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40. 風向きを変える存在

 その日の夜。意識を取り戻したオリフィエルは、侍従が引き止めるのを振り払って白麗宮へと急いで向かった。


 突然の皇帝のお出ましに侍女たちは慌てた様子だったが、オリフィエルはそれも気にすることなくイレーネの部屋へと足を運び、勢いよく扉を開けた。


「イレーネ……」


 名前を呼んでも部屋の中には誰もおらず、明かりひとつついていない。真っ暗で静かで、寒々しい。


 それでも、イレーネを感じられるのは、もうこの場所しかない。寂しさと愛おしさが混じり合うこの部屋の前で呆然と立ち尽くしていると、背後に人の気配を感じた。


「イレーネ──」

「イレーネ様はもうここには戻られません。これからは公爵家で過ごされるため、この部屋にあるものはすべて処分して構わないとのことです」


 イレーネの侍女だったキーラが礼儀正しく報告する。


「……そうか」


 もうすべてが終わってしまったように感じられる。

 これ以上どうにもできない。何もかも自分が悪い。


 せめてイレーネを最初から皇后として尊重していればここまでのことにはならなかっただろうか。

 エレンだと信じていたコルネリアが嫌がるから、彼女の機嫌を損ねたくなくて酷い扱いをしてしまった。


 あまりにも浅はかだった。

 しかし、今さらどれほど悔やもうと過去をやり直すことも、イレーネの心を取り戻すこともできはしない。


 再び痛み出した頭を押さえると、キーラが淡々とした声音で尋ねてきた。


「──陛下はコルネリア様をどうなさるのですか。陛下の御子を身籠っていらっしゃると聞きましたが」


(コルネリアは侍女にまで話したのか……?)


 懐妊の話は本来であれば慎重に取り扱うべき話だ。

 それを許可なくあちこちに洩らすとは信じがたい愚行だ。


 しかし、そんな女を信じてそばに置いたのは自分なのだ。


「……今すぐにでも皇后宮から追放したい。いや、それだけでは決して済まさない。しかし皇族を身籠っているとなれば、私の感情だけで処分するわけにはいかない」


 悔しさと腹立たしさに拳を握りしめて答えると、キーラはなぜかふっと笑みを浮かべてみせた。


「失礼いたしました。ですが、陛下はなぜコルネリア様を素直に信じていらっしゃるのです。あの方は陛下の寵愛を得るためなら何でもする女です。懐妊したと嘘をついているかもしれないではありませんか」

「いや……だがたしかに診断書も……」

「それが偽物ではないと言い切れますか?」

「……っ」


 キーラに新たな可能性を突きつけられ、オリフィエルの手が震える。

 自分はまたコルネリアに騙されていたかもしれない。

 しかし、懐妊が嘘であるなら、コルネリアに縛られる理由はなくなる。


「あの女について調べてください。きっと偽装の証拠が見つかるはずです」



◇◇◇



 皇后宮の部屋の中で、コルネリアは愉悦の笑いが止められないでいた。


「思ったとおり、イレーネから離婚を申し出てくれたわね!」


 こうなることを見込んで懐妊についての手紙を送ったのだ。

 馬鹿みたいに簡単に手のひらの上で踊ってくれて、愉快で仕方ない。


「しかも先読みの力も失ったらしいわね」


 まだ公にはなっていないらしいが、このことを国民が知ればイレーネに対する支持はあっという間になくなるはずだ。


 今のイレーネは特別な力を持たない、ただの役立たず。きっと公爵家からも見放されるだろう。


 オリフィエルが倒れたせいで、その場で離婚の決定はされなかったようだが、コルネリアが皇后になるのはもはや確実に思える。


「だってイレーネが白麗宮から出たということは、そういうことよね?」


 ああ、笑いが止まらなくて苦しい。

 やっぱりすべては自分の思いどおりになるのだ。

 きっと運命の神に愛されているに違いない。


「妊娠するとつわりがあるんだったかしら? それらしく見えるように振る舞わないといけないわね。……あとはどうにかして赤子を手に入れないと」


 コルネリアは何もいない空っぽの腹を大事そうに撫で回した。



◇◇◇



 翌日。執務室で仕事をしていたリシャルトは、大量の書類を確認しながらイレーネのことを思い浮かべた。


 朝食の席では笑顔を見せていたものの、実際はまだ昨日の動揺が残っているのは手に取るように分かった。


 皇帝が倒れたことはもちろん、彼から「エレン」と呼ばれたことにも心を動かされているようだった。


(エレンというのはイレーネの幼名か何かだろうか……。皇帝とイレーネは元々顔見知りだった……?)


 それに、イレーネの髪と瞳の色も美しいと思ったのは本当だったが、その色がよりによってコルネリアとそっくりだったことにはリシャルトも動揺していた。


『やはり、そなたがエレンだったのだな……』


 皇帝のあの言葉を思い出すと、ひとつの結論に辿り着きそうになってしまう。


 まるで皇帝はコルネリアをエレン──イレーネだと信じ込んで愛人にしていたのではないかと。

 本来なら、皇帝とイレーネは初めから愛し合う仲になれていたのではないかと。


(……いや、そんなことはない。大事なのは、今のこの現実だけだ)


 皇帝はコルネリアを愛し、コルネリアは皇帝の子を身籠った。時を司る神でもなければ覆せない事実だ。


(イレーネが言ったとおり、皇帝とは縁がなかったんだ。僕ならイレーネを決して悲しませることなく幸せにしてやれる)


 今日からイレーネのことをうんと甘やかしてあげよう。

 皇帝のことを早く忘れることができるように。

 そして、リシャルトのことだけを考えてくれるように。


 そう決めて書類に集中しようとしたとき、侍従がノックをして部屋に入ってきた。


「失礼いたします。ただいまヤンセン伯爵令嬢がいらっしゃっておりまして、リシャルト様にお目通り願いたいとのことなのですが……」

「ヤンセン伯爵令嬢……?」

「白麗宮でイレーネ様のお付きの侍女をされていたとのことです」

「ああ、彼女か……」


 約束もなく訪ねてきたのは困るが、彼女であれば何か急ぎの用事なのかもしれない。リシャルトは書類の束をそろえて机に置いた。


「分かった。応接室に案内してくれ」


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