12.「君は要約が上手いな」
◆
王立魔術学院の中庭は、秋の陽光を受けて金色に輝いていた。
落ち葉が風に舞い、石畳の上に複雑な模様を描いている。
そんな中、エルンストとセシリアはいつものように肩を並べて歩いていた。
お散歩デートというやつだ。
「昨日の『感情増幅理論』の検証結果だが」
エルンストが切り出した。
「予想以上に興味深いデータが得られた」
「どのような結果でしたか?」
セシリアが青い瞳を輝かせる。
「感情の増幅率は、対象との物理的距離に反比例することが判明した」
エルンストは手振りを交えて説明を始めた。
「つまり、近づけば近づくほど」
「効果が強まるということですね」
セシリアが理解を示す。
二人が噴水の近くを通りかかった時、エルンストが急に足を止めた。
視線の先には、ベンチに座る二人の人影があった。
蜂蜜色の髪の令嬢と、栗色の髪の青年。
「アンナ嬢と……」
セシリアも気づいた。
「ラファエル・フォン・モンターニュ子爵令息ですね」
二人は楽しそうに談笑している。
その様子は、まるで親しい友人同士のようだった。
「興味深い」
エルンストが呟いた。
「彼も魅了されているのだろうか」
セシリアは眉をひそめた。
「でも、様子が違うように見えます」
「確かに」
エルンストも同意した。
「他の男性たちが見せる、あの異常な執着が感じられない」
二人はしばらく観察を続けた。
ラファエルの瞳には、「あの光」が宿っていない。
穏やかで、自然な好意の表情だった。
「データを取る必要がある」
エルンストが提案した。
「聴覚拡張の魔術で会話を聞いてみよう」
「盗み聞きですか?」
セシリアが難色を示した。
「それは少し……」
「学術的な観察だ」
エルンストは真顔で言った。
「もし彼も魅了されているなら、パターンを分析する必要がある」
セシリアは迷った。
確かに理屈は通っている。
でも、倫理的にどうなのか。
「君の友人たちを守るためでもある」
エルンストが付け加えた。
「この現象を解明しなければ、被害者は増え続ける」
その言葉に、セシリアは頷いた。
「分かりました。でも、最小限に留めましょう」
二人は木陰に身を潜め、エルンストが静かに詠唱を始めた。
空気が微かに震え、遠くの音が鮮明に聞こえ始める。
◆
「──本当に美しいペンダントですね」
ラファエルの声が聞こえてきた。
「とても珍しい細工です」
「ありがとうございます」
アンナの声には、警戒心がなかった。
「父が東方から仕入れてくれたお守りなんです」
「東方の品ですか」
ラファエルが興味深そうに言った。
「何か特別な意味があるのですか?」
アンナは少し躊躇った後、答えた。
「詳しくは分からないのですが、父は肌身離さず着けているようにと」
「大切なお守りなのですね」
「ええ、一度も外したことがありません」
アンナの声が少し明るくなった。
「ラファエル様は、東方の文化にお詳しいのですか?」
「少しだけ」
青年は謙遜した。
「家に東方の美術品がいくつかありまして、子供の頃から見ていました」
会話は他愛のないものだった。
学院の講義のこと、最近読んだ本のこと、来月の舞踏会のこと。
二人の間に流れる空気は、穏やかで自然だった。
「最近、図書館にいらっしゃらないようですが」
ラファエルが尋ねた。
「ええ、少し……」
アンナの声が曇る。
「人が多い場所は避けているんです」
「分かります」
青年の声には同情が込められていた。
「私も、時々一人になりたくなります」
◆
エルンストが魔術を解いた。
二人は顔を見合わせ、聞こえてきた場所から離れた。
「どう思う?」
エルンストが尋ねた。
「彼は明らかに魅了されていません」
セシリアが断言した。
「会話も自然で、執着的な要素がありませんでした」
「同感だ」
エルンストは考え込んだ。
「だが、なぜ彼だけが」
「それより」
セシリアが真剣な表情で言った。
