第65話 噛みあわない二人
来るなら来い。
食ってやる。
――という、挑戦的な眼差しを向ける私。
それに応えて、私を凝視するエオール。
火花を散らしながら、見つめ合うこと……僅か数秒。
……完敗でした。
そもそも、美形恐怖症の私が秀麗なエオールと向かい合うなんて、無理なことなのです。
(もう、煮るなり焼くなり追い出すなり、好きなようにすれば良いのですよ)
けれど、そんなふうに、私が自嘲気味に視線を逸らしたら、エオールの方が悲しそうに俯いているのです。
(おかしいですよね。責められているのは私なのに)
エオールには、余程私に話したくないことがあるのでしょう。
(レイラさんと今、熱愛中の彼女さんのことでしょうか?)
見つめ合っている時間より遥かに長い沈黙を経て、エオールが放った言葉は……。
「陛下から妻を紹介するようにと命じられた。さすがに君と結婚して半年以上も経っている。無視することは出来ないだろう」
まるで業務連絡のようでした。
(何だ。エオール様は私にこれが言いたかったのね)
だったら、部屋に乱入なんかしないで、伝言だけで良いのに……。
……て。
そうですよね。
伝言じゃ駄目ですよね。
国王に謁見なんて、とんでもない事態です。
(やっぱり、陛下は舞踏会の令嬢が私だって気づいているんじゃ?)
だとしたら、あの夜逃げた私に対する処罰の場なのかもしれません。
(エオール様が変なのも、それを承知しているから?)
恐ろしい。
……どうにかして、断らないと、私の身が破滅するのではないでしょうか?
「私のような者で、本当に宜しいのでしょうか?」
「君は私の妻だろう」
不機嫌に断言しますけど、貴方、愛人二人いますよね?
(ほら、だったら、最近出来た愛人さんが適任ですよね? 身分の釣り合いが取れた御令嬢という話ですから、その方を未来の妻だと陛下に紹介されたら良いじゃないですか?)
……どうですか?
名案だと思うんですけど。
なんて、ここぞとばかりに意地の悪さを炸裂させても意味はありません。
ここは穏便に。
私は感情を排して、淡々とエオールに訴えたのでした。
「私は病弱でずっと寝たきりだったため、社交界のことなんて知りません。元々田舎者ですし、私が陛下にお会いすることで、エオール様にご迷惑が……」
「くどいな」
「は?」
軽く、一蹴されてしまいました。
「君は何でそんなに自虐的なのだ? フリューエル家の娘は、子供の頃に私の許嫁候補だったというだけで、今は何の縁もないんだぞ」
「へ?」
いやいや、なぜここでフリューエルの名前が?
要するに、エオールは私がサーシャルに嫉妬していると勘繰っているのでしょうか?
それにしたって……。
「えーっと。フリューエルの……方は、エオール様の許嫁だったのですか? 私は陛下の愛人だと……噂で聞いて」
「はあ? どこの噂だ、それは? 陛下と私、彼女は幼馴染のようなものだ。それに……だ。フリューエル家の娘……サーシャルは「変態」だ。出来ることなら、私は一生関わりたくもない」
全力で毒のこもった言葉を頂戴してしまいました。
エオールの口から、そんな激しめの単語が出てくるなんて、サーシャルは余程の変態なのでしょう。
(では、彼女が私に特別優しかったのも、変態方面で何か狙いがあったのでしょうか?)
……と、いけない。
おかしな好奇心を発揮して、墓穴を掘る必要はないのです。
しかし、エオールはわざとなのか、私を刺激することばかり言うのです。
「そういえば……。お妃様もサーシャルと陛下の関係を勘違いしているようだったな。私がいくら教えても、聞く耳持って頂けなかった」
「あー……やっぱり」
「はっ?」
「いえ」
「その、お妃様も君に大変興味を抱いている。何でも最近急に体調を崩されてから「病人に優しくしたい」という、慈愛心に目覚められたそうだ。病弱な君を労わりたいと」
「……労わる?」
いたぶる……ではなくて?
(一応セーラなりに、私との関係は誤魔化してくれたようですが……)
正直、報酬のこと以外で会いたいなんて言われても、私は寒気しかしないのです。
益々、断りたいのですが……。
「あの……エオール様。陛下とお妃様にお会いできるなんて、大変光栄なことだと思うのですが、ひとまず私の身体と相談をしないと……」
「しかし、君……調子は悪くないんだろう?」
おお……。
エオールの視線が再び私の汚れた靴に落ちていますね。
これぞ、拒否=死の流れのようです。
たとえ、断罪が待っていても私は陛下に会うしかないのですね?
「最近、貴族間で陛下はお妃様の他に「愛人」がいると、下世話な噂が流れてしまったのだ。反響が大きすぎるので、陛下は他に話題を作りたいらしい」
「私は話題作り……ですか」
「残念だが、そういうことになる」
幽霊令嬢ネタは、諦めたのですか……。
まあ、社交界で噂されている幽霊妻が姿を現したら、退屈を持て余している貴族様にとって、格好の餌にはなるでしょうけど。
「余計な注目を浴びるかもしれないが、私はこうすることで、むしろ君を護れるんじゃないかと思うようになったのだ」
「……?」
彼の言葉は難解すぎて、いまいち理解が追いつきません。
「……つまり、正式に妻だと陛下の前で私を紹介したら、離婚の時、私に慰謝料を渡して……護ることが出来ると?」
「どうしてそうなるんだ?」
「えっ?」
(違うの?)
うっかり漏らしてしまった私の本音は、確実にエオールの耳に届いていました。
「離婚だと?」
彼は寒々しい声で、私に念押すように尋ねてきます。
「なぜ、私が君と離婚するのだ?」
「それはその……。離婚せずに、愛人は囲いたいという?」
「どうして、私に愛人がいる設定になっているんだ?」
「あれ?」
そんな高圧的に問い返されても困りますよね。
だって、貴方……愛人いるんでしょう?
――なんて、私が怖い思いをしてまで、エオールの私的生活のことを問えるはずがないのです。
「……君は」
――まだ無理か……。
そんな独り言を呟いて、肩を落としたエオールの手がゆっくり私の方に伸びてきました。
(殴られる?)
びくりと肩を震わせて、きつく目を閉じると、彼が逡巡していることが伝わってきました。
やがて手を引っ込めた彼は、それでも今日に限って席を立つことなく、耳を疑うような要求をしてきたのでした。
「……私と踊ってくれないか? ラトナ」




