第46話 消えかけのセーラ様
◇◇
「ああ。また面倒事が一つ……」
私という人間は……。
自力で稼ぐどころか、とうとう他人様からお金を恵んでもらってしまいました。
(私が気づかなきゃ、良かったんでしょうけど)
アースクロットが彼の従者とトリスに首根っこを掴まれて、強制退場になってしまった後、私は発見してしまったのです。
丸机に置きっ放しだった花瓶の下に、こっそりお金が置いてあることを。
……不覚でした。
「私はお金を寄越せなんて、一言も要求してませんよ」
額を押さえて室内を右往左往している私に、ミネルヴァが見事な突っ込みを入れてきます。
『いや、ラトナさん。遠いとか……散々呟いていたから、そんなにお金がないのかなって、同情されたんでしょうね』
「私、そんなこと言っていました?」
『がっつり言っていました』
だとしたら、私は最低な人間ですね。
(私はただ……今夜、舞踏会が開かれるフリューエル家の場所を知りたかっただけなのに)
セーラに聞くつもりでしたが、昨晩のような迷子にはなりたくなかったので、アースクロットなら知っていると思い、場所を確認したのです。
そしたら、かなり遠いということが発覚してしまい……。
大体、舞踏会用のドレスだって持っていないのだから、セーラの依頼を実行するのは無理だな……と、思っていた(多分、この時の心の声が断続的に漏れていたのでしょう)私に、彼はにやけながら意味不明なことを言ったのです。
「いいんだよ。ラトナさん。君がフリューエル家に対して、後ろめたく感じる必要なんて一切ないんだから。徒歩は物騒だから、馬車で行くといいよ。健闘を祈ってる」
……なぜか、祈られてしまいました。
おまけに片目を瞑って意味深に微笑されてしまい、私の頭の中は真っ白になってしまったのです。
(本当は、もう少しセーラ様の旦那様について、探りを入れたかったんですけどね)
一体、彼は何の用があって、私のもとに来たのでしょう?
(離婚される妻の顔を、拝みに来たとか?)
……ということは、このお金は彼なりの私に対する餞別?
(冗談じゃないですよ。すぐに稼いで返してやりますとも)
……なんて。
「まあ、無理ですよね」
『セーラさんがこれじゃ……報酬は期待できませんものね』
ミネルヴァの声音は深刻でしたが、口元がぷるぷる震えていました。
「やっぱり、セーラ様に天国からお迎えが来ているということでしょうか?」
『……おそらく』
ミネルヴァと私は顔を合わせて、二人同時に吹き出しそうなのを必死に堪えていました。
ええ。
本当に困った事態ではあるのです。
それは重々分かっているのですけどね。
もう……視界に入れてしまうと、無理なのです。
……セーラは確かに、そこにいるのですよ。
いるのてすが、彼女の幽体の透明度はぐんと上がってしまい、薄っぺらな存在になり果ててしまいました。
しかも、存在が消えかかっているせいか、何を話しているのかさえ、分からない状態に……。
彼女は口をパクパクさせて、まるで、陸に上がった魚のようになってしまったのです。
『セーラさんが、これでは……。ラトナさんが舞踏会に行ったところで、困るだけですよね?』
「てっきりセーラ様は、旦那様のことが未練で、死んでも死にきれなかったって思っていたんですが、そういうわけでもなかったのですね?」
『もしかしたら、エオール様が彼女の亡くなった場所を聖化したのかもしれませんよ?』
「ああ、そうでした! モリンさんも、エオール様が生前の家を聖化した途端、天国に昇っていったんでした」
『だったら、エオール様もお元気になられたということでしょうし、今回の事件のことも伝わったってことで、幕引きで良いのかもしれませんね。むしろ、ラトナさんは対エオール様対策に励まなければ……』
「ですよね。セーラ様も天国に逝ってしまったら、切実なのは、離婚問題の方です」
せっかくやる気になったのですが、こういうこともありますよね。
後日、何とかしてアースクロットにお金だけは返しましょう。
……………はい、終了。
『……っ! ううっ』
……という訳には、いかないようです。
(何?)
実際には触れている訳ではないのですが、セーラが私の袖口を引っ張って、ぶるぶると顔を横に振っています。
「お金を、支払う……と?」
うん、うんと、激しくセーラが頷いています。
なるほど。
こちらが話していることは分かるのですね。
――でも……ね。
『……っ! ……っ!』
セーラが亜麻色の長髪を振り乱しながら、また何事か叫んでいますが、やはり彼女の喋っていることは、私には伝わってこないのです。
セーラは言葉の通じない苛々を、身体一杯に表現していました。
机をがんがん足蹴にして叫び、寝台の毛布をぼふぼふ叩いて喚き、私の耳元で何か囁いたりして……。
傍迷惑なのですが、可哀想です。
そこまでしても、一言だって私たちには聞き取れないのですから。
――とはいえ、これで撤収してしまったら、私が呪われてしまいそうです。