第26話 旅立ちの時
『ああ、そうでした。レイラさんにモリンさんの自宅にあるお金の話をしていたんでした』
『失敗したわ。あの時はつい頭に血が上ってしまって……。レイラはエオール様にそっくりそのまま話してしまったのね。私、お金の半分はラトナちゃんにあげるつもりだったのに』
エオールはモリンの家の前に馬車を止めると、颯爽と降りてきました。
すでに、人を使って捜索させていたようで、身形の良い帯剣した男性が三人エオールを待っています。
彼らの手には大きな木箱があって、それをエオールは慎重に受け取っていました。
「ご苦労。これは故人の望み通り、孤児院に寄付する。私が勘定するので書面の手続きが済んだら、これをお前達で先方に届けてくれ」
……ああ。
(あの箱の中に、モリンさんの貯めたお金が入っているのですね)
男性達が一斉に頭を下げると、彼らの間を縫って、エオールはモリンの家に近づいて行きます。
……そうして。
何を思ったのか、彼はいきなり家の前でしゃがんでしまったのでした。
『エオール様?』
具合が悪いのでしょうか?
上質な外套の裾が、地面についてしまっています。
誰か人を呼ばなくて良いのかと、私が心配しながら見下ろしていると……。
次の瞬間、エオールの裾が旋風にめくり上がり、彼は手を合わせて何かを呟き始めたのでした。
『ありがとう。ラトナちゃん』
『えっ?』
また唐突に、モリンが私に抱きついてきました。
『どうしたんですか?』
『もう、お別れだから』
『それは、どういう……?』
会話の途中でしたが、私はエオールの両手が黄金色に輝き始めたことに気を取られてしまいました。
これは、もしや聖統御三家にしか出来ない「聖化」。
まさか、こんなに間近で目にする機会が訪れるなんて……。
エオールがよく通る美声で祈りを捧げています。
「この者の魂が安らかであるように。天と地の精霊に抱かれて、常若の国に旅立てるように」
それは私でも知っている、葬礼の時に神父が捧げる定形的な祈祷文です。
だけど、エオールが唱えると質が変わって……。
心の奥が歓喜に満ちて、胸が熱くなり、無意識に涙が流れる感動。
この世の奇跡を目の当たりにして、私が圧倒されている間に、すっかり、モリンの身体は消えかかっていました。
(そう……か)
「聖化」は浄化の強力版。
未浄化霊なんて、すぐに消えてしまうくらいの威力なのでしょう。
今日、こうなることをモリンは覚悟していたのです。
(だから、強引に私を誘い、ミネルヴァをはじめ幽霊さんが、私にモリンと行くよう促した……)
『モリンさん、酷いですよ。分かっていたのなら、私もっと貴方といろんなことを話したのに』
私なんて、ここ数日寝込んでいただけです。
無駄な時間を過ごしてしまったことが、悔しくて仕方ありませんでした。
『これで良いのよ。しんみりするの嫌だもの。……私ね、孤児院のことが気がかりだったの。だから、それをラトナちゃんに解消してもらえて、こうして、エオール様の手で上げてもらえて……。贅沢よねえ。私、幸せ者だわ』
『何、殊勝なことを言っているんですか。私、まだ自分が何をすれば良いのか分からないし、人間的に未熟で、貴方がいないと困るんです』
『大丈夫よ。貴方は一人じゃないから。離れには理解者……幽霊も沢山潜んでいるし、少しずつだけど、生きている人だって貴方の味方になってくれているわ』
『……生きている人に、私の味方なんていません』
『ちゃんと視て。貴方は分かっているはず』
……そんな。
何で私の知らないことを示唆して、一人でさっさと逝こうとしているのですか?
引き留めることが、彼女のためにならないことくらい、私だって承知していますが、だけど、もっと……。
『遺言……になっちゃうけど、ラトナちゃん。貴方、美人だからね』
『はっ?』
『貴方は貴方の世界に今までずっと一人でいたから、自分の考えが、世界の価値観みたいになってしまっているかもしれないけど、私は真実、貴方のことがとても可愛いと思っている。そういう考えを持つ他人がいることを、貴方は知らなきゃいけないわ』
『モリンさん?』
エオールが作り出した光は、みるみる広がって、周辺一帯を聖化していきます。
もう、彼女の姿は掻き消え、声だけが空から降って来るようになりました。
『だから、いろんな角度から物事を視てみて。エオール様は貴方の兄様とは違うの。私、あの方……意外に良い旦那様になると思っているのよ』
『良い……旦那様?』
……それは、レイラの?
モリンは、最期の最後に謎を吹っかけていく性質みたいです。
首を傾げる私を、せせら笑う声。
腹立たしいですね。とても嫌な感じです。
『そうねえ。貴方が自分に掛けた呪いを解くことが出来たら、エオール様の本質も視えるかもしれないわね。いい? 私がしたかったこと、貴方が代わりにするんだからね。大恋愛、期待しているわ』
ああ、そういえば……。
(以前、そんな話もしていましたね)
――大恋愛。
せめて一生に一度、モリンに報告できるような、慎ましやかな恋が経験できたら……。
未だ名義上の夫から養われている分際で、ふざけたことを言っているかもしれませんが、願うくらいならいいですよね?
……モリンさん。




