第28話 夫婦で過ごす複雑な時間
「……そうだな。確かに無闇に使いたい力ではないな。むしろ、君は聖化を望んでいないようだから、今ここで行うのはやめておくことにしよう」
「はい。それが良いと思います」
やった!
……と、私は窓から覗いているミネルヴァに片目を瞑って勝利宣言を送りましたが、彼女は顔面蒼白で何かを訴えていました。
(……ん?)
よく分かりません。
私は首を傾げてみせましたが、そうしている間にも、エオールは話を進めてしまいます。
「今更かもしれないが、君に見舞いの品を持って来た。好きに使って欲しい」
そう言いながら、彼は丸机の方を指差していました。
(何、あれ?)
私は唖然となってしまいました。
贈り物の山が机一杯に置かれているのです。
我が部屋の歴史上、あり得ない光景が広がっているではないですか……。
(見舞いにしては、品数が多いのでは?)
しかも、贈り物の中には見慣れた花柄の巾着も混ざっていたのです。
「何だ? 君はあれが気になるのか?」
「……は、はい」
「あれは「リリンの魔法」という匂い袋だ。最近、私は孤児院の経営に携わるようになってな。そこの子供たちが自主的に作って私にくれたんだ。……君の身体に、この香りなら障らないと、ロータス先生に聞いたから」
「それは、ありがと……」
「ああ、それと」
恐るべき早口。
相変わらず、エオールは私に礼を述べる間も与えてくれません。
「近頃、寒くなってきたので外套を用意した。君の趣味が分からないので適当に買ったが、如何様にでも使ってくれ」
「外套?」
(あれ……が?)
目を凝らさずとも、温かそうな赤い外套はすぐさま視野に入りました。
(見事に真っ赤だわ。どこにいても発見しやすそうですね……なんて、素直に喜べないんですが)
どうして、私が外套を持っていないことを、エオールは知っていたのでしょう。
それに、リリンの魔法だって、まるで私に見せつけるような場所に置いて……。
(私の動向を把握しているような口振りですが、もし彼が知っているのなら、今頃血の雨が降っているでしょうし)
深まる謎です。
しかし、気が付くと、彼はもう席を立っていました。
まるで、軍人のような素早い身のこなし。もう帰る気満々ですね。
「そういうことで、私は仕事に戻る。君はこれからも療養に励んでくれ。次に何かあったら……必ず、私に伝えるように」
「は、はい。お心遣い感謝致します」
せっかちな方ですね。
(いくら、私と一緒にいたくないからって)
「じゃあ」
床に置き去りにしていた鞄を持って、部屋から出て行こうとするエオールの背中を、私は呆然としながら見送ります。
……と、その時。
――ちゃりん。
エオールが部屋の扉を開けようとした途端、何処からか銀貨が一枚落ちましたのでした。
その銀貨は、くるくる回転しながら、私のいる寝台の方までたどり着いて……。
――1ホープ硬貨。
パン一つ買うことがやっとの、子供のお駄賃程度のお金。
「これは、先程の?」
エオールが怪訝な顔でそれを拾いました。
「変だな。私は確かに1122レンホープ。すべて寄付したはずだが?」
――ああ。
すぐに私は察しました。
モリンの仕業であることを。
(凄いな、モリンさん。結構貯め込んでたんですね。スフォル領なら小さな家が買えるくらいの額ですよ)
彼女は「私にお金をあげたかった」と話していました。
その1ホープは、きっと……。
「エオール様。申し訳ありませんが、そのお金、私に頂けませんか?」
「……1ホープが欲しいのか?」
「ええ。とっても」
エオールが瞳を瞬かせています。
でも、決して駄目というわけではなさそうで、私が差し出した掌に、そっと銀貨を乗せてくれました。
(これ、絶対モリンさんからの餞別ですよね)
私が初めて稼いだお金。
「……ありがとうございます」
(ありがとう。モリンさん)
目を細め、銀貨を握りしめた私は、満面の笑みを浮かべました。
泣いてしまったら、モリンが嫌がるからです。
エオールはそんな私をひたと眺めています。
ああ、いけませんね。
傍から見たら、私、完全な変人じゃないですか。
「失礼しました。エオール様、これからお仕事なのに」
「……別に構わない」
咳払いしながら、彼は返事をします。
その頬が僅かに赤くなっていることを、私は知らずに、心の中でひたすら勝手な誓いを立てていたのです。
(モリンさん。私、幽霊の皆さんにいろんなことを教えてもらって、健康な体をなるべく維持して自立します。で、ちゃんとエオール様と円満離婚して、恋愛までたどり着けるよう努めますからね。私、性悪だから、道のりは遠いと思いますけど、でも見守っていて下さいよ)
気合十分で、窓の外で恐々見守っているミネルヴァたちに、笑顔を振りまいていた私ですが、ふと気が付くと、エオールはまだそこにいるのでした。
(何で、まだいるの?)
仕事はどうしたんでしょう?
きょとんとしている私を尻目に、彼は再び椅子に座り直します。
――なぜ、座るの?
「エオール様?」
「もう少し、ここにいることにした」
「はっ?」
「君は楽にしてくれて構わない」
――楽?
(何をどうやったら、楽になるわけ?)
私の苛立つ本心など知らずに、エオールは涼しい顔で、窓の外の景色に視線を向けています。
確かに、モリンの言う通り、彼は実家の兄とは違い、私を見下すような素振りは一切見せませんが……。
だけど……ですよ!
(一人感慨に耽っている姿は、大変美しいのですが、絶対、エオール様って幽霊視えていないですよね? それとも視えているからこその嫌がらせ? もうどうでもいいから、さっさと帰って頂きたいのですが……)
しかし、彼は更に私の混乱に追い打ちをかける一言を放ってきたのでした。
「ラトナ」
「……はい?」
(一応、私の名前覚えてくれていたのね)
まあまあ、新鮮な驚きがあったものの……。
彼は私が「奇跡の名前呼び」に怯んでいる隙を利用して、さらりと言葉を滑り込ませてきたのです。
「その……………すまなかった」
「……?」
何が?
(聞き違いではなくて?)
疑ったものの、エオールは、ばつが悪そうに顔を背けています。私の耳がおかしくなったわけではないのでしょう。
(意味不明の謝罪……)
彼の一連の言動が、私にはさっぱり分かりません。
(もしかして、レイラさんと、何かあったんじゃ?)
……訊きたい。
けれど、問う勇気もない私は、心臓の音が煩い緊迫した時間を、エオールと一緒に過ごすことになってしまったのでした。
⭐︎⭐︎第1章 終わり⭐︎⭐︎




