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45. 後悔の果ての光

「えっ! 皇帝陛下と離婚なさるのですか!?」


 クライン侯爵夫人の声に他の貴族たちの注目が集まる。

 意図したとおりの展開に、リシャルトは笑みを深めた。


 急遽夜会に参加することにしたのは、イレーネを皇帝から遠ざけるためもあったが、もうひとつ目的があった。


 それが、「皇帝への離婚の申し入れ」を他の貴族たちに周知させること。


 イレーネに離婚の意思があると知れば、娘を次の皇后にしたい有力貴族が欲を出すはず。皇帝がいくら離婚を拒否しようとしても、もっともらしい理由で貴族たちから反対され、離婚に応じざるを得なくなるだろう。


 皇族の結婚とはそういうもの。感情だけで突き進むことはできないのだ。


 リシャルトは周囲の貴族たちにもよく聞こえるように声を張った。


「イレーネはもう皇后の座から降りたいと──」

「待て」


 しかし、リシャルトの声をかき消す威厳のある声がホールに響いた。その場にいる者たち──リシャルトとイレーネ以外の全員が一斉に姿勢を正して頭を下げる。


 しんと静まり返ったホールに現れた新たな客。

 それは渦中の人物、皇帝オリフィエルだった。


「離婚はしないと言ったはずだ、アルテナ公爵」

「なぜここに陛下が……」

「良き協力者のおかげだ」


 オリフィエルはそのままホールの中を歩いてくると、イレーネの前で立ち止まり、ひざまずいて頭を下げた。


「イレーネ、今まで本当に申し訳なかった。私が愚かだったせいで、一生許されない過ちを犯した」

「へ、陛下……頭をお上げください」


 イレーネが懇願してもオリフィエルは頭を下げたままだった。大勢がいる中で、皇帝がこのような姿を見せるなどあり得ない。異様な雰囲気の中で困り果てたイレーネが「お顔を見て話したいです」と言うと、ようやくオリフィエルは顔を上げた。


「……ご無沙汰しております、陛下。あの日(・・・)以来ですね。お身体は大丈夫ですか?」

「ああ、問題ない。気遣ってくれてありがとう」


 離婚の意思を伝えてから二人が顔を合わせるのは初めてだった。久々に会ったオリフィエルは、あの日よりも顔色がいい。


 そして、イレーネを見つめる眼差しが今までとは大きく変わっているように感じられた。まるで深い霧が晴れたかのように、迷い子が正しい道を見つけたかのように、その赤い瞳が美しく澄んで見えた。


「──陛下がコルネリア様を皇后宮から追放されたと伺いました。陛下がずっと騙されていたと……。一体何があったのですか?」

「……私はずっと勘違いしていたんだ。コルネリアの姿を見て、あの新緑の瞳を目にして、彼女がエレンだと思い込んでしまった。そんな間違いをしなければ、彼女を愛することなどなかったのに」

「えっ……」


 イレーネが思わず驚きの声を漏らす。

 今オリフィエルが語った話は、イレーネが思っていたのとは正反対のことだ。


 イレーネは、オリフィエルは昔からコルネリアに好意を寄せていたから、外見の似たエレンに声をかけてくれたのだと思っていた。


 しかし、今聞いた話ではまるで、オリフィエルが好きだったのはコルネリアではなくエレンだったみたいではないか。


 イレーネが震える手を握りしめてオリフィエルを見つめると、オリフィエルも切ない眼差しでイレーネを見つめ返した。


「イレーネ……君を傷つけたことを心から後悔している。君はもう私の顔も見たくないかもしれないが、私は君がいなくてはだめなんだ。もし許されるなら、どうかこれからも私の皇后でいてほしい」


 オリフィエルの声から、表情から、全身から、彼が心底悔やんでいる気持ちが伝わってくる。そして、心底イレーネを愛し求めていることも。


 その想いに感化されたからか、イレーネの胸も熱く速く高鳴っていく。ずっとこんな風に彼から愛されることを望んでいた。そうしたら、取るに足らない自分でも、同じように彼を愛することが許されるような気がしたから。


「……私にもう先読みの力はありませんが、それでもよろしいのですか?」

「元々私が好きになったのは、先読みの力がないエレンだ。私にとっては予知の力より君のほうがずっと価値がある」


 オリフィエルがその手をそっとイレーネに差し出す。


「イレーネ、君が嫌でなければ、もう一度私の手を取ってくれないか?」


 イレーネの脳裏に、なぜかあの幼い日の思い出が蘇った。

 急に雨が降ってきて、雨宿りのためにオリフィエルの手を取って駆け出したあのときのことが。


 今この手を取らなければ、彼はずっと雨に濡れて寒さに震えたままになってしまうのかもしれない。そんな彼は見たくなかった。


 イレーネは震えのおさまった手をオリフィエルの手に重ね、新緑の瞳を柔らかく細めた。


「はい、私も逃げずにもっとあなたと話すべきでした。こちらこそ、もう一度やり直させてください」

「ありがとう……もう二度と君を傷つけたりしない。愛している、イレーネ」


 オリフィエルがイレーネの手を引き、もう決して離さないというように、その両腕の中に閉じ込める。オリフィエルの力強くも優しい抱擁に、イレーネはこれまでの(わだかま)りがすべて解けて消えていくような気がした。


(……これからは私も自信を持って愛していいのね)


 イレーネがオリフィエルの背中に手を回したとき、なぜか風もないのにイレーネの髪がふわりと靡いた。

 そして、星の輝きのような神秘的な光がイレーネを包み込むように広がって瞬く。


「この光は一体──……」


 オリフィエル、そしてリシャルトや他の貴族たち全員が固唾を呑んで見つめていると、やがて光は収まって、イレーネの姿が現れた。


「イレーネ、その色はまさか……!」


 オリフィエルが驚きに目を見開く。

 光をまとったあとに現れたイレーネの姿が、また変わっていたからだ。


 髪は亜麻色から銀雪色へ。

 瞳は新緑から朝焼けの色へ。


 イレーネも戸惑って自身の身体を確かめるように両手を見つめていると、ふいに頭の中に聞き覚えのある声が響いた。


『イレーネ。そなたから預かって(・・・・)いた力を今返した。その力は人々のためだけではなく、そなたのためにも役立つはずだ。今度こそ幸せな人生を歩め』


 神界の草原にいた男神の淡々とした声。

 けれどイレーネを思いやる言葉にはどこか温かみが感じられて、イレーネは()の神の姿を思い浮かべながら「ありがとうございます」と呟いた。


「す、すごいぞ……神の奇跡だ……」

「やはりイレーネ様こそ皇后に相応しいお方だ……!」


 貴族たちは神の力としか思えない光景を目にしたことで、イレーネに畏敬の念を抱いた。

 先読みの力で夫が救われたクライン侯爵夫人はますます尊敬を強め、イレーネに対して未だ懐疑的な見方をしていた者たちも手のひらを返すように考えを改めた。


「イレーネ様がいらっしゃればこの国は安泰だ!」

「皇帝陛下と皇后陛下に栄光あれ!」


 夜会のホールはいつのまにかイレーネとオリフィエルの復縁を祝福する空気で満ち、音楽隊が華やかな円舞曲(ワルツ)を奏で始めた。


「イレーネ、私と踊ってくれないか?」

「はい、喜んで」


 あの男神はこうなることまですべて分かったうえで、イレーネから力を預かってくれていたのかもしれない。


(私、きっと幸せになります)


 感謝と決意を胸に、イレーネは円舞曲(ワルツ)の一歩を踏み出した。


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