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31. 兄として

 リシャルトは公爵家の寝室のベッドに横たわりながら、昨日から続く頭痛と胃の不快感に苦しんでいた。


(薬を飲んだのに一向に治まらないな……)


 昨日、白麗宮から帰ったあとから食欲がなく、どこか体調がおかしいとは感じていたが、まさか倒れるとは思っていなかった。


 体力はあるほうだと自負していたのに、さすがに疲れが溜まっていたのかもしれない。特にここしばらくは仕事のかたわら、先読みの力の返納や、皇族の離婚に関する法律などについて何日も徹夜で資料を漁っていたから。


 早くイレーネを離婚させてやりたい。

 皇帝のそばにいては幸せになんてなれない。

 そう思っていた。


 しかし昨日、イレーネを見舞うために白麗宮に行った際、侍女から信じられない話を聞いた。まさか、あの皇帝が一晩中イレーネのそばについて見守っていただなんて。


 皇帝はイレーネを嫌悪していたはずではないのか?

 これまであれほど冷たくあしらっていたというのに、今さら何のつもりだろう。

 先読みの力の偉大さを知って、イレーネが惜しくなったのだろうか。


(……本当にクズだな)


 皇帝に対して不敬だろうが何だろうが関係ない。

 イレーネの能力を知った途端、手のひらを返したように大切にし、あれだけ寵愛していた愛人をいとも簡単に切り捨てるなんて下劣と言うほかない。


 イレーネはたとえ先読みの力がなかったとしても、素晴らしい女性だ。真面目で努力家で優しく思いやりにあふれ、誰からも冷遇を受ける謂れはない。


(どうせイレーネに先読みの力がなければ相手にもしないくせに)


 やはり、イレーネにはなるべく早く先読みの力を返納してもらわなくてはならない。そうでなければ、皇帝との繋がりを断ち切ることは不可能だろう。


 そう決意を固めると、寝室のドアをノックする音が聞こえた。


「リシャルト様、イレーネ様がお見舞いに来てくださいました。お部屋にお通ししてもよろしいですか?」

「イレーネが見舞いに……? もちろんすぐに案内してくれ」


 ベッドに入ったまま軽く身だしなみを整えていると、すぐにまたノックの音がして、今度はイレーネが部屋に入ってきた。


「お兄様、お身体は大丈夫ですか?」


 愛する妹が美しい眉を寄せ、心配そうな眼差しをこちらに向けてくれている。その姿を見ただけで、リシャルトは憂鬱な気分や息苦しさから解放された心地がした。


「わざわざ来てくれてありがとう。イレーネの姿を見たらだいぶ良くなったよ」

「お兄様ったら……。こんなときまで私を気遣ってくださらなくて大丈夫です。ああ……顔色があまりよくありませんね。寒気などはありませんか?」

「大丈夫だよ。きっと溜まっていた疲れが出てしまったんだと思う。一日ゆっくり休めば回復するさ」

「そうだといいのですが……。今日はしっかり休んでくださいね」

「分かったよ。でも、せっかくイレーネが訪ねてきてくれたのに寝てしまうのは勿体ないな」

「大丈夫ですよ。陛下に一日だけ外泊の許可をいただいたので、今日はこちらに泊まっていく予定です」

「えっ、そうなのか……?」


 予想外の返事にリシャルトは驚いて目を見張った。

 皇帝が外泊の許可を出すだなんて、以前の彼からは考えられない。


(やはりイレーネの気持ちを引き留めるために待遇をよくしようとしているんだろう)


 姑息な手に腹が立つが、もしかするとイレーネは皇帝の心変わりを嬉しく思っているかもしれない。きっとまだイレーネは皇帝への気持ちを完全に捨て去ることはできていないだろうから。


「……皇帝陛下はイレーネへの態度を改めたようだな。イレーネはどう思う?」

「そう、ですね……たしかに少しお変わりになったようです。私が先読みの力で多少はお役に立てたからでしょうか」


 イレーネが何かを思い出す素振りをしながら微笑んだが、その笑顔はどこか寂しげに見え、皇帝に想いを残しているのは明らかだった。


「──イレーネはまだ陛下を愛しているのか?」


 リシャルトが尋ねると、イレーネの眉がわずかに動いた。


「……いえ、もう気持ちに区切りはつけましたから」


 イレーネはそう返事したが、誰が素直に信じられるだろうか。こんなに切なそうな顔をして、「愛していない」の一言も言えずにいて。


(なぜそんなにも皇帝を想っているんだ?)


 イレーネは皇后の地位にしがみつこうとしているのではない。ただ皇帝その人──オリフィエルという男を愛し続けている。


(なぜ皇帝なんだ? あの男より僕のほうがよほどイレーネを愛して──)


 そこまで考えて、リシャルトはどくんと心臓が波打つのを感じた。


 自分は今、何を考えていた?

 皇帝よりも自分のほうがイレーネを愛していたらどうだというのか。

 まさか自分こそがイレーネに想われ、愛されるべきだと?

 兄としてではなく、彼女の伴侶として?


(そんなはずない……)


 恐ろしい考えに全身の血の気が引いていく。

 イレーネのことは妹として愛しているはず。

 血の繋がりはなくとも、自分が守るべき家族として。


「お兄様、大丈夫ですか? さっきより具合が悪そうに見えますが……」


 イレーネが心配そうにリシャルトの顔を覗きこむ。

 美しく整った顔が近づいてきて、その綺麗な朝焼け色の瞳に吸い込まれそうになってしまう。


「……そうだな、少し眠ったほうがよさそうだ」

「それがいいと思います。では、私はしばらく下がっていますので、ゆっくりお休みになってくださいね」


 労るようにリシャルトの手を優しく握ったあと、イレーネが席を立って部屋を出ていく。

 彼女の手が離れてしまった寂しさを耐え難く思いながら、リシャルトは再びベッドに横たわり、静かに目を閉じた。


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