第25話 幽体離脱してしまいました
◇◇
レイラにお願いした当日は興奮していたせいもあって、元気そのものだった私ですが、さすがに翌日には熱が出てしまいました。
(……やってしまったわ)
長時間、薄着で外にいたのは致命的でした。
最近、動ける自分が当たり前になってしまって、調子に乗っていたのかもしれません。
寝込むこと数日。
身体は弱りきっていたのですが、定期的にモリンが孤児院の様子を報せてくれるので、心だけは晴れ晴れとしていました。
どうやら、ソラスタ孤児院が慌ただしくなっているらしく、モリン曰く『ちゃんと、レイラがエオール様に話してくれたんじゃない?』とのことなのです。
今のところ、エオールも静かですし、我ながらこれが最善だったのではないかと、再認識中です。
他でもないレイラからの頼みですからね。
エオールも速やかに動いたのでしょう。
(もし、今回の件が上手くいったら、レイラさんにお礼をしなきゃ)
彼女がしていた薔薇の指輪。
レイラは客とは深い仲にはならないと言い切っていましたが……。
(本当は、薔薇の花が好きなのでは?)
エオールの気持ちは、一方通行ではないのです。
二人に愛があれば、身分差なんて関係ないですよね?
(ああ、寝てなんていられないわ。私が早く身の振り方を決めて、エオール様と離婚して、レイラさんに妻の座を譲らなければ……)
『ねえねえ。ラトナちゃん。また孤児院で動きがありそうなのよ。一緒に見に行かない?』
「うー……」
興味はあるけれど、でも駄目です。体が言うことをきいてくれません。
起き上がろうとした私は眩暈を覚えて、寝台に逆戻りしてしまいました。
「モリンさん、今夜は無理かも」
どんなに頑張っても、さすがに屋敷を抜け出すほどの元気はありません。
しかし、モリンは私の頭上でぷかぷか浮かびながら、言うのです。
『大丈夫よ。ラトナちゃん、丁度熱っぽくて朦朧としているし、肉体から出て幽体になってみたら、私と一緒に色々と行けるから……』
「それって。私が意識不明の重体になって、幽体離脱するということですか?」
いよいよ、モリンがお迎えに来ているということなのでしょうか?
『ふふっ。幽体離脱、楽しいわよ』
その意味ありげな含み笑いが、熱で目が霞んでいる私には二重三重にぶれて、やたら怖いのです。
結局死ぬのかと怯えている私に対して、モリンも他の幽霊たちも、平然としていました。
『もう、ラトナちゃんったら心配症ね。寿命でもないのに、自ら死なない限り死にはしないわよ。すぐに戻れるし、飛べるし、一度覚えると癖になるわよ』
「癖になったら、怖いと思います」
『ラトナさん。その辺りは私が厳重に見張りますので、大丈夫です。幽体離脱している間も、貴方の身体が何もされないように、ちゃんと見張っていますから。ね? モリンさんの望みを叶えてあげてください』
望み……って?
ミネルヴァがやけに真剣な顔をしていました。
(どうして?)
分かりませんが、ええっと、つまり……私が行くことは、決定事項なのですね?
「しかし、幽体離脱なんて、そんな「聖統」の貴族様にしか出来ないような真似、私なんかに出来るはずが……」
……て、あれ?
言いかけだった台詞は、すでに気絶した私の体から発せられることはありませんでした。
何体かの幽霊たちに、強制的に寝かしつけられてしまったようです。
荒っぽい手口で、若干引きますが……。
(あ、浮いてる?)
しかも、私は運良く幽体離脱できてしまったようで……。
気が付くと、モリンと一緒に空中にいたのでした。
すぐ下が孤児院だと分かったのは、隣の教会の十字架が宙に浮いている私の真横にあったからです。微かな花の香りは、おそらくこの敷地に咲いている花々のもので、リリンの魔法の材料となっているものでしょう。
最近では乱獲しすぎて、乾燥した花を取り寄せていると聞いていましたが、まだ咲いている花もあるようです。
『ほら、見て。ラトナちゃん』
『ここ高いですって。モリンさん』
私は下を向いた途端、ぞっとして顔を覆いました。
今まで高いところに登ったことすらないのに、突然、空中浮遊しているのです。
いくら何でも、段階をすっ飛ばしすぎです。
『もう、困った子ねえ』
幽体同士は手も繋げるようでして……。
モリンは力強く私の手を掴むと、地上にゆっくりと降下しました。
昼間のソラスタ孤児院。
入口の小さな花壇の前に、見たことのある少年がいました。
茶髪に琥珀色の瞳。きりりとした眉が特徴的な、背は低いけれど、大人っぽい表情を浮かべる少年。
ニアです。
彼を筆頭に、あの晩、私に仕事を叩きこんでくれた子供たちが集っています。
誰かを囲んでいるようでした。
一体、何者がいるのかと思ったら……。
『ほら、あれ。エオール様でしょ?』
『えっ? そうですか』
私自身は彼の容姿を覚えていないのですが、ニアが「ミノス公爵」と呼んでいたのが微かに聞こえたので、双子の兄弟でもいない限り、その輪の中心にいるのは、エオールで間違いないでしょう。
表立ってエオールがこの場に来ているということは、この孤児院を管理している貴族と話がついたということなのでは?
(さすが大貴族様。仕事が早いわ)
余程、レイラが上手く進言してくれたのでしょう。
『モリンさん。私、初めて正面からエオール様の顔を見ました』
美形という単語では言い表せない華やかさでした。
初対面で印象的だった、艶々の金髪も健在できらきら光っています。
だけど、今日は白い外套を着ていません。
代わりに秋を意識した、厚手のフロックコートを着込んでいました。
(着ている服で、印象って変わるものなのね)
我儘な王子様気質だと思っていたのですが、こうやってよく見てみると凛々しく、理知的で落ち着いた大人の男性という雰囲気でした。
「ありがとうございました。おかげで子供たちが助かりました」
教会の年老いた神父と共に、子供たちがエオールに礼を述べています。
それに応じるように、彼は柔和な微笑を浮かべていました。
(嘘でしょ?)
エオールも微笑することが出来るのですね。
『モリンさん。これは夢でしょうか?』
『まあ、夢だと思ってもいいけど。でも、良い夢の類よ』
そうですね。
私相手には一生エオールは笑ってくれないでしょうから。記憶に焼き付けておいて、損はないはずです。
「ねえ! 公爵様」
勢いよくニアがエオールに呼び掛けています。
「モリンの遠縁の人から話があって、貴方が動いてくれたんじゃないですか?」
「モリンの遠縁?」
「名前はえーっと……」
『なっ!?』
ニアがとんでもないことを口に出そうとしていたので、私は焦りました。
(ここでバレたら、全部私の働きが水の泡になってしまいますよ)
私はモリン以外聞こえない叫声を轟かせながら、ニアの周りを飛び跳ねていました。
幸い、彼は私の名前を思い出せなかったらしく、また思い出したら連絡すると、エオールに話してくれたので助かったのですが。
(……危なかった)
次に機会があったら、しっかり偽名を名乗らないと……。
……それから、エオールは一頻り外で談笑してから、子供たちに別れを告げて、馬車に乗り込みました。
次に向かった先は、荒れ果てた煉瓦造りの家。
なんと、モリンの自宅でした。




