第19話 私にもできることは?
◇◇
『ああ、もう本当にラトナちゃんったら!』
深夜に轟く幽霊の声。
一連の出来事を振り返って、モリンが嘆いてます。
うーん。幽霊でも疲れるみたいですね。
『分かっているわ。私が悪いのよ。あの状況は「逃げろ」じゃなくて「隠れろ」よね。反省しているわ。けどね、それでも。……貴方が一緒に働いてどうするのよ?』
……ええ、はい。
おっしゃるとおり。
我ながら、とんでもないことをやらかしたものでした。
先程の不審者……。
実はニアを捜していた孤児院の施設員だったのです。
中年の小太りの男は私の身分を尋ねて、ニアとの関係を聞き出そうとしました。
もちろん、私は上手い言い訳なんて、すぐには用意できなくて……。
押し黙っている私に痺れを切らした男は、ニアだけ連れて帰ろうとしたのです。
仕方ないですよね。
空き家に一人でいるよりはマシなのかもしれません。
(とりあえず、戻っても殺されることがないのなら)
……でも。
疲弊しきっているニアを連行して、そのまま今夜も働かせるつもりでいる男の様子や傍らで涙ぐむモリンを目にした私は、つい……。
――ニアを休ませる代わりに、私を働かせて欲しいと、頼んでしまったのでした。
めちゃくちゃです。
もはや、モリンの隠していたお金を回収するどころではなくなってしまいました。
「元々、入口に逃げてしまった私のせいですしね」
『そんな責任の取り方、望んでないわよ』
「うーん。私もとっさに、モリンさんのお金で釣って、隙を作ろうかと思ったのですが、あの男性に渡すのは嫌だったので」
『それは、まあ、ありがたいけれど……。私がこんなこと言える義理じゃないけど、二度とこんなことしちゃ駄目よ』
「はい」
それは、もう……二度なんてあって欲しくないです。
いまだに、思い出すだけで、身が竦みます。
……それにしたって。
(まさか、本当に私を働かせるなんて)
得体の知れない私を、孤児院側が拒む可能性も考えていたのです。
しかし、彼らも人手に困っていたようで……。
私のことを、ただ働きで使えそうな家出娘と判断したみたいでした。
「でも、私……想像以上に仕事ができませんでした。今こうして、何とか屋敷に戻れそうなのも、ニア君のおかげで」
大勢の子供たちは食堂を作業場にして、休憩も取らずに、仕事に励んでいました。
縫い物などをする子や、焼き上がったクッキーなどを箱詰めする子もいて、私は指示されて「リリンの魔法」の製作側に回されました。
精油と混ぜた乾燥させた花を手作りの巾着に詰める役を担当したのですが、なかなか器用に入れることが出来ず、かえって、彼らの足手まといになってしまったのです。
休んでいたはずのニアが見兼ねて、何とか逃がしてくれたのですが……。
――焦りました。
目の前で仕事が溜まっていく様を目撃するのは、心臓が悪くなります。
『ラトナちゃん。ああいうのは慣れもあるからね。それに、貴方は私のせいでしなくて良い労働をしたのよ。散々巻き込んでしまって、本当にごめんなさい』
モリンが立ち止まって、深々と頭を下げています。
私も歩みを止めて、真摯に彼女と向かい合いました。
「やめて下さい。私、モリンさんに謝罪してもらえるような人間じゃないんです。今日、何度も逃げようとしてたんですよ」
『本当に素直な子ね。ラトナちゃんって』
「はっ?」
『当然でしょ。こんなことが続いたら、逃げたくなるわ。普通じゃないもの』
そうでしょうか。
それでも、毅然と戦える人はいるはずです。
私が弱いせいで……。
なのに、彼女はそんなふうに、私の醜悪な部分を包み込んで、肯定してしまうのです。
私にもモリンが持っている優しさの欠片でも備わっていたら良いのに……。
「ニア君。私がいなくなったことで、罰せられたりしませんかね?」
『一応、働き手でもあるし、慈善事業という体を取ってはいるから大丈夫だと思うけど』
「肉体的には死ななくても、精神的に死ぬということもありますからね」
『そう……ね』
実家にいた頃の私は、いつか肉体が滅ぶ日を拒みながら、何処かで待っていました。
……ニアや子供たちも、そんな気持ちで日々をやり過ごすようになるのでしょうか?
(そんな子供たちを、私は……)
『ラトナちゃん。私、心底怒っているの。だって、私が生きていた頃は「リリンの魔法」だけだったから。でもね、死の直前こうなるような嫌な予感はしていたのよ。だから私は死後、すぐにミノス邸に行ったの』
「もしかして?」
『ええ。どうにか国を動かしたくて……。聖統御三家の一つ。聖化の力に優れているエオール様なら私の存在に気づくかもって思ったの。でも、あの方は私のことなど視ていなかった。愚かよね。大体、エオール様に訴えたところで、何が変わるわけでもなかったでしょうに。そうこうしているうちに、私、記憶まで失くしてしまって』
「そういうことだったのですか」
そうでした。
エオール=ミノス様。
途中の名前は忘れてしまいましたが……。
私の戸籍上の旦那様は国の中でも、名の知れた権力者です。
彼に陳情することで、国が動くかもしれない。
モリンにそういった思惑があっても、おかしくはありません。
(私が……エオール様に頼むことが出来たのなら?)
……なんて。
無理ですね。不可能です。
私はエオールと面と向かって話したこともありませんし、彼は結婚初日から私をあの離れに置き去りにした人です。
勇気を出して訴えたところで、動いてくれる保証なんて、欠片もなく……。
(愛情もなければ、信頼感もなく、利害の一致すらなくなりつつある現状)
時間を掛けて、エオールから信頼だけでも勝ち取れたら良いのですが……。
(そんな猶予ない……か)
私だって、このままずっと健康でいられる自信すらないのです。
「何か……。他に出来ることがあったのなら」
ぼんやり、私は呟きました。
言っているだけで、きっと何も出来やしないという前提だったのかもしれません。
……けれど。
モリンは違っていたのでした。
『ないことは、ないけど。でも……』
「モリンさん?」
『あっ、やだ。違うわ。忘れて頂戴』
慌てて、首を横に振った彼女の様子が尋常ではなくて、さすがに私もピンときました。
普段、歯切れの良いモリンが急に大人しくなってしまったのです。
――決まってますよね。私のためだって。
エオール自身に働きかけるのは、無理でもあの人に頼れば、きっと……。
けれど、私はモリンにそれ以上何も言えませんでした。
意気地がなかったのです。




