36. 自ら招いた絶望
オリフィエルが皇后宮を訪ねると、コルネリアは感極まった様子でオリフィエルのもとへと駆け寄ってきた。
「ああ……オリフィエル様……! 来てくださってありがとうございます。久しぶりにお会いできて本当に嬉しいです」
新緑の瞳を涙で潤ませ、歓喜に声を震わす姿は、以前なら健気で哀れに思えたかもしれないが、今は小指の先ほどの情も感じない。
オリフィエルの胸に抱きつこうとするコルネリアを避けて睨みつけると、コルネリアは戸惑ったように首を傾げて、「オリフィエル様……?」と心細そうに呟いた。
「そなたには私の名を呼ぶことを禁じる。今後は身体に触れることも許さぬ」
「オリフィエル様、どうなさったのですか……? なぜ急にそのようなことを……?」
「名前を呼ぶなと言ったはずだ。これ以上名を呼んだら処罰する」
「処罰だなんて……。そんな酷いことを仰らないでください……」
相手を悪者にするようなコルネリアの話法に、オリフィエルは苛立ちを感じた。どうして昔はこの意地の悪い話し方に気がつかなかったのだろう。目が覚めた今は、わざとらしい話し方も仕草もすべてが鼻について仕方ない。
「……でも、陛下がお元気そうで安心いたしました。ずっと陛下はどうなさっているか心配していたんですよ。わたくしの頭の中はいつも陛下のことで一杯なんです。今日も陛下のことを想って──」
「そなたは嘘をついていたんだろう?」
コルネリアの戯言など聞いている暇はない。
オリフィエルはコルネリアの話を無視して本題に入った。
「そなたは私に許されない嘘をついたな?」
コルネリアの表情が固まって、「え……?」という声が漏れる。
「嘘、ですか……? 一体何のことだかわたくしにはさっぱり……」
「そなたはエレンではないのだろう? それなのに、エレンの名を騙り、私の寵愛を独占しようとした。汚らわしい悪女め!」
オリフィエルが怒気を放って罪を問うと、コルネリアはカタカタと震え、大きな瞳からぽろりと一筋の涙を流した。
「申し訳ございません……。陛下が仰るとおり、わたくしは『陛下のエレン』ではございません……。陛下をお慕いするあまり、どうしてもわたくしを見てほしくて嘘をついてしまいました……」
「そなたの行いは到底許せるものではない。その嘘のせいで私は取り返しのつかないことをしてしまった……!」
オリフィエルが怒鳴ると、コルネリアは「ああ……っ」と嗚咽を漏らして涙をあふれさせた。
「本当に申し訳ございません……。本来ならこの命をもって償わなければならない大罪です。ですが……どうかこの子に免じて許していただけないでしょうか……!?」
「……この子?」
コルネリアの言っている意味が分からず、オリフィエルが眉間を寄せる。するとコルネリアは無理やり微笑んで見せ、自身のお腹を愛おしげに撫でた。
「はい、陛下……ここに陛下の御子を授かっております」
コルネリアの言葉にオリフィエルは絶句した。
コルネリアが懐妊した……?
その腹に自分の子を身籠っている……?
「嘘だ……そんなこと……」
「嘘だなんて酷いですわ……。わたくしはたしかに身籠っております。ほら、こちらに診断書もございます。陛下の第一子ですよ」
「……」
診断書、第一子──。
コルネリアの口から発せられる単語が頭の中で反響して、訳が分からなくなる。
「わたくしにはこの子──新たな皇族を産み育てる義務がございます。ですから、どうか極刑だけはお許しください……」
「……」
「そして、陛下もどうかこの子を憎まないであげてください。経緯はどうあれ、陛下とわたくしが愛し合って授かった子なのですから」
──その後オリフィエルは、夢か現か分からないまま皇后宮を後にして自室へと戻った。部屋の扉にもたれるようにして崩れ落ちたオリフィエルは、途轍もない絶望に襲われながら、ただイレーネだけを求めて彼女の名を呟き続けた。
◇◇◇
「何よ、あの顔」
オリフィエルが去ったあとの部屋で、コルネリアは腹立たしげに文句を吐いた。
オリフィエルはコルネリアの懐妊をまったく喜んでいなかった。それどころか、この世の終わりのような絶望の表情を浮かべていた。新しい皇族を身籠ったというのに、その父親として最低ではないだろうか。
「──まあ、全部嘘だからいいけど」
本当は懐妊なんてしていない。診断書も偽物だ。
お腹の中にオリフィエルとの子供なんていない。
でも、皇族となる子を懐妊したと言えば、彼はコルネリアを邪険にすることはできなくなる。診断書があればなおさらだ。
このままではいずれバレてしまう嘘ではあるが、それまでになんとか誘って、本当に子供ができれば問題ない。彼がいくらコルネリアを嫌悪していようと、強い酒で酩酊させたり媚薬を使ったり、事に及ばせる方法はある。
それでもだめなら他の男と子供を作るか、オリフィエルか自分に似た赤子を外から調達して、オリフィエルとの子だと偽ればいい。
この世は嘘ですべて思いどおりにできる。
(ちょっと初恋の思い出を利用したからって、あんなに激怒して嫌だわ。そんなに大事な相手を間違える自分が悪いんじゃない)
嘘だと気づくまではいい思いをしていたのだから、少しは感謝してほしいくらいだ。
「とりあえず陛下に伝えたことだし、次はイレーネの実家に知らせないと。ふふっ、これで皇后の座は私のものよ」
コルネリアは楽しそうに笑うと、手紙を書くための便箋を上機嫌で選び始めた。




