第58話 妻が知らない顔で陛下と踊っている
「なっ、何?」
「至急、お前の能力を使ってフリューエル家のサーシャルに伝言を。「赤い外套の娘が来たら丁重に扱うように。事件に巻き込まれないように細心の注意を払って接して欲しい……」と。そう伝えてくれ」
「えっ、ああ? いいけど。何なんだ。一体?」
「お前はここにいて、お妃様の様子を診ていろ」
「はっ?」
エオールは日頃決して乱すことのない金髪を掻きむしって、忙しくなく身支度をした。
「嫌な予感がする」
何をどうやって、ラトナはそこに辿り着いてしまったのか?
――今晩、最も危ない場所は、間違いなくフリューエルの屋敷だ。
フリューエル家で催される「仮面舞踏会」は、ユリシスがある狙いを持って、お忍びで足を運んでいる。
勿論、表向きはただの余興だ。
下世話な理由で開催される仮面舞踏会も貴族間では珍しくないが、聖統御三家の一つフリューエル家が主催する舞踏会は品位が高い。
それでも「仮面」舞踏会。
国王がお忍びで参加したのには、理由が二つある。
(もう……勘弁してくれ)
ただでさえ、妃の件で手一杯だったのに……。
(ともかく、急がなければ……)
ユリシスにラトナのことを託す方が楽なのだが、今この段階でユリシスは、フリューエル邸には到着していないだろう。
だったら、主催のフリューエル家の人間に伝えるのが最も確実だ。
――フリューエル家の長女・サーシャルしかいない。
(彼女もどうかと思うが、背に腹は代えられない)
サーシャルの父である公爵は、ミノス家にとって危険なので話しかけたくない。
彼女の弟アデルは、違う意味で危険なので、絶対に駄目だ。
(君はどうしてこんなことを……。ラトナ?)
公爵位も伴侶も子供だっていらない。
エオールは、今までずっとそう思っていた。
ラトナに好かれる必要だってないから、健康を取り戻したと聞いても他人事だった。
……けれど。
あの……ラトナの……屈託ない笑顔を見たあの日から、どうしても胸が痛むのだ。
(何をしているんだ。私は……。一人で必死になって)
自問自答しながらも、馬車を飛ばして、フリューエル邸に辿り着いたエオールだったが……。
「……は?」
そこで目にしたのは、ユリシスと完璧なダンスを踊っている妻=ラトナの姿だった。
(私は、一体何を見せられているのだ?)
何度もエオールは目を擦った。
白い肌に映える薄桃色のドレス。
仮面越しにも分かる。
いつも血色の悪い顔が薄ら上気して、見違えるように、艶やかに美しくなっている。
良い意味で強調されているエオールが贈った真っ赤な靴。
仮面に隠されていても分かる優雅な彼女の微笑み。
非の打ちどころがない完璧なカーテーシー。
(あれは……ラトナではない?)
ユリシスも気づいたのだろう。
颯爽と去って行く彼女を追うように、周囲の者に指示を出していた。
「彼女は一体……何者だ?」
ユリシスが頬を少し赤らめている。
それは、妻のエリザに向けたものなのか……それとも?
「彼女を捕えたら、私のところに……」
「……陛下っ!」
怒鳴りたくなるのを堪えて、エオールはユリシスの隣に立って、こほんと咳払いをした。
「駄目ですよ」
「エオール?」
「…………彼女は、私の妻です」
「はあっ?」
いつも悠然としているユリシスの表情が壊れた瞬間を、エオールは初めて目にした。
もっと詳しい説明を付け加えたかったが、ともかく今はラトナの保護が優先だ。
(妻を見つけるのは、夫の役目だろう)
何としてでも捜し出さないと、ラトナはこんなにも目立ってしまったのだ。
余計な男に絡まれる可能性は、倍増しているはずだ。
……そうして。
周囲に聞き取りながら屋敷内を走って、走って……。
およそ公爵らしからぬ振る舞いで、ようやくラトナに追いついたと思ったのに。
どういうわけか、今度は密室で、面倒臭さ百倍のサーシャルの弟・アデルと二人きりで向き合っているという、最高に腹立たしい展開を迎えていたのだった。




