2. 生誕祭
二日後。この日は朝から雲ひとつない晴れ空で、まるでイレーネの誕生日を祝福してくれているようだった。
午後からは皇后の生誕祭が行われるため、この日ばかりは皇后宮の侍女たちもイレーネの身支度に真面目に取り組んでいる。普段は見下している平民上がりの皇后とはいえ、こうした式典にみすぼらしい格好で送り出せば皇帝に恥をかかせることになるからだ。また皇后宮の使用人の威信にも関わるため、今日の侍女たちはいつものように手を抜くことはなく、イレーネを皇后らしい装いへと仕立てあげた。
「お支度が整いました」
よくお似合いです、お綺麗です。そんなお世辞の一言もなく仕事の終わりを告げられる。どことなく虚しい気持ちになるが、これも普段どおりのこと。いちいち気にしていては心が擦り減るだけだ。イレーネは平常心を保って鏡に映る自分の姿を見つめる。
鏡に向かうとき、いつも真っ先に確認してしまうのは自分の髪と瞳だった。白色にも銀色にも見える銀雪の髪に、朝焼けの空のような紫色の瞳。この色彩を持つのは帝国でイレーネのみ。
それはイレーネが唯一の特別な存在であることの証と言えたが、同時に誰とも分かち合えない孤独な存在であると突きつけられているようで、いつも埋められない心細さを感じていた。
特に今日はその特別な髪と瞳がやけに目立って感じられる。
(緊張しているのかしら……落ち着かないと)
ドレスも宝石も皇后らしい気品が感じられる最上級の装いで、身だしなみは完璧だ。これならオリフィエルの隣に立ってもみすぼらしく思われることはないだろう。
(大丈夫。今日はきっと素敵な日になる)
イレーネが背筋を伸ばして侍女に命じる。
「では、会場に案内してもらえるかしら」
◇◇◇
オリフィエルがイレーネを迎えに来ないことは分かっていた。そのため侍女とともに会場へと向かったのだったが、皇族専用の入口の前に着くと、そこにはすでにオリフィエルの姿があった。
(私より先に来て待っていてくださったのね……)
それだけで心が震えるほど嬉しい。
「オリフィエル様、お待たせして申し訳ございません」
「……手を」
オリフィエルがイレーネの手を取り、エスコートをしてくれる。久々に触れる彼の手はとても大きくて、手袋越しに感じる温もりに胸が高鳴った。
誕生日を祝う言葉をかけてもらえなくてもいい。晴れの日の装いを褒めてもらえなくてもいい。ただこうして手と手を触れ合えるだけで寂しかった心が満たされる。
(衣装も私とお揃いみたい)
オリフィエルの正装もイレーネと同じロイヤルブルーの生地が使われていて、デザインもよく似ている。そんなこともイレーネにとっては嬉しかった。
オリフィエルの顔を見上げれば、艶のある柔らかな黒髪を今日は片側だけ後ろに撫でつけていて、とても色っぽく見える。宝石よりも美しい彼の赤い瞳は、横顔でさえ人を惹きつける輝きを放って見えた。
(私、幸せだわ……)
自然と笑顔が浮かぶのを感じていると「皇帝陛下、皇后陛下のご入場でございます!」という声とともに目の前の扉が開いた。
会場には大勢の貴族たちが集まってくれていた。イレーネはそんな彼らを見回しながら、この場にオリフィエルの愛人──コルネリアがいないことに胸を撫で下ろす。
「本日は私のためにお集まりいただきありがとうございます。皇帝陛下の大切な臣下の皆様に祝っていただけて嬉しく思います」
挨拶と感謝の言葉を伝えると会場中から拍手が返ってきた。中にはしらけた表情の人々もいるが、平民上がりの皇后を不服とするいつもの顔ぶれなので気にしないほうがいいだろう。
オリフィエルと揃って椅子に座ると、来賓の貴族たちが挨拶や祝福のために次々とやって来た。きっと彼らも本音ではイレーネを皇后と仰ぐのは不満なのだろうが、表面上は礼を尽くしてくれている。イレーネは感謝の気持ちを抱きながら、一人ひとり丁寧に応対した。
そうして、次の人に挨拶をしようと顔を向けたとき、馴染みのある優しい笑みが目に入った。
「皇后陛下、この度はお誕生日おめでとうございます」
「リシャルトお兄様!」