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38. 喪失1

 先読みの世界では、イレーネは意識だけの存在となり、時間の流れも無視して、現在と未来のあらゆる場所へ飛んでいくことができる。


 そして今イレーネは、帝国の遥か空高くへと上昇し、扉の形をした輝く光の中へと入っていった。


(空気が重い気がするわ……。いつもの先読みの世界とは違う……)


 扉の外の世界より身体の自由がききづらい気がする。

 でも、イレーネの存在を拒まれているようには感じなかった。


(あっ、向こうに何か見えるわ──)


 強い光を抜けた先には、草原のような場所が広がっていた。そこには黄金の果実がなった一本の木が立っており、その木の下で一人の男が揺り椅子に腰かけて寛いでいる。


 男は一目で神聖な存在だと分かる美貌で、イレーネの存在に気づくと、こちらへ来いとでも言うように人差し指を動かした。


「私が力を分け与えた娘だな。なぜここへ?」


 男神は低くもなく、高くもない心地よい声でイレーネに問いかける。イレーネは跪いて頭を下げると、神界へやって来た理由を説明した。


「僭越ながら先読みの力をお返ししたく参りました」

「せっかく与えた力を返すと? そんなことを申し出た者は初めてだ」

「御力を分け与えていただいたことは感謝しております」

「ならなぜだ? お前は力を有意義に使っていたと思うが。迷惑だったか?」

「いえ、迷惑などではございません。おかげさまで危険な災害に備えることもできました。力を返納したいのは、単なる私の我儘でございます。私の心の平穏のために、力を持たない只人に戻らせていただきたいのです。それともこの力を手放すことはできないのでしょうか?」


 イレーネが不安げに男神を見上げると、彼は金色の瞳でイレーネを見下ろし、不思議そうに顎を撫でた。


「力の返納は可能だが……本当に構わないのか?」

「構いません。もう覚悟を決めました」

「……そうか。では、お前から力を取り上げよう」


 男神が椅子から立ち上がり、イレーネの頭に手を載せる。

 想像していたよりも温かな手のひらにどこかほっとしながら、イレーネが男神に尋ねた。


「……最後にひとつだけ教えてください。なぜ私に力を授けてくださったのですか?」


 その問いかけに、男神は記憶を辿るようにしばし無言になったあと、イレーネを憐れむような声音で答えた。


「善良なお前の不幸が目について不憫に思っただけだ。ただ、私の考えが足りなかったようだな。力は取り上げてやるから、これからは幸せに暮らせ」


 男神の手のひらがさらに熱く熱を持つ。

 それとともに全身の血液が逆流するような感覚を覚えた瞬間──イレーネはベッドの上で目を覚ました。


「イレーネ、今回は一日で目を覚ませたね」

「お兄様……私、先読みの力を返納しました」

「ああ、そうみたいだね。髪と瞳の色が変わっている」


 リシャルトに言われて枕もとの手鏡を見てみると、たしかに「エレン」時代の髪と瞳の色に戻っていた。


「これで何もかも上手くいくはずだよ、イレーネ」

「はい。明日、陛下に離婚のお願いをしに参ります」


 妙に凪いだ心をほんの少しだけ寂しく思いながら、イレーネが終わりへと向かって歩き出した。



◇◇◇



 皇宮の部屋の中、オリフィエルは政務の書類の山を前にしながら、何もできずにただ呆然としていた。


 文字を読もうとしても頭に入ってこず、何が書いてあるのか分からない。

 署名をしなければならないのに、まるで字の書き方を忘れてしまったように手が止まって動かないのだ。


(疲れた……)


 たった一日でもう十年も寝込んでいたように身体が重い。

 思考も気力も衰えて、こうして椅子に座っているのがやっとだ。


 だが、気力が戻ったとして、これからどうすればいいというのだろう。いっそ今すぐ机の上で朽ち果ててしまえたほうが幸せにも思える。


 ぼやけて見える書類の文字を意味もなく眺めていると、侍従がやって来て気まずそうに報告した。


「アルテナ公爵とイレーネ皇后陛下がお見えです。皇帝陛下への謁見をご希望ですが、いかがなさいますか?」

「イレーネが私に会いに……?」


 やっと体調がよくなったのだろうか。

 以前は自分の名前を聞くだけで取り乱してしまっていたと聞いたが、それも大丈夫になったのだろうか。

 だからここへ戻って来てくれるのだろうか。


「──すぐに会おう。部屋に連れてきてくれ」


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