第16話 仕事の依頼
◇◇
「どうしましょう。昨夜のアレがバレたってことですよね?」
顔面蒼白の私は顔を両手で覆ったまま、寝台の上をごろごろ転がっていました。
人生終了のお知らせです。
病で幕を閉じるのではなく、こんな形で命を落とすなんて……。
(療養に務めろなんて……)
彼は当たり障りないようなことを喋っていましたが、きっと私の様子を監視しに来たのです。
「エオール様、部屋を変えるとか仰っていましたし、昨夜、レイラに会った咎で、私殺されるのでしょうか? 処刑部屋に送られる?」
「大げさね」
モリンが苦笑していますが、私の運命が一転する一大事です。冷静なんかじゃいられません。
昨夜、私があの場にいたことを、エオールが気づいていたのなら、愛しい人との密会を戸籍上の妻が盗み見しているという、最高に恐ろしい想像をしたはずなのですから……。
「何故? 私、エオール様を見かけたのって、ちらっとだけですよ。ほんの一瞬です。変装だってしていたのに……。あの距離、格好で、私だって特定できるものなのですか? モリンさんは怪しんでいましたけど、やっぱり、あの方って化け物か何かなんですか?」
人知を越えています。
だから、聖統御三家の一つなのでしょうけど。
私なんて、エオールの顔が未だに思い出せないのに……。
(許して下さい。エオール様。私、嫉妬なんて高尚な感情持っていません。昨夜は、たまたま、偶然だったんです。別に、エオール様が誰とどうなろうが、どうだって良いのです)
そんなふうに、一生懸命弁解しなければ……と、毛布の中で思ったのです。
だけど、それを口にすることで、かえって墓穴を掘るのも怖かった私は、息を止めて震えながら、彼が去るのを待ってしまったのでした。
『まあ、落ち着きましょうよ。ラトナさん』
ミネルヴァが子供をあやすように、私の背中を撫でながら、言いました。
『私、廊下に出て、使用人たちが話しているのを聞いたのですが、昨日、ロータス医師が別宅でエオール様と対面したらしいのです。そこで、この離れの状況を告発したんじゃないかって、噂になっていましたよ』
「えっ、じゃあ?」
『だから、昨夜の遭遇事件のことじゃなかったのよ。お医者様にせっつかれて、ここの衛生状況を見に来ただけよ』
モリンが冷静に補足してくれました。
――ということは、単純に引っ越しの打診だったと?
「私、部屋を変更は困るって、トリスさんに伝えました。だって、私は幽霊の皆さんがいなかったら、絶対にここで暮らしていくことなんて出来ませんから。今は調子が悪いので動けないって。その対応で良かったのでしょうか?」
彼らは、この離れと生前縁のあった場所以外、移動が出来ないのです。
私がここを出て行ったら、二度と会えなくなってしまいます。
『うーん。お医者様はおそらく、ラトナさんの病状が改善していることは、エオール様に告げたはずですから、部屋を変えない理由については弱いかもしれませんね。疑われることはあるかと……』
「しかし、ミネルヴァさん。馬鹿正直に幽霊と離れたくないからなんて、エオール様に言えませんよ」
『……ですよねえ』
ミネルヴァが、バツが悪そうに頬を掻いています。
モリンが私たちとの間に入りこんで、寝台に座りました。
『あのね、私思ったんだけど、この先、事態がどうなるか分からないじゃない? ラトナちゃん、エオール様のこと極度に怖がっているし……』
「今まさにそれが原因で具合が悪くなりそうなのですが……」
『念のため、いつでも出て行けるように、自分のお金だけはあった方が良いと思ったのよ。私は生前それで苦労したから』
「はあ」
申し訳ないことに、今の私にはモリンの言葉は響きませんでした。
エオールの脅威から、お金の心配に至るまで、考える余裕がなかったのです。
「……ですが、モリンさん。私、内職もしたことないし、働く当てもありません。嫁入り道具一式売っても、お金にはなりそうもなくて」
『違うのよ。ラトナちゃん』
そして、モリンは豊満な胸を反らして、威勢よく言い放ったのでした。
『私が貯めたお金のことを思い出したのよ。あれを、貴方に半分あげるようと思うの』
「……はっ?」
『庶民が貯めたお金なんて、ささやかなものかもしれないけど、この先、絶対に役立つはずだから、ぜひ、ラトナちゃんに取っておいて欲しいなって……』
最初、呆けていた私ですが、次第に彼女の言葉の意味が分かってきて、混乱しました。
「駄目ですよ。私、何もしていませんし、お金なんて絶対にもらえません」
『別に全額とは言ってないでしょう。半分はラトナちゃん。残り半分はあの孤児院に寄付して欲しいの。ソラスタ孤児院には、もう私が何かすることは出来ないけど、最期にそれくらいなら出来るかなって考えたのよ。だから、これは正式な仕事の依頼ってわけ。引き受けてくれるかしら? ラトナちゃん』
「仕事なんかじゃなくても、モリンさんの願いなら、私やりますよ?」
あの孤児院を心配する気持ちは、私も一緒です。
夜も子供たちが労働しているなんて、普通ではないのですから。
「ううん。仕事として考えて欲しいの。エオール様のこともあるし、貴方にとって危険なことを私はお願いしているのだから」
そうですね。問題はエオールですよね。
(もう少し、私のことを野放しにしておいてくれたら良いのですが)
正直なところ、彼の存在が脅威で、夜の街に出るのは怖いのですが、そうも言ってはいられません。
――そういうことで。
さすがにその夜は、エオールの目を警戒して部屋に閉じこもっていた私ですが、ミネルヴァ、モリンに夜の使用人たちの体制を見届けてもらい、安全を確認した上で、翌々日、再び、夜の都に繰り出すことにしたのでした。
――目的地はモリンの生前の家。
またしても、私の「夜の冒険」が始まったわけです。




