第35話 例によって、迷子になりました
◇◇
エオールのことは心配です。人道的に……。
でも、私は標準より冷めた人間なので、自分の身の上の方を優先してしまうのです。
今、彼に何か遭ったら、私の方が「詰む」。
セーラの話は妄想っぽくて、あれから詳細を話すように何度もお願いしましたが、あまり覚えていないの一点張り。
にわかには信じ難いので、エオールも多分、元気でいてくれると思いますが、万が一ということもあります。
……だから。
私はちょっとエオールの様子を見に行くのです。
それで、少し警戒するよう促すのです。
何事も起こらなければ、それで良いのです。
ともかく会いたいわけではないので、彼の別邸近くをうろついて、手紙の一つでも置いて来るつもりでした。
しかし……まあ。
(主人の住まいの場所すら知らない妻というのも、我ながら痛いわよね)
今まで訪ねたこともなかったし、知りたいとも思わなかったことが仇となってしまいました。
まさか、借りたくもない手を借りることになってしまうとは……。
……屈辱的です。
『ほら、そこを、多分……右』
「多分?」
『いいから、右』
「はい」
『……で、その脇を左だったかしら?』
「かしら?」
『いいから、左よ』
「はあ」
私は昼間離れで出会ったばかりの高圧的な幽霊セーラの下僕と化して、夜の王都の外れを徘徊……もとい、歩き回っていました。
記憶喪失と主張している割に、道が分かるそうですよ。
霊は生前、馴染みのあった場所以外、出入りすることは出来ないそうなので、彼女はミノス家の本邸、別邸共に来たことがあるということですよね?
(謎すぎる)
今まで私が遭遇してきた標準的な幽霊と彼女はかなり違うようです。
……なんて。
そんなことは今の私にはどうでも良いのですけどね。
失敗だったのです。
……全部。
後先考えず、日が沈むのと同時に、離れを飛び出してきてしまったのがいけなかったのです。
私という人間はいつも臆病なのに、変なところで無鉄砲に猛進してしまうのです。
エオールが暮らしている別邸は、本邸から気安く徒歩で行ける距離ではなかったのでした。
(何、この徹夜の耐久徒歩大会?)
参加者が私だけの悪夢です。
足がもつれて、上手く歩けません。
普段の私は、死にそうな病人として振る舞っているのですよ。
元気な人でも大変な道程を、どうしてエオールのために歩かなければならないのでしょうか?
しかも、先程から同じところを回っているような、痛い感覚。
(莫迦だったわ。私、セーラ様のこと信じられないって言う割に、道案内を任せてしまうなんて)
でもね、もっと簡単に発見できると思っていたんですよ。
公爵様の別邸ならば……。
(何か目立つ標識でもあれば良いのに)
聖統御三家という名誉な家柄の当主の別邸ですから、きっと王都の一等地に、殊更目立つ金ぴかの御殿を建造していることだろうと、勝手に想像していたのですが、実際は都の喧噪から離れた場所に、ひっそり存在しているそうです。
セーラの言い分が真実ならば……という前提ですけど。
『あー。やっぱり。ここの通りを右だったかしら?』
「嫌がらせ?」
『はっ?』
「いえ、何も」
『仕様がないでしょ。わたくし馬車でしか移動したことがないんだから。貴方の方こそ、どうして辻馬車くらい使わないのよ? 御者に聞けば一発じゃない?』
「……おカネが……ナイからです」
『はあ!?』
ここまで来て、引き返すことも億劫な絶妙な距離感。
一体、私はこんな所で、こそこそ何をしているのでしょうか?
(都の裏通りのレイラさんのご近所も真っ暗だったけど、ここは本当に人気がなくて暗いわ)
孤独感に酔ってしまいそうです。
私は朦朧とした意識で、彼女の言う通り、よたよたと歩き出したのですが……。
――しかし。
「ねえ!」
幻聴でしょうか?
無視して前進しようとしたら、後ろから強めに腕を引っ張られてしまいました。
「待って!」
「へっ?」
私なんかに声を掛けてくるのは、幽霊くらいしかいないと思っていたのですが……。
……まさか?
「に、人間?」
――生きていますね。
「え? 人間……て、僕のこと?」
「あっ、いえ。久々に人と話したと申しますか」
「はっ?」
一体、何者でしょう?
私の眼前に周りこんで、壁のように佇む男。
飄々と背の高い男は、警邏隊か何かでしょうか?
ああ、しかし……。
長いクロックコートにクラヴァット。
上質な仕立ての背広は、どうやら貴族のようです。
――貴族?
(貴族って、こんな夜更けに供も連れずに、一人でほっつき歩いているものなのですか?)
いや、それはさすがに有り得ないですよね?
私は夜道にいて、見た目は一人きり。
(……ん?)
まさか、これって……。
めちゃくちゃ、私……危機的状況じゃないですか?




