表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛の実証的研究 ~侯爵令息と伯爵令嬢の非科学的な結論~  作者: 埴輪庭


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/23

14.「それがアルカディアの血さ」

 ◆


 ヴァイスベルク侯爵邸の執務室。


 午後の陽光が大きな窓から差し込み、室内を黄金色に染めている。


 そんな穏やかな時間に似つかわしくない不機嫌な表情で、ゲオルク・フォン・ヴァイスベルクは書類を睨みつけていた。


 銀髪の侯爵が発する重苦しい雰囲気に、執務室の空気まで重くなっているようだった。


「あら、どうしたの?」


 扉から顔を覗かせたマルガレーテが、夫の様子を見て首を傾げた。


 蜂蜜色の髪を緩やかに結い上げた侯爵夫人は、いつも通りののんびりとした雰囲気を纏っている。


「そんな怖い顔をして、書類が悪さでもしたのかしら」


 ゲオルクは溜息をついて、手にしていた羽ペンを置いた。


「また例の連中が接触してきたんだ」


「例の連中?」


 マルガレーテは執務室に入り、夫の向かいの椅子に腰を下ろした。


 優雅な動作だが、どこかのんびりとしている。


「第二王子派だよ」


 ゲオルクは不愉快そうに言った。


「今度は子爵を使いに寄越してきた。丁重な言葉で包んではいたが、要は我が家も第二王子殿下を支持しろということだ」


 マルガレーテは苦笑を浮かべた。


「まあ、彼らも懲りないわね」


 彼女は紅茶のポットを手に取り、二人分のカップに注ぎ始めた。


「前にも断ったでしょうに」


「そうなんだが、向こうも必死なんだろう」


 ゲオルクは疲れたように額に手を当てた。


「ヴァイスベルク侯爵家の支持は、それなり以上に重みがあるからね」


 マルガレーテは夫に紅茶を差し出した。


「でも、あなたの答えは変わらないんでしょう?」


「当然だ」


 ゲオルクは紅茶を一口飲んで、少し表情を和らげた。


「私は王太子レイン殿下を支持する。その立場を変えるつもりはない」


 マルガレーテは夫の横顔を見つめた。


「理由を聞いてもいい?」


 彼女の声は穏やかだが、真剣な響きを含んでいた。


「もちろん、私もあなたの判断を支持しているけれど」


 ゲオルクは椅子の背にもたれ、天井を見上げた。


「レイン殿下には、アルカディアの血が特に濃く流れている」


「アルカディアの血?」


「そう。王家の血統は、ただの尊き血筋じゃない」


 ゲオルクは身を起こし、妻を見つめた。


「彼らは、ある意味で魔術の極点を体現している存在なんだ」


 マルガレーテは興味深そうに耳を傾けた。


「どういうこと?」


「これは門外不出だぞ。決して外には漏らしてはならない。多くの貴族は知らない事だからな」


「ええ」


「アルカディア王家の者たちは、特殊な魔術の使い手なんだよ」


 ゲオルクは説明を始めた。


「自身の願いを叶えるというシンプルかつ強力な魔術だ」


 マルガレーテの目が少し見開かれた。


「願いを叶える魔術?」


「ああ。ただし、普通の魔術とは違う」


 ゲオルクは紅茶を飲みながら続けた。


「通常の魔術は、術式を組み、魔力を練り、現象を引き起こす。でも、王家の魔術は違う」


 彼は一呼吸置いた。


「彼らはまるで物語の主人公のように、望む未来を引き寄せる力がある」


 マルガレーテは考え込むような表情を浮かべた。


「それは……すごい力ね」


「そうだ。そして、レイン殿下は王家の中でも特にその力が強い」


 ゲオルクの声に確信が宿った。


「私が実際に謁見した時、それを肌で感じた。あの方の周りでは、世界が彼の意志に従って動いているような感覚があった」


 マルガレーテは夫の言葉を静かに聞いていた。


 普段はのんびりとした彼女だが、重要な話の時は真剣に耳を傾ける。


「第二王子殿下はどうなの?」


