第23話 心に闇を持っている人
「勝手なのは重々承知しています。けど、彼らは未来よりも「今」を生きているんです。今受けた傷がいつか未来に癒されることはあっても、決して消えることはない。永遠に残り続けるんですよ」
「……え?」
自分でも驚くほど熱くなってしまった私を、レイラはぽかんと見上げていました。
「失礼しました。つい」
(レイラさんも、突然現れた小娘に変な願い事された挙句、当たり散らかされた日には、呆れ果てるわよね)
羞恥で顔を真っ赤に染めた私に対して、暫時沈黙の後、レイラは静かに指摘しました。
「ねえ、冷めないうちにミルク飲んだら」
「うわっ。はい!」
言われるまま、再び椅子に腰を落ろした私は「頂きます」と断ってから、ミルクを飲みました。
レイラは先程とは打って変わって真摯に私を見据えています。
怒っているのでしょうか?
さっさと出て行けと言われることを、覚悟していたのですが……。
「ラトナさん……だったかしら? きっと世間知らずのお嬢さんで、労働なんてしたこともなくて、子供たちのためだって、偽善を押し付けた挙句、自画自賛に酔う性格なのかと思ったんだけど、よく見たら、手も荒れているし、着ているものも、質素すぎるというか……。一応は、そこで自分も働いてみたということかしらね?」
「……あー。一応です。労働に至ってしまったのは不可抗力と申しますか。でも、不器用すぎて何の役にも立ちませんでした」
「正直な人ね。そこはそうですって、頷いておけば良いのに」
レイラがくすりと笑いました。
そして、聞き取れるか否かの絶妙な声で、ぽつりと言ったのでした。
「後ろのお客さんも怖いことだしね」
「へっ?」
「何でもないわよ。もういいわ。分かったわよ。貴方の言う私の「客」が応じるかどうかは分からないけど、今回だけは特別に言うだけ言ってみてあげるわ」
「ほ、本当ですか!?」
私は思わず、レイラに手を合わせて拝んでしまいました。
何でしょう。この達成感は……。
こんな喜ばしいこと、今まで生きてきて、初めてかもしれません。
「はい、言うだけで構わないのです。多少、公爵の心に刻むことが出来れば」
「刻む……ねえ?」
レイラは頬杖をついて、真っ暗な窓の外をぼんやりと眺めていました。
「あのね、誤解のないように伝えておくけど。私、客と深い関係になるような安い女じゃないの。私が歌うのは戦争で負った人々の心の傷を癒すため。慰めと弔いの歌が中心なのよ」
彼女にとって、私にそれを話すことに何か意図があるようですが、残念なことに、私にはさっぱり分かりません。
「そうなのですね。きっと、素敵な歌声なのでしょうね。私、保証は出来ませんが、いつかちゃんとお金を払って、レイラさんの歌声聞きに行きますね」
「あー……」
「あっ?」
レイラはうつむきながら、眉間を揉んでいました。
がっかりさせてしまったのでしょうか?
「要するに、私の歌を好む人っていうのは、大体、心に闇を持っている人だってことなんだけど。私の言いたいこと、分かる?」
「闇……ですか?」
なるほど。
ようやく、分かりました。
レイラは、エオールのことを話していたのですね。
とはいえ、私は彼の容姿をほとんど覚えていないのですが……。
毛布の中で聞いた声は確かに……。
「そうですね。光というよりは、闇属性かもしれません」
「まあ、いいわ。それで」
悶々と考えている私の思考をぶった斬って、レイラもミルクを飲んでいました。
「機会があったら、聴きにいらっしゃい。店が嫌なら歌劇場に来れば良いわよ。少しくらいなら、まけてあげる」
そう言って、握手を求めてきてくれたので、私はレイラの手を恭しく握り返しました。
(ああ、真っ赤なマネキュアが綺麗だわ)
つい、うっとり見入ってしまった私ですが、それと同時にふと気づいたのでした。
……レイラの中指で光っている銀一色の指輪。
指輪の中央で咲いているよう造られた花は、確かに「薔薇」だったのでした。