第64話 エオールの来襲
◇◇
――面会謝絶。
これはかなり有効な切り札で、私の体調が優れない時、ロータス医師にそのことを伝えれば、エオールが離れを訪問することはありませんでした。
(伝染病かもしれませんしね。無闇に近づいて、病を貰いたくはないじゃないですか)
故郷にいた時、兄にも通用した手です。
(もっとも、兄は私が本当に死にそうな時は葬式のこともあって、嫌々、私の寝室まで訪ねてきましたけど)
モリンが天国に逝ってしまった時、エオールは私の枕辺にいましたが、あれは偶然の産物で、ロータス医師の診察にエオールが紛れ込んでいただけです。
そういうことで、今回の場合は極めて異例。
何をどうしたのか、エオールが暴走してしまったのです。
「随分と性質の悪い風邪を引いたようだな。ラトナ。七日待ったが、それでも、しんどいと聞いたので、心配で来てみた」
――心配?
やはり、兄同様エオールも私の死後が心配ということでしょうか?
(どうしましょう?)
寝たふりをしましょうか?
(ああ、でもたった今、トリスさんに返答してしまったのに、寝たふりなんて出来るはずもないし)
誰かに判断を仰ぎたくても、瞬く間にミネルヴァもいなくなってしまいました。
逃げ場がない私は、無言で毛布に包まっているしかありません。
エオールが小さな溜息を漏らしたように感じましたが、きっと気のせいでしょう。
「ロータス医師からは、熱が下がったと聞いていたが、私とは会話が出来ないくらい辛いか?」
(……ロータス先生)
もっと重症に伝えて欲しかった。
だけど、先生だって雇用主のエオールに嘘は言えませんよね。
私が悪かったのです。
(もっと念入りに、具合悪いふりをしておくべきでした)
ごほごほと、相槌のように咳をしてみたら、すぐ目の前の椅子にエオールが座ったようでした。
当分、帰るつもりはないという意思表示ですね。
「先日、君は別邸に私を訪ねてやって来たみたいだな。アースクロットから聞いた。しかも、徒歩で来たとか?」
穏やかな口調ですが、過去を遡って、そこから尋問してくるとは恐ろしい。
犯罪者の取り調べのようですね。
(どうしよう)
評判の悪い下手な芝居を、私は当面続けなければならないのでしょうか?
一縷の望みに賭けて、私はものすごく小さな声で答えるという作戦に出ました。
「それは、その……。散歩していたら、偶然と申しますか」
「夜の散歩であんな場所まで? 偶然なんかでは訪れないと思うが?」
私の声、聞こえたんですね。
この囀りにも近い声を正確に聞き取り、剰え的確に回答をするとは……。
素晴らしい聴力です。
聖統御三家は、特別な耳でも持っているのでしょうか?
(感心している場合ではないのよ。私)
この危険人物にどう返答したら良いのか……。
「と、とても気持ちの良い夜だったので、何処までも歩けそうな気がしたのです」
「へえ」
もはや隠そうともしない、疑惑たっぷりのエオールの声。
普通、この自滅的な言い訳を信用するはずがないですよね。
私だって、自分の口から漏れ出した一言に、吹き出しそうになりましたよ。
だからといって、正直に答えるのもどうかという話ではないですか。
私が無言で固まっていると、毛布の中で、私の手が震えていることに気づいたのでしょうか?
エオールが慌てて柔らかい口調になりました。
「ち、違う。ラトナ。私は別に君を責めているわけではない。あの時、君が別邸まで来てくれた時、ろくに対応もできず、アースクロットがこの離れを訪れる隙を作ってしまったから」
「あー……。すいません、アースクロット様が残していかれたお金は後日責任を持って、私がお返し……」
「そんなものは、どうでもよいのだが」
「はっ?」
……よくないですよね?
この方は、私に何を仰りたいのでしょう?
「元々私が悪いのだ。今後は君に金が渡るように、ちゃんとするから」
「とんでもない! 申し訳ないことです。結構ですから」
益々、借金が嵩んでしまいます。
百歩譲ってエオールは良くても、将来、彼の正妻から請求がくるかもしれないじゃないですか?
「まったく、君はどうして……」
エオールが気まずそうに固まっていました。
(おかしいです)
私が舞踏会にいたことを知って、怒って殴りこんできたのではないかと、私は怯えていたのですが……。
(怒っていないのなら、適当にやり過ごして、丁重にお引き取り頂くしか)
ですが……。
怒っていない=何もしないという保証ではなかったのです。
「ラトナ。本当に君が申し訳ないと思っているのなら……」
エオールは強引に毛布をはぎ取ると、私に麗しい顔面を近づけたのでした。
「私の目を見て話すべきだろう?」
「……あ」
「君は私に何か話すべきことがあるのではないか?」
碧眼の中に、私の顔を映しながら、エオールが真摯に問いかけてきます。
「話すべきこと?」
どくんと、心臓が跳ねました。
先日アースクロットに言われたことなら、離婚のことでしょうけど。
(話せと言われて、何をどう話せと?)
全身痛くなるような緊張感の中、私がエオールの視線を追っていると、彼は寝台の下に無造作に置いていた私の使い古した「靴」に注目していました。
(……終わった)
エオールは確認したのでしょう。
靴の周りに落ちている土の存在を……。
考えなしに、その靴で外出してしまって、脱ぎ捨ててしまったのが致命的でした。
寝たきり療養中の人間が、靴を履いて外になんて出ませんよね?
(やらかしましたよ。私ったら)
自分の愚かさに泣けてしまいそうです。
まさかの自滅オチとは……。
……だから。
自棄になって、私も開き直ってしまったのです。
「エオール様の方こそ、私に話すべきことがあるのではないですか?」
唇を噛みしめて、エオールを薄ら睨みつけます。
もはや、どうとでもなれ……でした。