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25. 動き出す歯車

 部屋の私物の整理をしていたイレーネは、義兄リシャルトからの手紙の封筒を手にしたまま物思いに耽っていた。


 先日の夜会でリシャルトが言っていた「先読み」の力をなくす方法。あの話は本当なのだろうか。


『かなり昔の古文書に「先読み」の力について書かれていた。なんでもこの力は、未来を司る神の力を分け与えられているらしいんだ。だから力を手放すには、神に返納すればいいんだと思う』

『神に返納……? でもどうやってそんなことが……』

『古文書によれば、先読みの力を行使する際、神界に接触しているらしい。そのときに神に会えるかもしれない』


 古文書に書いてあったとはいえ、事実かどうかは分からないし、すべて憶測に過ぎない。でも、本当に神と接触し、力を返納することが可能なのであれば、きっと今度こそオリフィエルと離婚して皇后の座から退くことができるだろう。


(今度「先読み」の力を使うときが来たら探ってみなくては……)


「イレーネ様、どうなさったのですか?」


 考え込んでしばらく手が止まっていたからか、キーラが気遣わしげに声をかけてきた。


「大丈夫ですか? 少し休憩されますか?」

「あ……そうね、一旦休憩しようかしら」

「それがよいと思います。お茶の用意をいたしますね」

「ありがとう、お願いするわ」


 キーラが淹れてくれたお茶は温かく、一緒に出されたクッキーもちょうどいい甘さで気持ちが落ち着く。


「ねえ、キーラ」

「はい」

「これから少しずつ持ち物を整理しようと思うの。要らないものは処分してしまおうと思って。あなたも手伝ってくれるかしら」

「かしこまりました。いつでもお申し付けください」


 キーラの返事にイレーネが微笑む。

 アンナたち公爵家の侍女も頼もしく心強い存在だが、キーラは人の心の機微に敏感なのか、イレーネの些細な変化にもすぐに気づいて、さりげなく寄り添ってくれる。


「キーラ、いつもありがとう。白麗宮であなたに出会えてよかったわ」

「……勿体ないお言葉です」


 オリフィエルと離婚したら、当然この白麗宮も去ることになるから、キーラともお別れだろう。仕方のないことだが寂しくなってしまう。


(何か別れの贈り物を用意しないと)


 彼女の仕事ぶりに対する感謝と惜別の想いを込めて。キーラなら、きっと喜んで受け取ってくれるだろう。


(別れの贈り物といえば……)


 ふと思いついたイレーネが寂しそうに眉を下げる。


(──陛下にもお贈りしましょう)


 オリフィエルはきっと喜んではくれないだろう。

 彼はイレーネから何か贈られるのを心底嫌がっていたから。


 でも、この最後の贈り物は彼のためのものではない。だから拒否することなく受け取ってほしい。そのあとすぐに捨てたとしても構わないから。

 

(これできっと陛下への未練を断ち切れるはず……)



◇◇◇



「オリフィエル様、今日温室で花束を作ってきましたの。オリフィエル様のことを想って花を選びました。どうぞお部屋に飾ってください」


 オリフィエルの執務室にやって来たコルネリアが、両手で真っ赤な薔薇の花束を差し出す。


「24本の薔薇の意味をご存知ですか? 『一日中想っています』という意味です」


 目の前に差し出された薔薇の花束を見つめながら、オリフィエルは幼い頃エレンから買った野花の花束のことを思い出した。


 名も知らない花ばかりだったが、だからこそ花束に込められた真心を感じることができた。二人で花畑に行ったとき、エレンに花束を作って渡したくなったのは、自分も同じように真心を形にしてエレンに捧げたくなったのだと思う。


(コルネリアはあの日のことをあまり覚えていないようだが、私にとっては特別でかけがえのない思い出だ)


「……ありがとう」


 コルネリアに感謝を伝えて花束を受け取ると、執務室の扉をノックする音が響いた。


「失礼いたします。今、白麗宮のイレーネ様から陛下宛に贈り物が届いたのですが……」


 侍従の報告にコルネリアが溜め息をつく。


「せっかくの二人きりの時間だったのに、邪魔が入ってしまいましたわね。急いで見るものでもないでしょうし、後回しにして──」

「今、持ってきてくれ」

「はい、かしこまりました」

「っ! オリフィエル様、どうして……」


 扉が開いて侍従が中に入ってくる。

 コルネリアが眉をひそめ、不満げな眼差しで見つめてきたが、オリフィエルの意識はイレーネからの贈り物に向けられていた。


(イレーネが私に贈り物だと? 何の記念日でもないのに一体どういうつもりだ?)


 侍従が持ってきたのは、小さな籠だった。何も装飾がされていない、至って簡素で実用的な籠。そして、その中に入っているものを目にした瞬間、オリフィエルは言葉を失った。


(これは……この花束は──……)


 そこにあったのは、あの日の花畑でオーウェンがエレンに贈ったのと同じ、黄色い野花の花束だった。


(これをなぜイレーネが……)


 呆然と立ち尽くすオリフィエルの横で、コルネリアがぷっと笑い声を漏らした。


「まあ! 何ですの、このみすぼらしい花束は! これがオリフィエル様への贈り物ですって?」


 よほど可笑しかったのか、まだ笑い声をあげている。

 そのあからさまに馬鹿にしたような態度に、オリフィエルは全身が氷のように冷えていくのを感じた。


 コルネリアはなぜこの花束を見て嘲笑っているのだろう。本当にあの日のことをすっかり忘れているのだろうか。

 いや、それよりも……。

 なぜイレーネがこの花束を?

 単なる偶然?

 そんなことがあり得るのか──?


 頭の中が酷く混乱したまま固まっていると、コルネリアは堪えきれない様子で口の端を歪めて笑んだ。


「こんなものを贈ってくるなんて、今さらオリフィエル様への当てつけのつもりでしょうか。こんなことをしても、オリフィエル様は何とも思われないというのに。それに、イレーネ様だって浮気をなさっているのに、オリフィエル様だけを責める筋合いなんてないはずですわ」

「……なんだと? イレーネが浮気を……?」

「ええ、そうなんですの。白麗宮の侍女がわたくしにこっそり教えてくれました。夜中にオリフィエル様ではない殿方を恋しがって名前を呼ばれていたと……」

「誰なんだ、その男は」


 オリフィエルの問いに、コルネリアが己の間者──キーラから報告された男の名前を告げた。


「その男の名は、オーウェンです」



◇◇◇



 オリフィエルへの贈り物を頼んだあと、イレーネは白麗宮のバルコニーでそよ風に当たりながら、空に浮かぶ雲を眺めていた。


「……陛下は覚えていらっしゃるかしら」


 あの日、花畑でエレンに野花の花束を贈ってくれたことを。

 もしかすると、彼は覚えていないかもしれない。

 イレーネにとっては特別な思い出でも、彼にとっては覚えておくに値しない過去の一日だったかもしれない。


 でも、別にもう覚えてくれていなくたっていい。

 あの花束は、彼に思い出してほしくて贈ったものではないから。イレーネがあのときのエレンだと分かってほしくて贈ったのではない。


 ただ、あの花束をもらったときに芽生えた彼への気持ちを、同じ花束に込めて手放したかっただけ。


「さようなら、オーウェン様……」


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