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34. 罪悪感を抱きながら

 それから二週間が経った。

 新しくなった部屋はとてもイレーネ好みの内装で、本棚には興味を引かれる本がたくさん揃い、食事も好物ばかりが出てきて至れり尽くせりだった。


 何もかもが快適で、毎日ゆったりとした時間を過ごせていたのだが、ひとつだけ──公爵家の外に出ることだけは決して許してもらえなかった。


 部屋の外に出るときも必ず侍女と護衛が付き添うので、やめてもらえないかとリシャルトに掛け合ってみたが、彼は「イレーネに何かあってはよくないから」と返し、頼みを聞いてくれることはなかった。


 自分が皇后という立場であることを考えれば、リシャルトの心配も分かる。そのこと以外は何でも許してくれたし、いつだって優しいリシャルトに不満なんてない。


 けれど、やはり四六時中気が抜けないのは息苦しく、白麗宮の侍女たちやオリフィエルにずっと会えていないのも気になってしまう。


「お兄様、陛下からのお返事はまだありませんか?」


 一週間ほど前、イレーネはオリフィエル宛に書いた手紙を送ってもらえるようリシャルトに頼んでいた。

 例の謀反の件や、里帰りの延長の御礼などについて綴った手紙だったが、オリフィエルからの返事は未だ届いていない。


「残念ながら今日も返事は受け取っていないね」

「そうですか……。多忙でしょうし、仕方ないですよね」

「そうかな。妻への返事の手紙は最優先で書くべきだよ。それに陛下は今日の会議に遅刻してきた。愛人と触れ合う時間があるなら、手紙の返事だって書けるはずだと思うけどね」

「……」


 リシャルトの正論を聞いて、イレーネは胸が痛むのを感じた。やはり、オリフィエルがイレーネを気遣ってくれたと感じたのは、ただの勘違いだったのかもしれない。


(オリフィエル様はコルネリア様と睦まじく過ごしていらっしゃるのね……)


 二人の姿を思い浮かべると、まるで心臓が荊棘(いばら)に絡め取られてしまったかのようだ。これほど辛い気持ちになるということは、未だにオリフィエルへの未練を捨て切れていないのだろうか。


(もうこんな胸の痛みを味わいたくはないのに……)


 このまま公爵家にいれば、少なくとも白麗宮にいたときのように、二人揃った姿を目にすることはないだろう。


 そう考えると、多少の息苦しさには目を瞑って、ここで過ごすほうが自分にとってもいいのかもしれない。ここはどこよりも安全で安心できる場所だから。


「イレーネ、大丈夫かい? 嫌な話を聞かせてしまったね」

「いえ……」


 悲しげに睫毛を伏せたイレーネにリシャルトが謝る。

 リシャルトだって、こんな話はしたくなかった。

 イレーネが傷つく姿を見たいはずがないし、そもそもすべてが嘘だからだ。


 皇帝にはイレーネの手紙を渡してなどいない。

 彼が会議に遅刻したのは本当だが、別に愛人と戯れていたせいではないだろう。なぜなら、彼はもうコルネリア・レインチェスと共に過ごしていない。


 今はなかなか戻らないイレーネのことばかり心配して憔悴しているらしい。会議のあとも、イレーネの体調について尋ねられたから、かなり重い症状でまだ休養が必要だと答えたのだった。


(まさかイレーネの能力が目当てなのではなく、本当にイレーネを想っているとでもいうのか?)


 これまで散々邪険にしてきたくせに、一体どういう神経をしているのだろう。あまりの厚かましさに反吐が出そうだ。


(あんな男が心配していることなど、イレーネに伝える必要はない)


 それよりも、イレーネが早く皇帝を見限れるように誘導するのが最善だろう。イレーネに嘘をつくのは心苦しいし、ひとつ嘘をつけば、さらに別の嘘をつかなくてはならず、自分が最低の人間になったように感じてしまう。


 でも、イレーネが皇帝への未練を断ち切ることができれば、嘘をつく必要もなくなり、お互い楽になれる。

 イレーネがリシャルトだけを見てくれるようになれば、楽しくて幸せな話だけをして、イレーネをずっと笑顔にさせてやれる。


「もう陛下には期待しないほうがいい。離婚が成立したら、僕がイレーネを守ってあげるから」

「お兄様……」


 リシャルトがイレーネを優しく抱きしめると、イレーネもリシャルトをそっと抱きしめ返してくれた。


 

◇◇◇



「……また一日過ぎてしまったな」


 すっかり暗くなった空を眺めながら、オリフィエルが呟く。

 イレーネが公爵家に行ってから、もう三週間が経とうとしている。


 アルテナ公爵からイレーネの症状が重いことを伝えられて以来、見舞いに行きたい気持ちを堪えて彼女の回復をずっと祈っていた。


 しかし今日、再び公爵にイレーネの状態を尋ねたとき、彼から非常に重大な話を切り出されて、オリフィエルは内心打ちのめされてしまった。


『イレーネは陛下のお名前を聞くだけで取り乱してしまうのです』

『もう皇后宮はもちろん、白麗宮に帰すこともできません』

『イレーネの心を守るためも離婚してやっていただけませんか?』


 リシャルトの申し出に、オリフィエルは「考えさせてくれ」としか答えられなかった。


「離婚、か……」


 イレーネとの離婚について考えるのは初めてではない。

 だがそれは、今までも彼女との離婚を考えたことがあるという意味ではない。むしろイレーネと離婚しようとなど考えたこともなかった。


 イレーネを冷遇していたときでさえ、彼女から離婚について触れられたときは酷く不快に思ったほどだ。

 あのときはたしか「先読みの力を手放さないため」だと言った気がする。


 しかし、本当にそれが理由だったのだろうか。

 今思えば、手放したくなかったのは先読みの力ではなく、イレーネだったのではないだろうか。


 それなのに、自分が愛しているはずのコルネリアではなく、イレーネを意識してしまうのを認められなかった。彼女への気持ちを抑えようとして、過剰に拒絶してしまった。


 でもそんなのは単なる言い訳であり、イレーネがエレンかもしれないと気づいたから言えることだ。


(初めからイレーネを拒んだりしていなければ、すぐに彼女がエレンだと分かったかもしれないのに──)


 そして、イレーネが心を病むこともなかったはずだ。


(彼女ともう一度話し合って謝罪することを望んでいたが、もうそれすら叶わないのだろうか……。いや、私にはそれを嘆く資格さえない)


 イレーネだってオリフィエルと話したいと思ったことが幾度となくあったはずだ。しかしオリフィエルは彼女とまともに会話もしようとせず、コルネリアとばかり過ごしていた。


 こんな愚かな自分にできることは、黙って離婚届に署名してやることだけなのかもしれない。


 そのとき、部屋の扉をノックする音が聞こえた。


「陛下、白麗宮の侍女がお目通りを願いたいと……」

「白麗宮の? 通してくれ」


 扉が開き、部屋に入ってきたのは、あの生真面目そうな侍女キーラだった。


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