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27. 変化

 それから二日後。

 イレーネが言ったとおり、レダニス街道が崩落した。


 しかし、イレーネから伝えられた情報とオリフィエルの指揮による対策で被害は最小限に抑えられた。


「イレーネ様の先読みのお力は流石だな」

「イレーネ様に視ていただかなければ、今頃どれだけの被害が出ていたことか」

「やはり国を守るために先読みの力は欠かせない」

「今後も皇后の座に就いていただくのがよいのではないだろうか」


 天災を言い当て、その対策まで的確に示してくれたイレーネに、人々は手のひらを返すように賛辞を送り始めた。


 これまでコルネリアが作り上げてきた離婚の空気も瞬く間に薄まり、コルネリアが皇后になればイレーネはもう先読みの力を使ってくれなくなるのではと不安を煽る話も聞こえてくるようになった。



◇◇◇



 皇后宮の寝室で、コルネリアは飲んでいた紅茶のカップを苛立たしげにソーサーに置いた。ガチャンと激しい音が鳴って、皇后宮の侍女がびくりと肩を揺らす。


 しかし、そんな他人の反応など欠片も気にする様子なく、コルネリアはテーブルの表面を指先でトントンと忙しなく叩きながら、己の地位を守るための策について考えを巡らせていた。


(まずいわ……。どうしてこんなことになってしまったのかしら……)


 ここ数日で、コルネリアを取り巻く情勢はすっかり変わってしまった。


 イレーネが先読みの力を使い、天災から国民を守ったため、イレーネに皇后として居続けてもらうべきだとの声がわずか数日で急激に高まったのだ。


 これではたとえコルネリアが皇后になれたとしても、多くの国民の不満の的になってしまいかねない。


 そして何よりも問題だったのは、皇帝オリフィエル──コルネリアの絶対的な味方であり、誰よりも力のある後ろ盾であり、皇后即位のための正当な理由であるはずの彼が、コルネリアを避けているという事実だった。


(単なる勘違いではないわ。オリフィエル様は確実にわたくしを避けている……)


 オリフィエルが突然倒れたあの日以来、彼への接近を拒まれ、皇宮への立ち入りも禁じられている。


(なぜなの? どうして突然こんな仕打ちを……?)


 オリフィエルに薔薇の花束を贈ったときはまだ普通だった。

 おかしくなったのは、イレーネからゴミのような贈り物が届き、コルネリアがイレーネの浮気相手の名前を口にした直後からだ。まさか、イレーネの浮気がそれほど衝撃だったとでもいうのだろうか。


(そんなはずないわ……。だってわたくしはオリフィエル様の大事なエレンなのだから)


 そうだ。最愛のエレンよりもイレーネを選ぶなんてこと、あるはずがない。今の冷遇は、きっと悪いタイミングが重なっただけのこと。


 しばらくはしおらしく皇后宮に閉じこもり、折を見てオリフィエルの情に訴えれば、すぐ元通りになるはずだ。


(大丈夫よ、きっと大丈夫──)


 コルネリアはすっかり冷めてしまった紅茶をごくりと飲み干した。



◇◇◇



 街道の崩落から早三日。

 オリフィエルは災害の後始末に追われていたが、今必要な指示をすべて出し終えると、執務室を急いで後にした。


(イレーネはもう目覚めただろうか……?)


 彼女が意識を失ってもう五日が経っていたが、あれから目を覚ましたという報告はまだ入ってきていない。


 公爵家の侍女は数日で目覚めると言っていたが、これはさすがに長すぎるのではないだろうか。

 もしこのまま目覚めなかったら。オリフィエルが離れている間に何かあったら。そう考えると胸が騒いで、ずきずきと痛んで、居ても立っても居られなかった。


 イレーネを失うなんて考えたくもない。

 この手から離れていってしまうなんて、あっていいはずがない。


(まだ彼女が本当にエレンなのかどうかも確かめられていないのに……)



 白麗宮の寝室に到着すると、イレーネはまだベッドの上で目を閉じていた。


 まるで人形のように美しく静かに眠っているので、つい息をしていないのではと恐ろしくなってしまうが、胸がかすかに上下しているのを見てようやく安心する。


(……そういえば、これまではイレーネの寝顔を見ることなどなかったな)


 自分の妻であるのに、寝所を共にしたことは今まで一度もなかった。だからこんな風に無防備に横たわるイレーネを見るのは初めてだ。


 見慣れない彼女の姿を眺めていると、胸の奥から罪悪感が込み上げてくる。


 初夜からずっとイレーネはこうして一人きりでベッドに入っていたはずだ。オリフィエルが頑なに同衾を拒んでいたから。


(そなたは毎晩、何を思って眠りについていたのだろう……)


 オリフィエルの訪れを祈る夜もあっただろう。

 愛人と共にいるのを悟って涙することもあったかもしれない。


 イレーネがどんな気持ちで夜を過ごしていたか、まったく考えたことがないわけではない。きっと傷ついているに違いない、これも天罰だと思ったことさえあった。


 しかし、本当に天罰が下ったのはイレーネではなく、己自身かもしれない。


「──イレーネ、そなたがエレンだったのか……?」


 深く眠る彼女の顔を眺めていると、どこかエレンの面影があるように思えてくる。イレーネの色彩はエレンとはまったく違うというのに。


 もしやイレーネの髪と瞳は元々この色ではなかったのだろうか。そんな考えが頭をよぎるが、真実は分からない。今までイレーネのことは憎く思うばかりで、彼女の過去を知ろうとしたことなどなかった。


「そなたともっと話すべきだった……」


 今さらそんなことを思うなんて都合がよすぎるのは分かっている。浅はかで愚かな男の戯言だと。


「……もしそなたがエレンだったとしたら──私は自分を許せない」


 真実を知るのが恐ろしい。

 しかし、真実を知らないままでいるのも恐ろしい。


 だから、イレーネが目覚めたら話をしよう。

 すべてを明らかにするために……。


 オリフィエルはほのかに温かいイレーネの手をそっと握りしめると、彼女の目覚めを神に祈った。


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