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37. 噛み合わない想い

 明け方、まだ日が昇っていない未明の頃、オリフィエルは浅い眠りから目を覚ました。どうやら床に座り込んだまま寝てしまっていたらしい。ベッドに行こうと立ち上がると、衣服からふわりとコルネリアの香水の匂いが漂った。


「うっ……」


 吐き気を催して口元を押さえる。しかし、不快な匂いはオリフィエルに(まと)わりついて離れない。その匂いとともに、新緑の瞳を慈愛深く細めてお腹を撫でるコルネリアの姿が脳裏をよぎった。


「私の子──……」


 昨日の会話を思い出しただけで、途轍もない絶望感と罪悪感に襲われる。


 コルネリアの罪を暴いて投獄し、イレーネを迎えを行こうと思っていた。しかし、もはやそんなことができるはずもない。


 コルネリアはその身にオリフィエルの子を宿している。

 皇家に関する法律上、皇族を懐妊した非配偶者、平たく言えば愛人は準皇族の扱いとなり、それに相応しい待遇を得る権利が生じる。


 つまりコルネリアについては、皇帝の第一子の母親として最上級の扱いをしなければならない。投獄などもってのほかだ。

 しかも現皇后であるイレーネはまだ皇帝との間に子を儲けていないため、実質コルネリアのほうが格上と見なされることになるだろう。


(なぜだ……こんなはずではなかったのに……)


 自分はコルネリアがエレンだと信じたから愛を捧げたのに、実際は狡猾な悪魔に操られていただけだった。そのうえ「子供」という形ある絆ができてしまい、もう取り返しがつかない。


(……だが、これはすべて私自身が招いたことだ)


 コルネリアが偽物だと気づかなかった愚かな自分が悪い。

 なぜあんな女をエレンだと思って寵愛してしまったのだろう。今思えば何もかもが作り物のような女だったのに。


 可憐な野花のようなエレンとは似ても似つかない部分が多くあった。だが、エレンを心から求めるあまり、冷静に判断することができなかった。


 ──感情に支配されると頭が曇る


 ──心と頭はつながっているから、心が荒れたり何も動かなくなったりすれば頭も同じになってしまう


 教師とエレンにそう教わったのに、自分は何も分かっていなかった。


(私はただ、エレンを愛し、愛されたかっただけなのに──……)


 また疼き出した頭痛にオリフィエルが顔を歪める。

 酷い痛みに、頭も心もまるで動かない。


 どうすればこの苦しみから逃れられるのか。

 どうすればイレーネに償うことができるのか。

 オリフィエルにはもはや何も分からなかった。



◇◇◇



 その日の朝、アルテナ公爵家に一通の手紙が届いた。差出人は皇宮のコルネリア・レインチェス伯爵令嬢で、宛先には「イレーネ・アルテナ・ルディス皇后陛下」と書かれていた。


 イレーネの手に渡る前にもちろんリシャルトが開封して文面を確認したが、その内容には呆れるほかなかった。


(……懐妊だと? 皇帝も愛人も救いようのないクズだな)


 どういう性根をしていれば、このようにイレーネを愚弄するようなことばかりできるのだろう。


 腹立たしいことこの上なかったが、この事実はある意味では「使える小道具」でもあった。


「せっかくだから上手く利用させてもらおうか」


 リシャルトはいかにも慶事を連想させる意匠の封筒をポケットにしまうと、イレーネの部屋へと向かった。


***


「イレーネ、話があるんだけど今大丈夫かな?」

「はい、大丈夫です。どうぞお入りください」


 イレーネの許可をもらって部屋に入ると、花畑のようないい香りがして心が落ち着く。平和で穏やかなこの部屋で、これからイレーネにとって辛い話をしなければならないのは胸が痛むが、避けては通れないことなので仕方ない。


 イレーネに勧められてソファに座ると、向かいに腰かけたイレーネがやや緊張した面持ちで用件を尋ねてきた。


「あの……お話というのは、もしかして陛下のことでしょうか?」

「そうだな……もちろん陛下にも大きく関わることだ」

「陛下にも(・・)……?」


 何の話なのか想像もついていないイレーネが小さく首を傾げる。その姿が無垢な少女のようにも見えて、リシャルトは罪悪感に駆られたが、気を取り直すようにひとつ息を吐くと、ポケットから先ほどの手紙を取り出した。


「……今日、コルネリア・レインチェス伯爵令嬢から手紙が届いた」

「コルネリア様から……?」

「イレーネ宛の手紙だったが、申し訳ないが僕のほうで先に内容を確認させてもらった。ろくでもない悪口でも書かれていたらイレーネに見せるわけにはいかないからね」

「はい、それは構いませんが……手紙には何と?」


 皇帝からの手紙ではなかったからか、イレーネが少し落胆したような表情を見せる。その顔にさっきとは別の胸の痛みを感じながら、リシャルトは手紙を開いて中身を見せた。


「令嬢が陛下の第一子を身籠ったそうだ」

「……っ」


 よほどの衝撃だったのか、イレーネの朝焼け色の瞳が大きく見開かれる。元々色白の肌からさらに色がなくなり、口もとに添えた手が小刻みに震えている。


 こんなイレーネを見るのはリシャルトにとっては耐えがたいことだったが、今最も大事なことはイレーネと皇帝を別れさせることだ。そのためには辛い役回りも引き受けなければならない。


「陛下はやはり愛人を寵愛しているようだ。この懐妊で二人の絆はますます深まるだろう。皇帝にとって初めての子となるから、きっと目に入れても痛くないほど可愛がるはずだ。親子三人で過ごす時間が長くなり、白麗宮に足を運ぶこともなくなるに違いない。イレーネはそれに耐えられるか?」


 イレーネを見つめて尋ねると、その美しい瞳に見るみる涙の膜が張り、瞬きとともに決壊して悲しみの涙が流れた。


「…………きっと、耐えられません」


 おそらく、家族の仲睦まじい姿でも想像したのだろう。

 皇帝は我が子を産んでくれたコルネリアをますます愛し、もうイレーネは眼中にも入らなくなるのだろうと。


「……やはり、私と陛下には縁がなかったということなのでしょう」


 イレーネはきゅっと唇に力を入れたあと、何か決意を固めたようにリシャルトの目を真っ直ぐに見つめた。


「実は、一か月前の先読みの際に神界への扉を見つけていました。今からその扉へ行き、先読みの力を返納してまいります。そして、陛下と離婚いたします」

「そうか……。僕はイレーネが先読みの力をなくしてもずっと味方だ。だから安心して行っておいで」

「ありがとうございます、お兄様」


 イレーネは涙の跡を拭うと目を瞑り、先読みの世界へと意識を飛ばした。


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