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35. 『不要』ではなかったもの

「……そなたはキーラと言ったか」

「はい陛下、覚えていただき光栄に存じます」


 侍女キーラが礼儀正しく頭を下げる。

 イレーネ付きの侍女がわざわざ皇帝に会いに来たということは、何かあったに違いない。オリフィエルは緊張を押し隠してキーラに尋ねた。


「ここに来たのは、イレーネに関する報告のためだな?」

「はい、左様でございます」


 キーラが聡明そうな瞳を真っ直ぐにオリフィエルへと向ける。


「陛下はご存知ないかもしれませんが、今、白麗宮に公爵家の使用人はひとりもいません。全員、公爵様の命令で引き上げさせられました。まるで、もう白麗宮にイレーネ様が戻ることはないと決まっているかのように」

「なんだと……?」


 初耳だった。

 たしかに、公爵家の使用人を派遣したときも自分への断りはなかったから、引き上げるときも報告がないのは一貫しているといえばそうかもしれない。


 しかし、ちょうど公爵からイレーネとの離婚を頼まれたばかりだ。もう向こうは離婚に向けて動いているということだろうか。


 公爵はこの件を先延ばしにするつもりはないのだということを突きつけられたようで言葉が出てこない。


「陛下はよろしいのですか? このまま何もせずにイレーネ様を奪われてしまっても」


 キーラの問いにオリフィエルが怪訝そうに眉を寄せる。


「……奪われる? イレーネは実家に戻っているだけで奪われたわけでは──」

「陛下、本当にお気づきではないのですか?」


 そう問われ、オリフィエルはどきりとした。

 たしかに、すべてを奪われてしまうのではないかという危機感を覚えたことがある。

 オリフィエルの脳裏に、夜会のバルコニーでイレーネを抱きしめていたリシャルトの姿が浮かんだ。


「いや……まさか、彼はイレーネの兄で……」

「血の繋がりはないのでしょう? 僭越ながら、公爵様がイレーネ様に向ける眼差しや愛情は単なる兄妹愛だとは思えません」

「……それは公爵がイレーネを異性として愛しているということか?」

「はい、私にはそう見えます」


 キーラが少しの躊躇いもなく断言する。

 勘繰りすぎだ、公爵に対して不敬ではないか、そう返すべきなのかもしれないが、オリフィエルにはできなかった。

 なぜなら、自分もそう疑ったことがあったから。


 そして、新たな疑いにオリフィエルは一気に心が冷えるのを感じた。


「……もしや、イレーネも公爵のことを……?」


 あり得ない話ではない。

 キーラが言ったとおり、彼らに血の繋がりはない。

 イレーネが冷遇されていた間、公爵はずっと彼女を優しく支えていた。

 そんな彼にイレーネが惹かれ、異性として好意を抱くようになってもなんら不思議ではない。


 しかし、キーラはその疑いをやんわりと否定した。


「そのようなことはないと存じます。イレーネ様のお気持ちは、まだ陛下にあるはずです」

「なぜだ? そんなことがあり得ないのは、私が一番よく分かっている……!」


 つい声を荒らげて言い返すと、キーラはポケットから白いハンカチを取り出した。


「こちらをご覧ください」

「……なんだ? ただのハンカチのようだが」

「少し前、イレーネ様は私に不要品処分の手伝いを命じられました。それで引き出しにしまわれていたものを整理して、不要かどうかをイレーネ様にご確認いただいていたのです。このハンカチは質のいいものではありましたが、少し黄ばんでシミ汚れがございましたので、私は処分するものだと思ってイレーネ様に尋ねました」


 キーラが持っているハンカチを見ると、たしかに少し古いものなのか、黄ばみとシミ汚れが目立っている。


「ですが、イレーネ様はしばらく悩まれたあと、このハンカチは取っておくように仰いました」

「……何か思い入れのあるハンカチだったということか?」

「はい、おそらく。そしてきっと、このハンカチは元々陛下のものだったはずです。こちらの隅に、皇家特有の書体で陛下のお名前の頭文字が刺繍されています」

「は……?」


 イレーネにそんなものを贈った記憶はない。

 嘘だと思ってハンカチをよく見てみたが、キーラの言うとおり独特の書体で「O」の文字が刺繍されていた。


「たしかに私のハンカチのようだが、なぜイレーネが──」


 そこまで言いかけて、オリフィエルは思い出した。


(……そうだ、私はハンカチをあげたことがある)


 昔、エレンと一緒に空き家で雨宿りをしたとき。

 雨に濡れたエレンを自分のハンカチで拭いてやり、そのまま彼女にあげたのだった。


 このハンカチはそのときのものに違いない。

 そしてイレーネがそれを持っているということは……。


(やはりイレーネがエレンだったのだ──……)

 

 そのことに気づけなかった自分の馬鹿さ加減が憎らしくて堪らない。彼女をこれ以上ないほど傷つけた自分を殴り倒して呪ってやりたい。


(こんな薄汚れたハンカチをずっと大事に持っていてくれたなんて……)


 もしかすると、本当にキーラの言うとおり、イレーネの心にはオリフィエルへの気持ちがほんのわずかでも残っているのかもしれない。そう思いたい。


「──イレーネに会いに行く」


 しかしオリフィエルが決意した瞬間、ノックの音が部屋に響いた。


「陛下、コルネリア様がお呼びでございます。至急の用件でお会いしたいと……」

「コルネリア……」


 イレーネを迎えに行く前に、まずはあの悪女を皇后宮から追い出さなければ。

 オリフィエルは怒りに震える拳を力強く握りしめた。


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