46. イレーネに相応しいのは(エピローグ1)
夜会のあと、イレーネはオリフィエルとともに皇宮へと戻ることになった。
リシャルトは公爵家にあるイレーネの持ち物をあとで届けると約束し、ひとりで屋敷に戻った。
当然、使用人たちからイレーネについて尋ねられたので、夜会での出来事を説明すると、みな感動と安堵の涙を浮かべて皇帝夫妻の復縁を喜んだ。
(……素直に喜べないのは僕だけか)
今夜一緒に手を繋いで出かけたイレーネは、もうリシャルトの隣にいない。失われてしまった温もりを思うと、胸が抉られるように辛い。
自室に戻ったリシャルトはソファにどさりと座り込み、そのまま気力をなくしたように項垂れた。
こうなるかもしれないというのは、薄々予感していた。
それでも別の可能性を信じて二人の仲を割こうとした。
二人が離婚さえすれば、自分とイレーネが共になれる未来が開かれるはずだと期待して。
しかし結局、そんな未来は生まれなかった。
一体どうしていたら、この現実は変わっていただろう。
離婚の成立など待たず、イレーネに気持ちを伝えるべきだったのだろうか。
しかし、今振り返ってみたところで仕方がない。
もうイレーネの生涯の伴侶は確定してしまったのだから。
(僕だって、もっと早くに出会えていたら……)
虚しい気持ちで息を吐き出すと、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「失礼いたします。キーラでございます」
「……入ってくれ」
キーラは静かに部屋に入ると、ソファに力なく座ったままのリシャルトにお辞儀した。そんなキーラにリシャルトが暗い目を向ける。
「……君は皇帝の手の者だったんだな」
「その言い方は語弊がございます。私は皇帝陛下のためではなく、イレーネ様のために動いただけに過ぎませんから」
「それはイレーネに皇后の座を守らせるためではなく、イレーネの想いを汲んだという意味か?」
「左様でございます。あの悪女のせいで拗れてしまった縁の糸を直して、イレーネ様に笑顔を取り戻したかった。だから陛下に少し助言して差し上げただけです」
キーラが堂々と返事をする。そんな彼女に、リシャルトはなぜか完敗させられたような気がして小さく自嘲した。
「……僕もイレーネを笑顔にしたかったんだ」
だから相手が皇帝だろうと退かずに対抗しようとした。
「でも、いつからかイレーネの気持ちよりも自分の気持ちを優先していたのかもしれない。だから君と陛下に負けたんだろうな」
オリフィエルは復縁を願うときさえ、イレーネの気持ちを一番に考えていた。それに引き換え自分は、イレーネがオリフィエルに気持ちを残していることを知っていながら離婚を強行しようとした。
そんな男がイレーネに相応しいとはとても言えない。
「……イレーネ様が伴侶として愛されているのは皇帝陛下でいらっしゃいますが、公爵様もまたイレーネ様にとってかけがえのない存在でございます。公爵様という絶対の味方がいらっしゃったからこそ、イレーネ様は深い心の傷にも耐えることができたのですから」
「……」
キーラが制服のポケットから書類を取り出し、リシャルトに差し出した。
「私はイレーネ様についてまいりたいと思います。短い間でしたがお世話になりました」
辞職届を受け取ったリシャルトが苦笑する。
「君を雇ったのが間違いだったのか正解だったのか分からないが、とにかく優秀で主人思いなのは確かだ。……イレーネをよろしく頼むよ」
「精一杯お仕えいたします」
キーラが出ていったあとの部屋で、リシャルトはさっきよりも少しだけ気分が晴れているのを感じた。それに今はイレーネへの想いが報われなかったことより、イレーネを思いやる気持ちで負けたことのほうが悔しく思える。
イレーネへの想いを整理するにはまだ少し時間がかかりそうだが、なんとか区切りをつけなくては。
(これからは誰よりもイレーネの幸せを願える、本当の兄になれるように──)




