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28. 目覚め

 翌朝、まだ眠りについたままのイレーネの顔を拭きながら、キーラは現在の状況について考えていた。


 キーラはコルネリアに嵌められて彼女の手駒とならざるを得なかった。


 皇后であるイレーネの秘密を探って離婚に至らせるため、あるいはイレーネを毒殺するために白麗宮の侍女となり、イレーネの信頼を得てお付きの侍女となった。


 さらに親しくなれるよう哀れなイレーネの心に寄り添い、何か情報を入手できればコルネリアに密告して、皇帝と皇后の間に亀裂を入れられるよう努めた。


 コルネリアの言うことを聞かなければ、でっちあげの窃盗の罪によって、この手を斬り落とされてしまうから。自分の身を守るためには、そうするしかなかったから。


(……でも、本当にそれでいいの?)


 イレーネの侍女になってから、心を殺して仕事をしてきた。

 コルネリアの操り人形となった自分には、皇后付き侍女としての誇りなんて持つことはできなかったし、そんな資格もなかった。ただコルネリアから与えられた使命を果たすためだけに働いていた。


(──そのつもりだったのに……)


 イレーネは侍女を大切にする人だった。


 公爵家の侍女たちはみなイレーネのために誠心誠意仕えているし、はじめは対立していた白麗宮の侍女もそれを見習い、次第にイレーネの世話を丁寧にするようになった。だからイレーネも少しずつ彼女たちに心を開き、白麗宮の空気も穏やかで柔らかいものになっていった。


 イレーネはキーラにももちろん優しかった。

 キーラの仕事ぶりを認めて感謝を伝えてくれた。

 キーラを信じて自身の弱いところを見せてくれることさえあった。


 それはつまり、キーラがコルネリアの命令に十分応えられているということだった。だから喜ばしいことであり、このまま務めを果たしていけば大丈夫だと安心していいことのはずだった。


(それなのに、どうしてこうも苦しいんだろう……)


 イレーネの優しさを、感謝の言葉を、コルネリアの操り人形としてではなく、イレーネの侍女として心から喜びたい。

 保身のためではなく、自分もほかの侍女たちのようにイレーネのために心を込めて仕えたい。


 いつのまにか、そんな気持ちが芽生えてしまった。


 でもキーラはイレーネを裏切ってきた人間だ。

 今さら改心したからといって罪が許されるわけではない。

 それに、やっぱりまだコルネリアが恐ろしくもある。


(でも……操り人形をやめるなら今じゃないかしら)


 コルネリアは今、皇宮への出入りを禁じられているらしい。

 それはすなわち皇帝への接近を拒まれているということだ。


 そして皇帝はコルネリアを拒みながら、イレーネの心配をして毎日白麗宮へ通っている。


(昨日だって一晩中イレーネ様のそばについて、様子を見守っていた)


 皇帝がイレーネを見つめる眼差しは、以前彼女に夜会の参加を命じたときのような、怒りに満ちた険しいものではなかった。むしろイレーネを恋しく思っているようにさえ見えた。


 皇帝に何があって、どんな心境の変化があったのかは分からない。しかし彼の心がコルネリアから離れ、イレーネへと傾いているのは明らかだ。


 だからきっとコルネリアもこれまでのように好き勝手振る舞うことは難しいはず。それに、イレーネが先読みの力で国民を救ってみせた今、それとは正反対の「処刑」を行おうとすることは考えにくい。


(……そうよ、あんな悪女のために自分まで腐った人間になりたくない)


 自分は今、皇后の侍女。

 何よりも大切にすべきは主人であるイレーネ。


(必ずイレーネ様を守って幸せにしてみせる)


 キーラの胸に、失ったはずの情熱と誇りが戻ってきた。

 


◇◇◇



 オリフィエルが白麗宮を去ったあと、それと入れ違いにリシャルトがやって来た。


 キーラの案内でイレーネの部屋を訪れたリシャルトは、ベッド脇の椅子に腰掛けると、目の前で眠り続ける義妹の手にそっと触れた。


 薄くて細い、繊細な手。

 こんな華奢な身体で何日も眠っていて大丈夫なのだろうか。


 早く目覚めてほしいと思いながらイレーネの手を握りしめる。するとその直後、イレーネの手がぴくりと動いたような気がした。


「イレーネ……?」


 期待を込めた声で呼びかけると、イレーネの美しく繊細な睫毛がかすかに震え、彼女の目に朝焼け空の色がゆっくりと広がった。


「──お兄様……?」

「イレーネ……。目を覚ましてくれてよかった……」

「心配をかけてごめんなさい。今回はどれくらい眠っていたのですか?」

「今日で六日目だよ。いつもより少し長かったね」

「そうですね……ちょっと疲れていたのかもしれません」

「うん、仕方ないよ。ああそうだ、喉が渇いただろう。何か飲み物を持ってきてもらおう」

「ありがとうございます」


 侍女を呼ぼうとリシャルトが立ち上がると、手を離されたイレーネがリシャルトを見上げて笑顔で尋ねた。


「実は眠りについている間、誰かがずっと手を握っていてくれた気がしたのですが、お兄様だったのですね」

「……いや、僕は今来たばかりだが」

「本当ですか? では私の勘違いですね」

「そうみたいだね」


 リシャルトは穏やかな笑みを見せると、「そういえば」とイレーネに問いかけた。


「先読みのとき、何か神界に繋がっていそうなものは見つかったかい?」

「……今回は見つけられませんでした」

「そうか……」

「ですが、また次回探してみます」

「うん、次は見つかるといいね」


 リシャルトがイレーネの頭を優しく撫でる。


「そうだ、飲み物のほかに食べ物もいるね。何か食べたいものはあるかな?」

「では、柔らかいパンと果物が欲しいです」

「分かった。料理人に伝えてくる」

「えっ、お兄様がですか? 呼び鈴で侍女を呼べば……」

「いいんだ。ほかの用事もあるから」


 そう言って、リシャルトはまたイレーネの頭を撫で、そのまま部屋を出ていった。


***


「──もしかして、さっき皇帝陛下が来ていたのか?」


 部屋の外で待機していた侍女にリシャルトが尋ねる。

 真面目で堅物そうなキーラという侍女は、表情を変えることなく淡々と答えた。


「はい。昨日いらっしゃったあと、朝までイレーネ様に付き添われ、リシャルト様がお越しになる少し前に帰られました」

「……陛下はイレーネを心配している様子だったか?」

「毎日様子を見に来られていますので、とても心配なさっているかと。以前はイレーネ様を『皇后』と呼ばれていましたが、今は名前で呼んでいらっしゃいますし、イレーネ様を大切に思われているように存じます」

「そうか……」

「それと、すでにご存知とは思いますが、コルネリア様が皇宮への立ち入りを禁じられたようです。もしかすると、皇帝陛下はイレーネ様との仲をやり直そうとお考えなのかも──」

「もういい。イレーネが目覚めたから世話してやってくれ。僕は厨房に行ってくる」

「……かしこまりました」


 イレーネが目覚めたと聞いた侍女は、すぐにイレーネの部屋に入っていった。リシャルトも厨房のある一階へと続く階段を下りていく。


 足下からじわじわと這い上がってくるような、得体の知れない不安に気づかないふりをして。

 どこからか湧き出てくる暗い感情に飲み込まれないように、なんとか平静を保ちながら。


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