第63話 時間稼ぎが効かない相手もいます
◇◇
『……あのー。それって、ラトナさん。現実の話ですか? 夢じゃなくて?』
幽霊に「夢」認定されてしまいました。
(私が体験した舞踏会の修羅場は、余程、現実離れしているのでしょうね?)
フリューエル家で起こった一連の出来事を、私は覚醒後ミネルヴァに洗いざらい話したのです。
だけど、この通り……彼女は疑惑の目を私に向け続けています。
『ラトナさん。七日も発熱していたから、夢と現実の区別が曖昧になっているんじゃ……』
「まあ……夢だったら、私も良かったんですけど」
私は、部屋の隅の衣裳箪笥を一瞥しました。
あの箪笥の中に、舞踏会関連の一切を封印したのです。
ドレスや装飾品、エオールから贈ってもらった赤い靴の一式を仕舞いこんでから、すぐ、私は知恵熱?を出して寝込んでしまったのでした。
(最早、疲労すると熱が出るというのは、私の定番よね)
未だ全快とは言い難い、もどかしい身体です。
けれど、今までとは違って、発熱して倒れた後、ロータス先生のお世話になったことも、私は鮮明に覚えているのです。
そういうことなのだから……。
フリューエル邸の出来事だって、幻覚ではなかったのでしょう。
『でも、それが現実だったら、おかしいですよね?』
「え?」
『そんな厳重な警備態勢の中、どうやってエオール様や陛下に捕まらずに、ラトナさんは帰って来たんですか? あの夜、普通に窓から帰って来ましたよ』
「ああ、それはサーシャル様のおかげなんです」
『サーシャル? フリューエル家の?』
「はい」
あの晩、個室から出て、あてもなく走っていた私の手を引き、荷物を返してくれただけではなく、外に止めてある辻馬車まで誘導してくれたのはサーシャルでした。
彼女が個室に呼ばれなかったのは、アデルが錯乱しないための高度な判断だったのでしょうが、彼女は彼女でアデルの今回の所業に気づいてしまったようでした。
「君をここから逃がしてあげる。弟が君に大変失礼なことをしてしまったみたいだからね。陛下は子供っぽいところがあるから、ここで捕まってしまったら……当分、遊ばれると思う。君がそういう目に遭うのは……君の家族も本意ではないだろうから」
――家族?
今のところ、家族といえる生身の人間を私は持っていないのですけど……。
「まあ、何かよく分かりませんけど、私にはサーシャル様の好意がありがたかったのですよ。あの危機的な状況を助けてくれた女神様のようでした」
『女神様……ねえ。なんかよく分からないって、かえって怖くないですか? 何の目的もないのに、素性不明のラトナさんを助けてくれるなんて……。ラトナさんを着飾らせた理由だって分かりませんし』
「ああ、でも……サーシャル様とアデル坊ちゃんは、私の後ろにいたセーラ様……お妃様の姿が視えていたみたいですから、セーラ様のことが気になった……とかでは?」
『うーん。理由としては弱いですね。少なくとも、サーシャル様には、ラトナさんがエオール様の妻だってことがバレていると考えた方が自然ではないかと?』
「……やっぱり?」
『サーシャル様だけなら、マシな方かも?』
「うわあ……」
絶望的です。
背後には、あの国王もいるのです。セーラだって覚醒したら、私のことをぺらぺら皆に話すかもしれないのです。
……都合の良い現実逃避なんて、通用しないですよね。
普通に考えて、ミネルヴァの言う通りなのです。
(今頃、エオールと国王、フリューエル家で答え合わせでもしているんじゃ?)
想像するだけで、また熱が上がってしまいそうです。
「やはり、この戦法しか……」
『戦法?』
「必殺、時間稼ぎ戦法です。七日間苦しんだ発熱を利用して、エオール様とは、当分面会謝絶ということにするのです。その間に、セーラ様からのお金が届いたら御の字。届かなくても、就労場所を見つけて、離婚できる算段を整えるのです。出来る限り、ミネルヴァさんや皆さんと長くいられるよう、私頑張って籠城につとめます」
――時間稼ぎは、私の得意技です。
エオールとさえ対面しないで済めば、騙し騙し引き伸ばせると思うんですけどね。
『それでいけますかね?』
「いくしかないですよね」
『やはり、正直にエオール様に……』
「む、無理ですって」
それだけは勘弁してください。
きっと、大丈夫ですよ。
外面紳士のエオールです。
体調悪化で伏せている病人の部屋に侵入するような真似、絶対にしないでしょう。
時が経てば、私の印象も薄れていくはずですから、そこが狙い目というか……。
「ラ、ラトナ様!」
……が、しかし。
私の後ろ向きに明るい思考を打ち砕くように、トリスが部屋の扉を激しくノックしたのでした。
彼が直々にここに来る時は、客人の訪問時だけです。
(誰がここに……?)
面会謝絶を掻い潜って来る猛者ですよ。
またアースクロット?
それとも……?
「ラトナ様にお会いしたいと、旦那様がお越しです」
「はあ!?」
何でまたエオールが私に?
(外面紳士は、どこに?)
伝達が上手くいってないのでしょうか?
ロータス医師が彼に私の病状のことを伝えてくれなかったのか。
……それとも?
(早速、すべてバレた?)
こんなに早く時間稼ぎ戦法が突破されるなんて、想定外のことが起きている証ではないですか?
「まったく、愛人二人もいるんだから、私のことなんて、少しの間放置してくれたって良いのに」
つい最近まで、私が一人で苦しんでいる時こそ、空気のような扱いだったのに、今更どうして構ってくるのでしょう?
やはり、国王のせい?
セーラが元凶?
(ああ、もう)
私は大慌てで、毛布を頭からすっぽり被るしかありませんでした。
「あの……トリスさん。朝、ロータス先生にも申し上げましたが、私、体調がすぐれなくて」
蚊の鳴くような小さな声で、軽く咳までしてみましたが……。
「それは良くないな」
がちゃっと、扉が勢いよく開く音がしました。
「大丈夫か? ラトナ」
心優しく気遣うように見せかけて、エオールは大胆に、面会謝絶の扉を越えてきてしまったのでした。