第39話 エオールと従弟
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厄介な仕事をユリシスから任されてしまったせいで、エオールはすっかり王宮に軟禁状態となってしまった。
数日に一度、夜遅く別邸に帰宅するのは、公爵としての仕事が山積しているためだ。
街の治安を維持するため、定期的に浄化・聖化活動をして回るのも、ミノス家の重要な仕事だ。
地道な努力によって、戦後間もないにも関わらず、王都の平穏は守られていると自負している。だから、サボるわけにはいかない。
眠るのは、明け方の少しの間だけ。
慢性的な寝不足で、常に頭が痛い。
周囲からは休めと、挨拶代りに言われているが……。
しかし、こんなことは、あの激戦を体験してきた身。
たいしたことではない。慣れているのだ。
ただ……。
どうしてだろう?
エオールには珍しく、窮屈さを感じていた。
いつも、国の為、陛下の命令をそのままに、機械のように実行してきた自分が珍しい。
(何なんだろうな……)
呼吸がしきれていないような、心が満たされないような……虚しい感覚。
自分には人並みの情緒なんてもの、必要ないと思っていたのに……。
レイラが……原因ではない。
繁忙期に「スノードロップ」に立ち寄れないことは時々あることで、エオールは彼女に対して複雑な感情こそ抱いているが、それは決して恋愛ではない。
(ただ、私はレイラの歌声で「アイツ」を悼んでいるだけだ)
……では、何なのか?
理由は一つしか考えられない。
(明日で、十五日か……)
ミノス邸の離れに、エオールは顔を出せていない。
仕方ないだろう。仕事なのだから……。
その代わり、ラトナには千里眼能力者の従弟をつけている。
妻を監視するなんて、常軌を逸した所業ではあるが、ラトナは夜行性だ。
夜中に若い娘が独り歩きするなんて、危険ではないか。
レイラからはそうさせないように、夫婦間で話し合え……と窘められたわけだが、今現在、まともに話し合うまで仲が進展していないのだから、どうにもならないのだ。
特に奴から報告もないので、彼女は普通に偽療養生活を満喫しているのだろう。
それなら、別に良い。
ラトナが普通に過ごしてさえいれば……。
「とにかく、仕事を終わらせないとな」
ぼうっとしているだけ、時間が勿体ない。
別邸の仕事部屋で、眉間を揉みながら、書類に目を通して高速でサインをしていると。
軽いノックの音と共に、遠慮なく大男が室内に飛び込んできた。
淡い照明の灯りより明るい橙色の髪が目に痛い。
「何だ。お前……か?」
エオールの従弟。
妻を視ているはずの男が、どうしてここに来たのか?
「まさか、ラトナに何かあったのか?」
密かに動揺したエオールだったが、紙面から顔を上げず、冷静を装いながら問いかけた。
「いやー。まさかのまさか。お嫁さん、何だかんだで、貴方のこと心配しているみたいだ」
「さっぱり、意味が分からないのだが?」
相変わらず、結果だけで間が抜けている。
そこが、一番重要なのに……。
アースクロットは腕利きの能力者で、使いやすい男ではあるが、とにかく……うるさい。
(一体、誰に似たのだろうな?)
母の弟の子。
高慢で派手好きで粘着質の母とは真逆の楽観的でのんびりした性格の男だ。
外見も小柄な母と叔父に比べて、アースクロットは巨木のように背が伸びた。
頭に栄養がいかなかったのではないかと、エオールは本心から思っているのだが……。
(この男が、聖統御三家の一つ……)
クレア家の嫡男で、しかもエオールと同年齢。
――終わっている。
自分がしっかりしなければ、この国は潰れてしまうだろう。
「分からないかな?」
「今の説明で分かるとしたら、それは『神』だろうな」
「まったく……」
どうしてかエオールを小馬鹿にしながら、アースクロットは今度は長々と語り出した。
「貴方のお嫁さん。ミノス邸の離れから、こんなところまでやって来て……。別邸を探していたんだよ」
「何だって?」
思わず、窓から身を乗り出そうとして、ふと気づいた。
――どうせ、今更のことなのだろう。
この男の報告は、いつも遅いのだ。
「それで、お前はどうしたんだ?」
「あまりにも可哀想で、つい、追いかけて声をかけてしまったんだ。この寒空に女の子が一人、本邸から徒歩でこんなところまで来たんだから」
「……歩いて、ここに?」
さすがに血相を変えて、エオールは椅子から立ち上がった。
弾みで、山となった書類が数枚飛んだが、構っていられなかった。
本邸から、この別邸までは馬車で飛ばしても小一時間はかかる。
たまに散歩程度しか歩いていないはずのラトナが、普通に歩ける距離ではない。
(今からでも、追いつくのではないか?)
急いで追いかけようとしたが「待て待て」と、変に上から目線で止められてしまった。
「とりあえず、今も使い魔に見張らせている。独り言までは聞き取れないけど。大事にはなっていないはずだ」
「離れで……彼女に何かあったのか?」
こんな夜中にエオールのもとに来なければならないほどの何かが?
しかし、アースクロットは間髪入れず……。
「いや、それはないよ」
完全否定した。
まあ、仕事だけは出来る男だ。
その言葉に偽りはないはずだ。
……だとしたら?
不可解だった。




