたが、隣に座るラファエルがそっと手を握った。
無言の制止。
アンナは力なく座り込んだ。
法廷を出る時、ダンカンと目が合った。
しかしダンカンはすぐにアンナから視線を逸らした。
最後まで娘を道具としか見ていなかった男の末路である。
◆
翌日、王宮の一室。
アンナは呼び出されて、緊張の面持ちで待っていた。
扉が開き、宰相が入ってきた。
白髪の老人は鋭い眼光でアンナを見つめる。
「リーベンシュタイン男爵令嬢」
「はい」
アンナは深く頭を下げた。
「王家より勅命がある」
宰相は巻物を広げた。
「リーベンシュタイン男爵家は取り潰しとはしない」
アンナは驚いて顔を上げた。
てっきり家も断絶すると思っていたのだ。
「ただし」
宰相の声が続く。
「当主不在により、アンナ・ド・リーベンシュタインが後を継ぐものとする」
血の気が引いた。
自分が、男爵家の当主に?
「私には、そのような器量は」
「これは命令だ」
宰相の声には有無を言わせない響きがあった。
◆
モンターニュ子爵邸の応接間。
アンナは呆然と座っていた。
向かいにはラファエルと、その両親。
「私に、家を治めることなどできません」
アンナの声は震えていた。
「使用人の管理も何も分からないのです」
モンターニュ子爵が優しく言った。
「一人で背負う必要はありませんよ」
その時、ラファエルが立ち上がった。
「アンナ嬢──もし、アンナ嬢がよろしければ、私が婿として支えさせていただきたい」
アンナは息を呑んだ。
婿、という言葉の重み。
それは単なる結婚以上の意味を持つ。
「でも、ラファエル様は子爵家のご子息です」
「家格の違いなど関係ありません。そもそも子爵家は兄が継ぎます。これは両親にも許可を得ての事です」
ラファエルは微笑んだ。
「私は、アンナ嬢と共に歩みたいのです」
モンターニュ夫人も頷いた。
「息子は貴族らしくない部分もありますが、人を見る目は確かなので──」
アンナの目に涙が浮かんだ。
こんなにも自分を想ってくれる人がいる。
「本当によろしいのですか」
「もちろん」
◆
その頃、王宮の密室では別の会話が交わされていた。
ゲオルク・フォン・ヴァイスベルクと、ハイエスト公爵、そして宰相が顔を合わせている。
「計画通りですな」
宰相が満足そうに頷いた。
「リーベンシュタイン男爵家の『祝福』は、正しく使えば外交上の武器になる」
ハイエスト公爵も同意した。
「モンターニュ家も良い。長年王家に忠実だ。この忠実さと組み合わされば、王国の利益となろう」
ゲオルクは窓の外を見つめながら言った。
「表向きは若い二人の恋を祝福する。だが実際は、王国の新たな外交カードを手に入れるということか」
「綺麗事だけでは国は守れません」
宰相の声は冷徹だった。
「あの娘の能力は、適切に管理されるべきだ」
三人の間に暗黙の了解が生まれた。
若い恋人たちの幸せを見守りながら、同時に国益も確保する。
それが老獪な政治家たちの計算だった。
◆
継承の儀が行われた日。
アンナは男爵家の正装に身を包み、玉座の前に立っていた。
重い冠が頭に載せられる。
「ここに、アンナ・フォン・リーベンシュタインを正式にリーベンシュタイン男爵と認める」
宣言と共に、新しい人生が始まった。
式の後、ラファエルが近づいてきた。
「お疲れ様でした、男爵」
からかうような口調に、アンナは苦笑した。
「まだ慣れません」
「大丈夫です。私がついています」
その言葉に、アンナは安堵の息をついた。
一人ではない。
それだけで、どんな困難も乗り越えられそうな気がした。
◆
エルンストとセシリアも式に参列していた。
「興味深い結末だな」
エルンストが呟く。
「しかし一歩間違えれば皆が不幸になる所だった」
セシリアも頷いた。
二人は新しい男爵を見つめる。
不安そうだが、それでも前を向いて立っている少女。
その隣には優しく支える青年。
「ひとつの愛が結実した、と言えるのかな」
エルンストが結論付けた。
「しかし愛とは難しい。目の前でこのような光景を見てもなお理解できない」
セシリアは微笑んだ。
「私も同じです。ですから実験は続けましょう。私たちは既に十分以上に親密な気はしますが、せっかくならば突き詰めてみたいではありませんか」
エルンストは頷き、そっとセシリアの手を取った──心拍数を測るために。




