47. 夢のようで、夢ではない(エピローグ2)
オリフィエルとともに皇宮に帰ってきたイレーネは、彼の隣できゅっと頬をつねってみた。オリフィエルがあまりにもずっと優しいので、もしかしたら実は夢だったのではないかと不安になったからだ。
馬車の乗り降りでは紳士らしくエスコートしてくれ、皇宮の建物に入るのをイレーネが少し躊躇ってしまったときは「私がついているから安心してくれ」と囁いてくれ、部屋でソファを勧められたので腰かけると、オリフィエルは向かいの席ではなく、なぜか隣に座ってきて「帰ってきてくれてありがとう」と髪を撫でてくれた。
もちろん嬉しくないはずないが、とにかく慣れなくて恥ずかしさでいっぱいになる。
それに、こうして比べるのもどうかと思うが、以前コルネリアと過ごしていたときの彼とも違って見えるというか、輪をかけて甘くなっているように感じられて、どうすればいいのか分からなくなってしまうのだ。
(やっぱり夢を見ているのかしら……)
頭もふわふわするし、やはり夢である可能性が高い気がする。さっきはつねったら少し痛かったけれど、念のためもう一度頬をつねってみよう。そう思って頬をつまむと、今度はオリフィエルがその手に触れて、顔からそっと離されてしまった。
「頬なんかつねってどうしたんだ。赤くなってしまうではないか」
「すみません、もしかしたら夢なのではないかと思って……」
「夢?」
「はい、オリフィエル様がとても優しくて幸せなので……」
そう答えると、オリフィエルは眩しそうな眼差しをイレーネに向け、両腕で包み込むように抱きしめた。
「私こそ夢みたいに幸せだ。君といると、どうしてこんなにも心が動くのだろう。愛おしくてたまらない」
「オ、オリフィエル様……」
耳元にオリフィエルの吐息がかかり、イレーネの頬が一気に赤く染まって熱くなる。その熱のせいか、さらに頭がふわふわとしてくると、オリフィエルが片手を離してイレーネの頬にそっと触れた。
「……君とは結婚式のときもしたことがなかったな」
「えっ、何を……? あ……」
オリフィエルが何を言わんとしているか察して、イレーネがまた頬を染める。そして、今その話をするということは……と考えているうちに、オリフィエルの彫刻のように整った綺麗な顔が目の前へと近づいていた。もう鼻先は触れ合う寸前で、彼の甘くて熱い眼差しで全身が溶けてしまいそうだ。
「イレーネ、愛している。一生君だけを愛すると誓う」
まるで結婚式をやり直すかのような言葉でオリフィエルが愛を誓う。
「私も、ずっとあなただけを愛すると誓います──」
イレーネも同じく愛を誓ったが、最後まで言い終えられたか分からないうちに、オリフィエルに唇を塞がれてしまった。
「イレーネ……」
「オリフィエル様……」
吐息混じりの声で互いに名前を呼んだあと、二人はまた夢の中に落ちていくかのように目を閉じて口づけ合った。
◇◇◇
──それから数年後。
街外れにある名もない花畑を、幼い男の子と女の子が歓声をあげながら駆けていく。
目的地は黄色い花が咲いている場所らしい。到着すると、二人一緒にしゃがんでごそごそと手を動かしはじめた。それからしばらくして顔を見合わせて笑ったあと、また一緒に立ち上がって戻ってくる。
「お父さま、お母さま! 見て! きれいなお花がいっぱいよ!」
「お父さまとお母さまが好きなお花だよ!」
黒髪を風に靡かせ、金色混じりの赤い瞳を輝かせた男の子と女の子が、瓜二つの顔に笑顔を浮かべて手を振る。その愛らしい小さな手には、太陽のような黄色の野花が握られていた。
「はいどうぞ。わたしたちからのおくりもの!」
愛しい双子から贈られた花束を、二人の両親が嬉しそうに受け取る。懐かしい場所、懐かしい花。あの日の記憶が昨日のことのように蘇る。
「エスメ、ミシェル、どうもありがとう」
「とても綺麗な花束だ」
イレーネが双子の頭を優しく撫で、オリフィエルが幸せそうに目を細める。大好きな両親に喜んでもらえたエスメとミシェルは得意げな笑顔を浮かべた。
「ぼく、お父さまとお母さまが好きな花、ちゃんと覚えてたよ。えらい?」
「ええ、偉いわ」
「わたしはこのお花の名前を覚えてるわ! えっと、たしかカレン……ドラ?」
「ふふっ、カレンデュラよ」
「そう! カレンデュラ!」
エスメがぱちんと手を叩いて黄色い野花の名前を叫んだ。
「でも、お父さまとお母さまはどうしてこのお花が好きなの?」
「うんうん、どうして?」
同じ方向に小首を傾げて尋ねるエスメとミシェルの姿に、イレーネとオリフィエルが顔を見合わせて微笑み合う。
太陽のような黄色い野花。
イレーネとオリフィエルを結び、繋ぎとめてくれた花。
幼き日にこの場所で二人は恋に落ちたのだと教えたら、エスメとミシェルはどんな顔をするだろうか。
そんなことを考えながら、イレーネは幸せそうに微笑んだ。
〈完〉