「ペンダントが気になります」
「ペンダント?」
「東方から仕入れたお守りと言っていましたが」
セシリアは声を潜めた。
「東方は呪術が盛んな地域です」
エルンストの表情が変わった。
「まさか、あのペンダントが」
「可能性はあります」
セシリアは慎重に言葉を選んだ。
「私の専門は呪術ですから、少し分かるんです」
彼女は続けた。
「東方の呪具には、様々な効果を持つものがあります」
「例えば?」
「感情を増幅させるもの、人の意識を操作するもの」
セシリアは指を折りながら数えた。
「そして、それらの効果を強化するもの」
エルンストは愁眉を寄せた。
「つまり、アンナ嬢の能力は」
「元々の体質に、呪具の効果が加わっている可能性があります」
二人はしばらく沈黙した。
風が吹き、落ち葉が舞い上がる。
「直接話す必要があるな」
エルンストが決意を込めて言った。
「これ以上の推測は無意味だ」
「私もそう思います」
セシリアも同意した。
しかし、ふと疑問が浮かんだ。
「エルンスト様」
セシリアは立ち止まった。
「なぜ、こうして積極的にアンナ様に関わろうとするのですか?」
エルンストも足を止め、セシリアを見つめた。
「それは君も同じではないか?」
「私は……」
セシリアは言葉を探した。
「確かにそうですね」
「君の友人、マリアンヌ嬢の件があった」
エルンストは静かに語り始めた。
「君は彼女のために手を貸した。なぜか?」
セシリアは考え込んだ。
「友人だからです」
「そう、友人だから」
エルンストは頷いた。
「他人だが、無関係ではない。そういうことだ」
彼は続けた。
「君がアンナ嬢を気にかけるのも、同じことが起きては友人が困ると考えているからだろう」
セシリアは小さく頷いた。
「つまり、君の中には『友人には手を貸すべき』という価値観がある」
エルンストは真っ直ぐにセシリアを見つめた。
「では、私と君はどういう関係だ?」
「婚約者同士です」
セシリアは即答した。
「ならば」
エルンストの声が優しくなった。
「私が君の懸念を払うべく動くのは、極々当然のことではないか」
セシリアは息を呑んだ。
「私のために、ということですか?」
エルンストは目を見開いた。
「君は要約が上手いな」
彼は感心したように言った。
セシリアは苦笑した。
エルンスト様が回りくどいだけでは、と口に出さないのは淑女のたしなみというやつだった。
しかしその笑顔の奥で、セシリアは心が温かくなるのを感じていた。
エルンストは確かに優しい。
でも、決してお人好しではない。
セシリアは決闘の時のことを思い出した。
もしアイラがレオナルドを庇うために出てこなければ。
そしてレオナルドが降参しなければ。
恐らくエルンストは、躊躇なくレオナルドを殺めていただろう。
もしかしたらアイラその人でさえも。
なぜなら、決闘法でそれが許されているから。
見逃した理由も勝利条件が満たされたからに過ぎない。
そういう冷たさがエルンストにはある。
しかし、それでもセシリアはエルンストを恐れたり嫌悪したりはしなかった。
むしろ、その冷徹さと優しさの両面を持つエルンストに深い魅力を感じていた。
「どうした?」
エルンストが心配そうに尋ねた。
「いえ、何でもありません」
セシリアは微笑んだ。
「ただ、あなたという人について考えていました」
「私について?」
「ええ」
セシリアは少し照れたように言った。
「とても興味深い研究対象です」
エルンストも微笑んだ。
「君もまた、私にとって最高の研究対象だ」
二人は顔を見合わせて、小さく笑った。
「さて」
エルンストが真面目な表情に戻った。
「アンナ嬢と話をする機会を作らなければ」
「そうですね」
セシリアも頷いた。
「でも、どうやって?」
二人は考え込みながら、再び歩き始めた。
中庭の向こうでは、アンナとラファエルがまだ談笑を続けていた。




