14. 離婚のために
数日後、リシャルトがまた花束を抱えて白麗宮を訪れると、イレーネからオリフィエルの訪問について聞かされた。
「皇帝が離婚を拒否した?」
信じられない話に思わず目を見開く。
それでは、例の新聞に書かれていた内容は何だったというのだろう。
あの記事では、皇帝とコルネリア・レインチェス伯爵令嬢がいかに愛し合っているかがさまざまなエピソードとともに語られていた。さらに、イレーネは貴重な力を持っているがゆえに先帝の命で皇后になれたに過ぎず、皇帝とは白い結婚であるため皇后の座は相応しくないと糾弾するような文言さえあった。
(ゴシップ紙に近い新聞だから誇張はあるとしても、皇帝に離婚の意思があるのは確かだろうと思ったんだが……)
それなのに「離婚は許さない」と明言するなんて不思議でならない。しかもイレーネが離婚しても構わないと言っているというのに。
「やはり、イレーネが持つ『先読み』の力を所有しておきたいからだろうか?」
「はい、そう仰っていました」
「そうか……」
自分は愛人に皇后宮まで与えて寵愛し、何の罪もないイレーネをこれだけ苦しめておきながら、彼女の力まで搾取しようだなんて、それこそ到底許せるものではない。
イレーネと出会えたのはこの『先読み』の力のおかげであるが、イレーネを鎖のように縛り上げて苦しめているのもまたこの力なのだと思うと、なんとも歯痒かった。
(初めからこんな力を持っていなければ、イレーネはもっと自由に生きられたのだろうか……)
ふとそう思ったとき、あることが気になった。
「イレーネに『先読み』の力がなければ、皇帝と離婚できるということか……?」
「え?」
「いや、皇帝はイレーネの力を皇室に留めるために離婚はしないと言っているんだろう? それなら、イレーネがその力を失えば離婚に応じてくれるんじゃないか?」
「たしかに……。でも、力を失うなんてどうすれば……。そもそも、私が力を授かった理由もよく分からないので」
イレーネは実母を亡くしたあと、望んだわけでもないのに突然力に目覚めたのだという。自らの意志で力を使うことはできるが、どうすれば力を手放せるかは見当もつかないと首を振った。
「そうだね、おそらく前例もないだろう。もしかすると無理なことかもしれない。でも、可能性がないとは言えない。だから僕が調べてみてもいいかい?」
もしイレーネから先読みの力をなくすことが可能なら、これからは皇帝に縛られることなく平穏な生活を送れるはずだ。
そう伝えると、イレーネはほんの少しだけ寂しそうに睫毛を伏せたあと、朝焼け色の瞳をリシャルトに向けて口を開いた。
「──はい、よろしくお願いします」
◇◇◇
「コルネリア様、あの新聞記事読みましたわ」
「もうすぐコルネリア様が皇后になられるんですのね」
「すでに皇后宮まで与えられていらっしゃるんですもの。もう実質コルネリア様が皇后陛下のようなものですわ」
「あの麗しい皇帝陛下の寵愛を一身に受けられているなんて、本当に羨ましいですわ」
取り巻きの令嬢たちの賞賛を浴びながら、コルネリアは優雅ににっこりと微笑んだ。
「ふふっ、皆さんありがとうございます。わたくしもオリフィエル様と早く結婚できたらどんなに嬉しいことか……。でも、イレーネ様がなかなか離婚の話し合いに応じてくださらないので、まだ時間がかかりそうなんです」
「まあ、元孤児のくせになんて身の程知らずなのかしら!」
「そうよ、今まで二年間も不相応な地位にいられただけで感謝すべきなのに」
イレーネに次々と怒りの言葉が向けられることに溜飲を下げながら、コルネリアはその新緑の瞳にうっすらと涙を浮かべた。
「わたくしのために怒ってくださってありがとうございます。でも、イレーネ様のお気持ちも分かるのです。きっと、皇后の座を失ってしまったらどうなるのか不安で仕方がないのでしょう。ですから、わたくしはイレーネ様の気持ちが落ち着かれるまで寄り添いながら待つつもりですわ」
「コルネリア様……なんてお優しい……」
コルネリアの健気な態度にもらい泣きした令嬢たちが、そろってハンカチで涙を拭う。その様子を満足そうに見つめながら、コルネリアは先日のオリフィエルとの言い争いを思い出した。
***
『本当にイレーネ様と離婚はしないと仰ったのですか、オリフィエル様?』
白麗宮の侍女から報告を受けたコルネリアは、耳を疑った。
(嘘よ、オリフィエル様はわたくしを愛しているのだから、イレーネと離婚したくてたまらないはずでしょう?)
だから彼が離婚に踏み切りやすい空気を作るため、家族に頼んで例の記事を新聞に載せてもらった。あの記事がイレーネの目にも入れば、打ちのめされてボロボロになり、オリフィエルもさらに嫌気がさすだろうと思った。
(なのに、オリフィエル様がわざわざイレーネを訪ねて離婚は許さないと言ったなんて、聞き間違いに決まっているわ)
だからオリフィエルに真相を聞こうと尋ねたのに、彼の答えは侍女の言ったとおりだった。
『ああ、言った』
『……っ! なぜですか!? わたくしと結婚するつもりはないということですか!?』
オリフィエルの返事を聞いた瞬間、頭にカッと血が昇るのを感じた。この期に及んで、まだ愛人の座に甘んじなくてはならないことに酷くプライドが傷ついた。
うっかり声を荒らげてしまい、オリフィエルは少し驚いたようだったが、彼はコルネリアの激情に流されることなく、冷静に理由を説明した。
『皇室には彼女の持つ「先読み」の力が必要だ。これまで国が栄えた時代はすべて「先読み」の力を持つ者を皇族の伴侶としていた。離婚すれば他の者に奪われる可能性がある』
『そうかもしれませんが、皇室以外のために力を使ってはならないと念書を書かせて離婚なさればよろしいではないですか!』
『念書なんて書かせたところで口約束と変わらない。行方をくらませられては力を使わせることもできなくなる。それに仮にも彼女は公爵家の娘。イレーネが皇后である限り、公爵家は皇室に従わざるを得ない。いわば彼女は人質なのだ』
『でも、わたくしとの結婚は!? わたくしは皇后にはなれないのですか……!?』
『コルネリア……私も辛いんだ。だが、私の気持ちを示すためにそなたに皇后宮を与えた。今はこれで我慢してくれ。私はこうしてそなたと触れ合えるだけで嬉しい』
(──あなたはそうかもしれないけれど、わたくしはそんなことより皇后の座を手に入れたいの)
コルネリアの身体を抱きしめるオリフィエルの背に、無感動な表情で手を回しながら考えを巡らす。
(離婚しないなんて許さない……。それならどうしても離婚せざるを得ない理由を見つけてやるわ)
本当はイレーネが死んでくれるのが一番手っ取り早いが、今彼女が亡くなれば真っ先に疑われるのは愛人である自分。だから、まずは離婚させることを第一に考えるべきだろう。
(イレーネは元平民の卑しい女。少し探れば何かとんでもない問題が見つかるはず──)
***
儚げな外見とは裏腹にしぶとく皇后の座に居座るイレーネが目障りで仕方ない。
コルネリアは取り巻きの令嬢たちの同情を誘い、悲恋の主人公を印象づけながら、白麗宮の彼女は上手く動いてくれているだろうかと思案した。




