第59話 化け猫姫に嵌められました
◇◇
(……あっ、エオール様、お元気になられたのね)
全速で走れるくらいなら、もう安心ですね。
良かったです。
私がセーラの滅茶苦茶な依頼を請け負った理由の一つは、エオールに対する恩義もあったのですから。
(完全に私は邪魔者ですよね。あとはエオール様にお願いして、私はラトナとバレないように、速やかに帰りましょう)
幸い仮面を被っていたおかげで、私の顔の半分は隠れています。
顔を突き合わせた途端、エオールが飛びかかって来るのではないかと警戒していたのですが、そんなことはありませんでした。
今の私は別人のような化粧もしていますし、エオールは私だって気づかないでしょう。
大体、私のために、彼がこんなところに乗り込んでくるはずなんてないのですから、狼狽える必要なんてなかったのですよ。
(安心したわ)
療養中の私がこんなところにいたら、即日離婚間違いなしです。
(この仮面は、たとえ私の顔が剥げても、つけっぱなしにしておかないと)
私は仮面の端を押さえて、うつむきながら、必死に室内の逃走経路を探っていました。
……ですが。
その行く手を阻むように、二人の会話は始まってしまったのでした。
「ミノス公爵は、今宵欠席だったのでは?」
「ああ。近頃、仕事が山積していて、本邸にも帰れない状態だったからな。過労気味で先日も倒れてしまって、これ以上余計な仕事はしたくなかったのだが」
……何だか言い訳がましいくらい、エオールが「多忙」「過労」を強調していますが。
しかも……。
先日、過労気味で倒れたって?
(セーラ様の愛人さんに、何かされて倒れていたんじゃなかったの?)
もしかして……。
いや、もしかしなくても……。
(私……めちゃくちゃ勘違いしているんじゃ?)
混乱が極まりつつある私です。
だけど、待ったなしでエオールは追い打ちをかけて来るのです。
「そもそも、今宵の舞踏会は既婚者が参加するものではないと思っていた。……だが、私なりに今回のことを見届けたくて、急遽、伺うことにしたのだ。無論、陛下と貴方のお姉様にはお伝えした」
「俺は初耳ですけどね」
(私だって初耳よ)
――既婚者が、ぞろぞろ参加するものではない?
(どうして?)
ぽかんとしていたら、まるで私に言い聞かせでもするように、エオールは滑舌良く話し始めたのでした。
「そもそも、今回の仮面舞踏会は、陛下の側妃を選ぶ趣旨で開かれている」
「……側……妃?」
思わず零してしまった私の呟きを拾って、エオールが刺々しく言い放ちました。
「今、お妃様との間には御子がいないのだから、ここで側妃となり、御子を儲けることができたら、国母となることも出来る。目の色を変えて、参加している女性ばかりだ。……私だって、まさか……自分から陛下にダンスを申し込む強靭な心臓を持った女性がいるとは思ってもいなかった」
あー……。
あらら?
それ、私のことですね。
エオールが発した一連の言葉の一つ一つが、まるで私を責めているようですが、さすがにそれは気のせいですよね?
ごくり、私は息を呑みこみました。
(でも、アレ……私ではないのですよ)
セーラという謎の令嬢こそが、強靭な心臓の持ち主なのですが……。
ああ、口に出して言うことができないのがもどかしいですね。
(……て。あれ?)
待って下さい。
私、肝心なことを失念していませんか?
――ということは、セーラがお妃様で……。
先程、私=セーラが踊った美形な金髪男性って?
あれ?
「……陛下?」
自分で口に出しておいて、目の前が真っ暗になりました。
私は仮面を押さえるどころか、顔面を押さえて悶えてしまいましたよ。
(うわーっ!! 何たること、何たること!?)
やっぱり……私、莫迦なの?
世界一の莫迦?
(私は今の今まで、陛下と仲良くダンスしていたんですか!?)
最近まで死にかけていて、尚且つ、故郷では使用人も食べないような残飯を啜って辛うじて生き繋いでいた底辺の私が……。
(悪女認定、待ったなしだわ)
一発逆転、側妃狙いと思われてもおかしくないですよね?
(円満に離婚しているどころの騒ぎじゃないわ。正体が私だって発覚してしまったら、エオール様の妻から、まさかの側妃路線に変更って思われちゃうじゃないの?)
私が大胆に狼狽している姿が気になったのでしょう。
ソファーにふんぞり返っているアデルが嘲笑まじりに話しかけてきます。
「そうか。お前が言っていた、ユのつく名前の男性って……ユリシス。陛下の御名前だったのか」
(ああっ。こいつ)
傷口に塩を塗りたくるのが好きな、嗜虐的思考の持ち主のようですね。
何で、今ここで、得意げにそんなことを指摘するのでしょう?
(余計なことを知られて、エオール様に私だとバレたくないのですよ)
……と、警戒心を滾らせている最中に、エオールが振り返って、私を見据えていました。
私は即座に顔を後ろに反らして壁の方を見ているしかありません。
「君は……。ユのつく名前の男性を探していた? それが陛下だったと?」
私は頷くことも、首を横に振ることも出来ず、仮面を押さえて岩のように身体を硬直させるだけです。
……漂う緊迫感。
何も知らないアデルだけが、面白がって口を挟んでくるのです。
「ああ。しかし、お前が話していたセーラという名の女性は、俺も聞いたことがない」
「セーラ様は、実在していないのですか?」
ああっ。
(……やってしまった)
思わず気になって、声に出して問いかけてしまいました。
(無視してください。私の言葉なんて……)
なんて、私の一方的な願いが通じるはずがなく……。
エオールが眉間の皺を揉みながら、億劫そうに言ったのでした。
「それ、お妃様の愛猫の名前だな。セーラ」
「愛……」
「猫の名だ。陛下が昨年の誕生日に贈られて、お妃様は大層可愛がっておられる」
「へえ」
私は、虚ろな目で頷きました。
猫の名前だったんですね。
きっと、毛並の良い高価な猫なのでしょう。
そういえば、猫って人を化かすと言いますものね?
(化かされましたよ。おもいっきり!!)
セーラは、もう天国に旅立ってしまったのでしょうか?
(文句を言いたくても言えませんね。お妃様)
――と明後日の方向を眺めながら手を合わせていたら……。
またしても、私を横目で観察しているのでしょうか。
エオールがあっさりと痛い事実を告げたのでした。




