第60話 憑きモノ女……悪くない渾名だと思います
「お妃様も、今頃目を覚ましているだろうな」
「目を覚ます?」
「よく眠っておられた」
「……?」
「お妃様は健やかにされている。もし、あの方に大事があったら国を揺るがす大騒動だ。さすがに舞踏会どころじゃない」
――元気にしている?
私は、主に死んでしまったセーラの無念に同情して動いていたのですが……。
(じゃあ、何? セーラ様は夢遊病で幽体にでもなって、私のところに来たってこと?)
記憶がないなんて言っていましたが、最初から偽名。
消えかかっていたのは、覚醒が近づいていたから?
そして、私の身体を使って陛下と踊るだけ踊って、側妃候補の令嬢を牽制したら、お目覚め時間のために消えてしまった。
(……何それ?)
何という狡猾さ。悪知恵なのでしょう?
(化け猫妃め。つまり、セーラ様は最初からこの舞踏会が「側妃選考会」であることを承知していたということですよね?)
分かっていて、私をこんな場所に導いたのでは?
どうりで、要領の得ない説明だったわけです。最初はともかく、途中からは諸々思い出していたに違いありません。
愛人というか、側妃候補筆頭がフリューエル家の娘さんだったから、敵意を燃やしていたのでしょう。
とんでもない人です。
確かに、最初からすべて白状されていたら、私は絶対に今回のことを引き受けませんでしたが。
(だからって、これはないじゃない)
騙まし討ちも良いところです。
いや、もう怒って良いのか、呆れて良いのか分からないくらい、私の人生の修羅場体験の場と化してしまいました。
(あの人が……この国のお妃様なんて)
私の方が、記憶喪失になりたいくらいですよ。
どうなったら、なれるのですか……。
今すぐ忘れてしまいたいです。
いや、むしろ知りたくもない情報を、摂取してしまったからいけないのです。
これ以上、居た堪れなくなる前に、速やかにこの場から退場してしまえば、見ざる、聞かざる……で通るのではないですか。
(いっそ一階だし、窓をぶち破って出て行ってしまえば? 警備の人って何処に配置されているのかしら?)
しかし、少しずつ体を動かし始めている私を目で制して、アデルがエオールを挑発したのでした。
「……で? ミノス公爵。貴方の目的は何ですか? そこの今にも逃げ出しそうな、憑きモノ女のことで、話でもあるというのでしょうか?」
「……憑きモノ女?」
「そこで七転八倒している女のことですよ」
エオールの顔色が一変したのが、愉快だったようです。
アデルは更に調子に乗って、言い重ねました。
「そこの女、あまりに無知で、よくフリューエルの屋敷に侵入できたものだと感心してしまいますよ。おまけに、陛下を霊の力を借りて、ダンスなんかして口説くなんて」
「口説くって、また……」
そんな悪女的な行為を私がすることが出来たのなら、もっと違う人生を送っていますけどね。
しかし、淡々と受け止めている私と違ってエオールは……。
「初対面の女性に対して、酷い侮辱だな。アデル殿」
ぎゅっと、エオールが強く拳を握りしめた姿を、私は後ろからしっかりと確認してしまいました。
幽霊妻といい、くすっと笑える渾名だと私は思ったのですが……。
エオールは、屈辱と感じたようです。
でも、別にエオールが貶められたわけではないでしょうに……。
「アデル殿。私は少々……いや、かなり貴方に対して怒っている」
「……はっ? どうして、貴方が?」
「今まで貴方が未成年だからと、格別に便宜を図ってきたが……。もうやめる。自分のしたことを棚に上げて、偉そうに女性を見下すなんて最低な男だ」
「未成年?」
「アデル殿は、十四歳だ」
……不意打ちの衝撃発言。
今日、何度目の奇跡でしょうか?
(嘘……よね?)
ここにいるアデルは、完成された整った顔立ちに、体格も惚れ惚れするほど良く、腕力も強いのです。とても子供には見えないのですが?
(若いとは思っていましたけど、まさか、まだ少年だったなんて)
「失敬な。いくら貴方でも俺を愚弄するなら、父上に……」
「告げ口するのなら、どうぞ」
さああっと、氷の風が皮膚に擦れるような酷薄な微笑。
アデルの嘲笑とは比較にならない、何度も戦場を駆けてきた者しか出来ない殺気を漲らせて、エオールは冷淡に言い放ったのでした。
「困るのは貴方だ。証拠は山のように用意している。フリューエルの嫡男として、ずいぶんと甘やかされて育てられたようだが、お妃様と陛下に特殊な睡眠薬を盛ったことは、許さない」
「ち……違う。俺はそんなこと」
「睡眠……薬?」
つまり、それを盛られて、セーラは意識不明に陥ったということでしょうか?
セーラの言葉を信じるのなら、その睡眠薬は陛下にも盛られていたはずですが……。
「理由がないだろう? 俺がそんなことする」
そうですよね。
一体、何のためにそんな面倒臭いことを……。
やはり、他に犯人とか黒幕がいるのではないでしょうか?
ほら、こういう場合。
(愛人のサーシャルさんとか?)
……しかし。
「観念するんだな。アデル」
ぴしゃりと厳しい声が飛んできて、今度はアデルが身を竦ませました。
すぐに、その声の主が分かったからでしょう。
金髪の長身男性がずらりと従者を引き連れながら、狭い個室に入ってきます。
月明かりの下、金、金、銀。煌びやかな髪色が薄暗い部屋に並び輝いて、逃げる態勢で腰を浮かせていた私は、そのあまりの眩しさに、再びソファーに沈みこんでしまったのでした。