第37話 どうして、私は失望しているのでしょう?
「そんな女性が公爵様にはいらっしゃ……いらっしゃるのですね。それは、とても……おめでたいことです」
凄い、私。
ちゃんと言えましたよ。
腹の中で「この女たらし。レイラさんに謝れ。全世界の女性に謝れ」なんて、言葉は乱れ飛んでいましたが……。
「そう。だからさ。君は自信を持って別邸の方に……」
「今日は遅いので、私……。これで、し、失礼します!!」
「えっ、あっ……ちょっと待って!?」
「さよなら」
私は狼狽している男の脇を風のように突きぬけて、全力疾走しました。
走りましたよ。
もう、それは小鹿のように……。
足ががくがくして、そのままつんのめって転びそうになりましたが……。
汗をかいて、息を乱しながら、私は自分の回復しつつある体力に感謝しました。
もう歩けないと思っていましたが、人間は危機的状況になると、ずば抜けた力を発揮するものですね。
『ラトナ。貴方、本当に馬車を頼むくらいのお金もないわけ?』
人通りの多い路上で、ようやく足を止めた私のところに、遅れて飛んできたセーラが、なぜか幽霊のくせに息も絶え絶えに尋ねてきました。
「私には1ホープが全財産なのです」
『公爵夫人が1ホープって。お小遣い制度か何かなの?』
「私は元々、今頃死んでいる予定だったので。エオール様は私の余命が少ないことを見越して娶って下さったのです。でも、意外なくらい長生きしてしまったので、エオール様も、私の存在を持て余しているのですよ」
『そんなことって……』
さすがに、強気で不遜で毒舌なセーラも私の様子を察して言葉を失くしています。
再び、よろよろ歩き出そうとした私を励まそうとしているのでしょうか……。
『そっ、そうだわ! どうせ別れるのなら、ミノス公爵からがっぽり慰謝料をもらったら? 愛人がいて、貴方が妻であるのなら、そういうことも可能でしょう?』
早口でセーラが言います。
……良い人ですね。
彼女のことを、私は誤解していたかもしれません。
「まあ、普通はそういう考えに至るわけですけどね」
『何よ、駄目なの?』
「セーラ様。先程、私がミネルヴァさんと話していたこと、聞いてなかったみたいですね?」
はあ……と私は溜息を落としました。
残念ながら、私にはそれが無理なのです。
「確かに、それが一番なんですけどね。でも、万が一慰謝料を貰えたとして、実家に強制送還されたら、兄の懐に入った挙句、私はそれとなく葬られてしまう可能性が……」
『……なんという、猟奇的な家族なの』
彼女、今度こそ言葉を失っていますよ。
私もつい喋り過ぎてしまいました。
(こんなこと誰かに話したところで……特に幽霊に愚痴ったところで、どうにかなるわけでもないのに)
外面だけは良い兄(外見も含めて)は、地元では家族思いの素敵な家長で通っていますから、運が良ければ、私も誰かの後妻に収まることも出来るでしょうが……。
でも、また……もし、体調が悪くなってしまったら?
(用無しの私は不慮の事故死か、毒を盛られて病死か?)
そういうことなので、絶対に実家には戻れません。
たとえ、裸で追い出されても王都で生きていかなければ……。
ああ、そんなこと今は関係ないですよね。
エオールのことです。
一体、私は何をこんなに動揺しているのでしょう。
あの感じだと、エオールはぴんぴんしているみたいですし、女性と仲睦まじく、責任を取らなければならない関係を楽しんでいるみたいですし……。
離婚といったって、明日明後日はないでしょうから、私にも執行猶予はあるのです。
なのに、どうして……私は。
――こんなに、失望しているのでしょう?




