第12話 道に迷ったら、エオールの想い人に会いました
その後、モリンから、エオールがこちらを見ていたから隠れるように言われた私は、足早にその場から離れました。
まあ、一瞥くれた程度で、私がラトナだなんてエオールには分からないでしょう。
以前、一度ちらっと会っただけなのですから……。
「大体、療養中の私が街に繰り出しているなんて、エオール様、想像すらしていないと思うのですが……」
『うーん。でも、ラトナちゃんは知らないかもしれないけど、エオール様は聖化の能力だけではなくて、先の戦争では随分と武功も立てたっていうし、国王の懐刀で切れ者っていう評判なのよ。念には念を入れておいた方がいいわよ。今の時点でバレたら面倒じゃない?』
「それは初耳です。何だか不気味な……いえ、凄い方なんですね。……だとしたら、また何処かで鉢合わせする前に、帰った方が良いのかもしれません」
抜け出して来てしまった屋敷の方も気になりました。
万が一、今日に限って私の寝室に巡回なんてされた日には身の破滅です。
(早くエオール様から離れて、屋敷に戻らないと)
ですが、気持ちとは裏腹に、私はなぜか奥まった路地に迷いこんでしまったのでした。
(何で?)
表の大通りとは違い、明かりが少なく、人も疎らです。
「モリンさん。ここ何処でしょう?」
経験値の少ない私でも分かります。
物騒な場所だから、長居してはいけない……と。
『ごめんなさい。私にもちょっと記憶がおぼろげで……分からないかも』
「そう……ですか」
「大通りを一本入ると、途端に真っ暗になっちゃって。困ったわねえ」
モリンの口調が暢気なのは、私以上に彼女が動揺しているからなのでしょうか?
(それだけ危ないってことなのですね)
私は呆然とその場に立ち尽くしました。
「早く戻るつもりが、この体たらく……」
『あっ、来た道を戻ってみたら、良いんじゃない?』
「悲しいことに、何処から来たのか、分からなくなってしまったんです。モリンさんは覚えていないですか?」
『えーっと。確か、こっちだったかしら』
モリンが右横の小道を指差しました。
「あ、こっちですか。ありがとうございます!」
ぱあっと顔を輝かせて、私がその道を行こうとしたら……。
『ま、待って』
今度は真顔で止められました。
『やっぱり、こっちかも』
「こっち?」
――左の道。
(本当に?)
じっと私が視線をぶつけると、モリンさんはバツ悪そうに目を逸らしました。
「……やっぱり、モリンさんも忘れてしまったのですね」
四本の細い道が重なった合流地点に私はいます。
さて、どうしたら良いのでしょう。
「誰か人に聞くしかないですよね」
しかし、腹を決めたとはいえ、都合良く人が歩いているわけでもなく……。
いっそ、適当に前に進んでみてから考えようと一歩踏み出した……その瞬間でした。
前方から、かつかつと小気味良い足音と、石畳に長く伸びた人影が映りました。
「良かった。誰か来たみたいです。私ちょっと聞いて!」
喜び勇んで走りだしていた私は、ようやく気がつきました。
その人物の肩で、赤い薔薇がゆさゆさと揺れていることに……。
『ねえ、ラトナちゃん。あれって……』
指摘されるまでもありませんでした。
間違いありません。
先程、エオールが花束を渡していた女性です。
重そうな薔薇を片手で肩に担いで、早足でこちらにやって来た女性は、黒い髪を微風に靡かせながら、悠然とこちらにやってきました。
(さすがに、私がさっき見ていたたなんて、気づいてはいないでしょうけど)
それにしたって、一体どうしてこちらに?
私のことを認識していたのでしょうか?
(エオールは誰にも渡さないわって、牽制しに? いやいや、私は戸籍だけ妻なだけで、一度しか会ったことないんですよ)
特に彼女から何かされたわけでもないのに、私は混乱の極みを迎えていました。
怒鳴りこまれたら、どうやって弁明しようか必死に考えてしまったのです。
当然、道のことなんて訊けず、私は息を止めて、彼女が通り過ぎるのを待ちました。
(早く行っちゃってください。私は無害なのですから)
私は極力下を向いて、彼女の方を見ないよう務めていたのですが、存在感溢れる方です。無視が出来ません。
つい、横目で窺ってしまいます。
艶やかな長い髪。
ほっそりした長い手足。
モリン同様、胸元を強調した露出の高いドレスを着ていますが、全体的に豊満なモリンに比べて華奢な印象です。
思わず男性が守ってあげたくなるような、孤高の美しさがありました。
濃厚な薔薇の香りと、これは香水でしょうか……優しい花の香りが相俟って、更に女性的な魅力を上げていました。
「そこの貴方……」
「……」
誰か呼んでいます。
私はじっと石のように固まっていましたが……。
「貴方よ。貴方」
「ひっ!?」
肩を叩かれて、化け物に遭遇したかのような声を出してしまいました。
「これ、貴方にあげるわ」
「はっ?」
女性は薔薇の花束を、ぽいっと無造作に私に渡しました。
「いや、でもこれは……」
エオールが贈った花束ではないですか。
そんな簡単に私にあげて良いものではないはずです。
「常連客がさ、例によって寄越したんだけど。もう飾る場所なんてないのよ。かといって、捨てるのも忍びないし」
「客?」
「私、大通りの店で月に二回歌っているの。主に歌劇場で歌っているんだけど、この日だけは特別にね」
「いやいや、でも私」
「貴方が背負っている、大勢のお仲間さんに贈ってあげてよ」
「はっ?」
彼女の言っている意味が分かりません。
きっと酔っているのでしょう。
証拠に間近で見る彼女の白い頬は、真っ赤に染まっていました。
「毎回毎回、莫迦の一つ覚えみたく、花束ばっかり渡されてもねえ。困っちゃうわ」
くすくす、毒気を込めて、嗤っています。
(うわ……)
私は知ってはいけないことを知ってしまったのかもしれません。
(エオール様、意中の女性から莫迦呼ばわりされていますよ。しかも、想い人って歌手なのですか? 気持ちが通じ合っている人だったんじゃ……)
――つまり、エオールはただの歌手の追っかけということに?
もう、どうしたら良いのでしょう。私……。
動揺している私に花束を押し付けて、女性はゆらゆら揺れながら歩いて行きます。
「あっ、駄目ですよ。こんな人気のない通り、女の人一人じゃ……」
「何よ。貴方だって、こんな時間に一人じゃないの?」
「私は道に迷ってしまって」
「私が来た道行けば、大通りに合流するわよ?」
「……あ」
そうでしたね。
彼女は大通りの店の前で、エオール様から花束を贈呈されていたのですから……。
ちょっと考えたら、分かることでした。
「私の家、すぐそこだから。帰るだけよ」
「……そうだったのですか」
彼女は更に暗い路地の方を指差して、陽気に微笑みながら行ってしまいました。
私はその背中を見送りながら、むせ返る薔薇の香りと、芳しい花の匂いに、酔いそうになりました。
寝たきりの暗い部屋から、ほとんど外に出たことがない私としては、刺激が過ぎる出来事です。
「とんでもない夜になりました。……薔薇どうしましょう?」
こんなに大量に頂いても、療養部屋に飾るわけにはいきません。
私は硬直しながら、傍らのモリンに目をやりました。
しかし、それと同時に、弾かれたようにモリンが顔を上げたのでした。
「ラトナちゃん。私、全部……思い出したわ」
どうやら、私はこのまま屋敷に帰ることが出来なくなってしまったようです。




