第31話 得体の知れない旦那様
◇◇
「今日も大丈夫そうですね」
昼下がりのミノス家の離れ。
部屋の扉をそっと開いた私は、静かな外界の様子を確認して安堵の一息をつきました。
何の変化もない=エオールは来ない。
良かったです。
これで一日、のんびりできそうです。
公爵家の当主エオールと、半年も前に結婚した私ですが、彼とは担架で会った日以来、ほとんど会っていなかったのです。
それが……。
寒くなり始めた頃から、エオールは私の療養中の離れに、頻繁に通って来るようになりました。
(……嫌がらせなのかしら?)
有り得ない所業です。
一年に一度来るか来ないか知れなかった現当主のエオールが、ずっと放置していた離れに日を置かずにやって来るのですよ。
使用人たちは戦々恐々。
私も生きた心地のしない日々を過ごしていました。
もっとも……。
そんなことになってしまった理由について、私に心当たりがないわけではありません。
今にも死にそうな容態だったにも関わらず、うっかり全快してしまった私は夜の街で派手に動き回ってしまい、彼の最愛の女性・歌姫のレイラに接触してしまったのです。
挙句、頼み事までしてしまったので、たとえ、お相手のレイラが私のことを黙っていたとしても、エオールが色々と調べてしまう可能性は高いのです。
(仕方ないですよね。あの時は、レイラさんに頼る以外方法がなかったんですから)
……けど。
納得はしていても、後悔はしています。
そこは、優柔不断の王様みたいな私ですから。
特に、見舞いに訪れるエオールと顔を合わせる度に、私は逃げ出したくなってしまうのです。
彼のお綺麗な碧眼が、じっと私の方に向いているのを認識する度に、背筋が凍りつくような恐怖。
この人は無言の圧で私を責めているのではないか……と。
――お前のしていることは、すべて知っているのだ。
――愛しいレイラに何されるのか分からないから、お前を見張っているのだ。
……などと。
二人で過ごす沈黙時間中、自虐的な妄想が私の殺人事件に発展してしまうくらい、恐ろしくて……。
短時間で見舞いの品だけ置いてさっさと帰って行くのなら、どうして、しょっちゅう私の元にやって来るのか?
……来なくても良いのに。
なんて。
(あら、嫌だわ。私ったら……)
そんなこと、口が裂けてもエオールには言えませんよね。
私は彼に養われている身なのですから……。
(いつか自立して、円満離婚をするのです。その日までは、出来るだけ大人しくしておかないと)
ここは黙って耐えるしかないと、私は決死の覚悟をして、黙々とエオールを出迎えていたのですが……。
――それなのに。どうしたことか……。
今度は、ぱたりとエオールが私のところに来なくなったのです。
今日で十四日。
一切の音沙汰もなく。
(一体、何が?)
無言圧力の次は、放置攻めの方向で、私の心にトドメを刺すことにしたのでしょうか?
このまま二度と私と会う気がないのなら、それはそれで安心なのですが、何を考えているのか得体が知れないので、私はかえって混乱してしまうのです。
「……胃が痛い」
せっかく健康を取り戻したのに……。
これでは、エオールの謎の攻撃で再び私の寿命が縮んでしまいそうです。
『大丈夫ですか? ラトナさん。百面相が面白いことになっていますけど?』
「ああ、あまり大丈夫ではないですけど、今のところ、心と胃の痛み以外、身体は元気みたいです」
狭い部屋の中の唯一の居場所、寝台の上で膝を抱えている私を、頭上から心配そうに覗きこむ赤髪の少女。
ミネルヴァです。
彼女とも、すっかり長い付き合いになってしまいました。
……幽霊ですけどね。
『もしかして、エオール様が来ないのが寂しくなってしまったのですか?』
「へっ?」
……おや?
聞き違いでしょうか?
彼女はいつも冷静で賢くて優しいのですが、たまに、とんでもないことを口にしたりするので、注意が必要です。
「私が寂しい?」
そんなことを、ミネルヴァは言っていませんでしたか?
おかしいですね。
『ええ。だって、エオール様がこちらに通っている時より、今の方が辛そうですから。もしかして、会いたかったのか……と?』
あっけらかんとした彼女のとんでもない回答に、私は鳥肌を立ててしまいました。
まさかの本音だったとは……。
「どうして、そんな発想に? あの方が来ている時は来ている時でしんどくて、来なきゃ来ないで恐ろしいのです。特に考える時間が多くなっているので、胃痛との戦いも過酷な感じです」
『うーん。まあ、確かに』
何に対して、納得したのかは分かりませんが、ミネルヴァはふわふわ浮きながら、腕組みをして頷いています。
『変ではありますよね。エオール様。あんなに毎日ラトナさんのところに来ていたのに、さっぱり来なくなるなんて』
「ですよね? 一体、あの方何を企んでいるのでしょう?」
『企む……って。相変わらず、美形を敵視していますね。でも、私エオール様って、私達……幽霊が離れに大量発生していること、知っていると思うんですよね』
「ま、まさか、そんなはず……」
『あの痛ましいラトナさんの演技力で、国王の懐刀と言われているエオール様を欺くことが出来たとでも? あの顔、絶対に私達のこと分かっているようでしたよ。私、あの時、本当にひやひやしていたんですからね』
未だに語り継がれる私の下手な芝居。
ミネルヴァが口を酸っぱくして繰り返すのは、モリンが天国に昇ってしまった日の私とエオールの会話のことです。
あの時の私は動揺しまくっていたので、何を話したのかすら、よく覚えていないのですが、相当きわどかったようです。
しかし、ミネルヴァの言う通りだとすると、益々解せません。