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33. 身勝手な想い

 翌日。雑多な報告書を確認しては署名をしていたオリフィエルは、仕事が一段落したところで顔を上げた。時計に目をやれば、ちょうど午後三時を過ぎたところだ。


(イレーネはまだ白麗宮に戻っていないのだろうか)


 彼女が戻ったらすぐに報告するよう命じていたはずなのに、この時間になっても連絡が来ていない。


 一瞬だけ、このまま戻ってこない可能性を考えてしまったが、イレーネは今日戻ると言ってくれた。真面目な彼女が約束を破るはずはない。


(夕方には帰ってくるといいが……)


 そのとき、部屋の扉がノックされ、侍従が手紙を携えてやって来た。


「アルテナ公爵様からでございます」

「公爵から……?」


 嫌な予感がして、すぐさま手紙を受け取り開封する。

 内容はイレーネに関する報せだった。


「イレーネが……倒れただと……?」

 

 公爵からの手紙には、「今朝イレーネが倒れた。心労が原因らしいので、しばらく公爵家で休養させる。絶対安静のため見舞いは不要」という要旨の文章が慇懃(いんぎん)に記されていた。


(イレーネは大丈夫なのだろうか……)


 彼女はほんの少し前に先読みの力を使って意識を失い、一昨日やっと目覚めたばかりだ。やはりまだ体調が戻りきっていないのに外出したのがよくなかったのかもしれない。


 しかし、公爵からの手紙には「心労」と書いてあった。身体よりも心の問題のほうが大きいという意味だろうか。


 原因が心労となると、思い当たることが多すぎる。

 まずオリフィエル自身が何年にもわたって彼女を冷遇してきたし、皇帝である己のそうした態度が、他の貴族や使用人たちにまでイレーネには多少無礼を働いても構わないという考えを植え付けてしまった。


 そして何より、最近の皇后宮と白麗宮の主人の入れ替えは、彼女の心を酷く傷つけてしまったはずだ。それだけではない。イレーネは皇帝の正妻であるのに夫から愛されず、愛人ばかりが寵愛を受ける様子を目の前で見続けて、どう思っただろう。


(……そんなの分かりきっている。イレーネは以前、私と離婚しても構わないと言っていた。それだけ彼女を追い詰めてしまっていたということだ)


 イレーネはたしかに自分を愛してくれていた。

 生誕祭の日に少し気遣っただけで頬を赤らめていたのを思い出せば、その認識は間違いないと断言できる。


 そんな彼女を、最初に感じた憎しみに囚われすぎて、あまりに手ひどく扱ってしまった。


 きっと、今からどれだけ過去の愚行を謝罪して、彼女への待遇や振る舞いを改めようと、イレーネの気持ちを取り戻すことは困難だろう。いっそ潔く離婚してやったほうがいいのかもしれない。


(だが、どうしても手放したくない……)


 彼女がもしエレンであるなら。

 この心はエレンがいなければ動かないから。

 エレンは自分のすべてだから。


 ここで諦められるはずがない。

 どれほど無様だろうと足掻いて追い縋るしかない。


(イレーネ……どこまでも愚かで身勝手な夫ですまない……)


 オリフィエルは手紙に書かれていた「イレーネ」の文字を長い間見つめていた。



◇◇◇



「ああ、イレーネ! やっと目を覚ましてくれたね」


 イレーネが目覚めると、リシャルトの安心した声が聞こえてきた。手にも温かな感触がある。きっとイレーネが眠っている間ずっと握ってくれていたのだろう。


「ご迷惑をおかけしました。今回は何日眠っていましたか?」

「二日だよ。早く目覚めてくれてよかった」

「そうですか……。では、私は後ほど白麗宮に帰らせていただきますね。今日帰らないと──」

「だめだ」


 話の途中で却下され、イレーネはびくりとした。

 リシャルトの表情は柔らかいのに、その声には固い響きがある。


「あの、だめだと仰るのは……?」

「イレーネはまだ目覚めたばかりだろう? 無理をして身体を壊してはいけない。それに陛下からも、この際しばらく実家でゆっくり過ごすようにと言われている」

「陛下が……?」


 もしかして、イレーネのことを気遣って、長めの里帰りを許してくれたのだろうか。少し意外だがありがたいことだと思っていると、リシャルトが淡々と話を続けた。


「先読みの力を使ってくれたことに対する褒美とのことだ」

「褒美……?」

「ああ、イレーネへの思いやりではなく、能力に対する対価でしかないということさ。実際はイレーネが不在の間に例の愛人との仲を深めたいだけだろうね」

「そう……なのでしょうか……?」


 イレーネがわずかに眉を寄せ、怪訝そうに呟く。

 たしかに以前であれば、イレーネ自身そう考えたに違いない。けれど、公爵家を訪れる前、最後にオリフィエルと話したときは、彼の態度に何か変化のようなものを感じた。


 ただの勘違いかもしれないが、彼がイレーネを気遣ってくれているように感じたのだ。だから、いつもなら無条件に信じられるリシャルトの言葉に少し違和感を覚えてしまった。


 しかし、リシャルトが傷ついたような眼差しをこちらに向けているのに気づいて、イレーネの胸がどくんと脈打った。


「イレーネ、僕より陛下を信じるのかい?」

「あ……いえ、そういうわけではなくて……」

「陛下の真意はさておき、せっかく里帰りの期間を延ばしてもらえたんだ。久しぶりに家族水入らずでゆっくり過ごそう」

「……そうですね、そうします」

「よかった。ところで前に、イレーネの部屋を新しくしたと言っただろう? まだ見せてなかったと思うから案内するよ」

「そういえば誕生日プレゼントとして改装してくださったのですよね。ぜひ見たいです」

「じゃあ、今から行こう。おいで、イレーネ」


 差し出された手を取ると、リシャルトは満足そうに微笑んで、イレーネを彼女のためだけに作り変えた部屋へと連れていった。


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