「ああ、第二王子殿下にも確かにその力は備わっている」


 ゲオルクは頷いた。


「だが、極々僅かなものだ。レイン殿下には及ぶべくもない」


 ゲオルクは窓の外を見つめた。


 庭園では秋薔薇が最後の輝きを放っている。


「我々貴族が王家に忠実なのは、単に伝統や権威のためじゃない」


 ゲオルクの声が深くなった。


「彼らが持つその力こそが、王国を導く原動力となってきたからだ」


 マルガレーテは静かに頷いた。


「なるほど。だから第二王子派の誘いには乗れないのね」


「そういうことだ」


 ゲオルクは苦笑した。


「それに、レイン殿下はよほどのことをやらかしても、その力の強さゆえにまず廃嫡されることはない」


 マルガレーテが首を傾げた。


「よほどのこと?」


「例えば、国を滅ぼすような大罪を犯すとか」


 ゲオルクは肩をすくめた。


「でも、そんなことは起こらないだろう。レイン殿下は基本的に善良な方だからね」


 二人はしばらく紅茶を飲みながら、静かな時間を過ごした。


 執務室に流れる穏やかな空気は、先ほどまでの重苦しさとは対照的だった。


「でも」


 マルガレーテが口を開いた。


「その力も、際限なく何でも叶えられるわけではないんでしょう?」


「その通りだ」


 ゲオルクは頷いた。


「願いを叶える力といっても、限界はある。世界の理を完全に無視することはできない」


 彼は例を挙げた。


「死者を蘇らせたり、時を巻き戻したり、そういった根源的な法則に反することは不可能だ」


「それでも、十分にすごい力よね」


 マルガレーテは感心したように言った。


「ああ。だからこそ、今後の王国にはレイン殿下が必要なんだ」


 ゲオルクの表情が真剣になった。


「周辺国との緊張も高まっている。内政も複雑化している。そんな時代に、強い意志で国を導ける指導者が必要だ。レイン殿下はその気になればなりたい自分になれる。これは精神論ではない、本当にその様な自分になれるのだ。それがアルカディアの血さ」


 マルガレーテは夫の手を優しく握った。


「あなたの判断を信じるわ」


 温かな手の感触に、ゲオルクの表情が和らいだ。


「ありがとう」


 しばらくの沈黙の後、マルガレーテが悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「ところで、最近のエルンストの様子はどう思う?」


 ゲオルクも苦笑を浮かべた。


「ああ、セシリア嬢との『実験』のことか」


「そう、それよ」


 マルガレーテはくすくすと笑った。


「愛を実証的に研究するなんて、あの子らしいわね」


 ゲオルクも笑みを深めた。


「まったくだ。データを取って、分析して、法則を見つけようなんて」


 彼は首を振った。


「普通の若者なら、もっと感情的になるものなのに」


「でも、見ていて微笑ましいわ」


 マルガレーテは優しい表情で言った。


「二人とも自分たちなりに真剣に向き合っているもの」


 ゲオルクは考え込むような顔をした。


「確かにあの二人は相性がいい。魔術の話になると時間を忘れて議論している」


「それに」


 マルガレーテが付け加えた。


「最近は手を繋いで歩いているのを見かけたわ」


 ゲオルクの眉が上がった。


「ほう、それは進展があったということか」


「きっと『実験の一環』なんでしょうけどね」


 マルガレーテは楽しそうに言った。


「でも、二人の表情は幸せそうだった」


 ゲオルクは窓の外を見つめながら呟いた。


「我々の時代とはずいぶん違うな」


「そうね」


 マルガレーテも懐かしそうに微笑んだ。


「私たちの時はもっと形式的だったわ」


 彼女は夫を見つめた。


「でも、結果的には上手くいったでしょう?」


 ゲオルクは妻の手を握り返した。


「ああ、最高の結果だった」


 二人は顔を見合わせて、優しく微笑み合った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