13. 再びの来訪
「イレーネ様、お休みのところ申し訳ございません。皇帝陛下がイレーネ様と話されたいとのことで……」
「分かったわ。大丈夫だからあなたは下がってちょうだい」
アンナが深々と頭を下げて辞去したあと、イレーネはベッドから降りて高貴な客を招き入れた。
「どうぞお入りください、オリフィエル様」
オリフィエルは返事もなく部屋に入ると、勝手知ったるようにソファに腰を下ろした。イレーネもショールを羽織って向かいのソファに静かに腰掛ける。
「このような格好で失礼いたします。今夜は早めに休んでしまっていたので……」
身支度の至らなさを謝罪したが、それについてもオリフィエルは何も言わなかった。
「それで、私とお話になりたいというのは、どのようなことでしょうか?」
イレーネを訪ねてきたのに未だ無言のままのオリフィエルに用件を尋ねる。彼の様子を見るに、おそらく何かに腹を立てているのだろう。相当機嫌が悪そうだ。きっとイレーネに苦言を言いに来たのだろうが、何が彼の気に障ったのか見当がつかない。
(でも、おかしなものね……。皇后宮にいたときは私の元へ足を運ぶことなんてまったくなかったのに、こうして白麗宮に追い出されてから何度も訪ねていらっしゃるなんて)
訪問の理由はいずれも喜ばしいものではないが、少なくともイレーネに対してまったく無関心というわけではないと思うと、妙な安堵を感じる。
オリフィエルが用件を言い出すのを静かに待っていると、ようやく彼が口を開いた。
「──私と離婚しようとしているというのは本当か?」
「えっ……?」
予想外の問いかけに、思わず子供のような反応をしてしまった。でも、本当に訳が分からなかったのだ。
(離婚しようとしているのは、オリフィエル様のほうではないの……?)
おそらく今日リシャルトが口にした言葉を白麗宮の侍女が告げ口したのだろう。それがオリフィエルの耳に入り、イレーネに説明を求めに来た。
(なんて答えればいいのかしら……)
違うと答えるべきなのだろうか。
けれど、オリフィエルはイレーネと離婚したがっているはず。イレーネを白麗宮に追い出し、コルネリアを皇后宮に住まわせているのがその証拠だ。
それに、はじめはオリフィエルと離婚なんてしたくないと思っていたが、今は正直心が揺らいでいる。もうオリフィエルと幸せになれることはないのだと認めて、別の道を歩き始めるべきなのかもしれない。
「──私は離婚することになっても構いません」
オリフィエルをその目に捉えたまま、落ち着いた声で答える。するとオリフィエルは形の良い眉を寄せ、険しい表情でイレーネを睨みつけた。
「ふざけるな、離婚など許さない」
「え……」
思わぬ返事を寄越されて、イレーネが目を丸くして固まる。
(離婚など許さない……?)
なぜ? 彼はイレーネと離婚して、コルネリアを新たな皇后に迎えるつもりではなかったのか。
それとも先代皇帝の命令は守ろうとして、こんな矛盾したことを言っているのだろうか。
オリフィエルの真意が分からず戸惑っていると、彼はイレーネを強く睨んだまま、怒りのこもった声で告げた。
「そなたの「先読み」の力は皇室のものだ。離婚して他の者にその力を手渡すわけにはいかない」
(ああ……私の持つ力を流出させたくないから……)
先ほどの予想は当たらずとも遠からず、やはりオリフィエルは皇帝の立場から皇室の力を維持するための判断として、離婚は許さないと言っているのだ。決してイレーネに未練があるからではない。
そのことが悲しく、でもおかげで彼への未練を少し手放せるような気がして、イレーネは口もとに微かな笑みを浮かべた。
「オリフィエル様のお気持ちは分かりました」
「本当か?」
「はい。今日は体調が優れないため、そろそろ休ませていただいてもよろしいでしょうか」
「……ああ、話は済んだから帰る」
イレーネへ労りの言葉ひとつ掛けずに出ていくオリフィエルを悲しい眼差しで見送ると、イレーネはベッドに倒れるようにして横たわった。
(もう終わらせるときが来たんだわ──)
◇◇◇
白麗宮からの帰り道。オリフィエルは馬車に揺られながら、湧き上がる怒りを持て余していた。
(離婚することになっても構わないだと……?)
白麗宮の侍女から、イレーネとアルテナ公爵が離婚の算段をしていると報告が届いたとき、苛立ちを抑えることができなかった。新聞の記事が出るのは仕方がないが、皇后自身が実際に離婚を考えているなど到底許しがたかった。
離婚して一体どうするつもりなのか?
別の男と結婚するつもりなのか?
(私とエレンをこれほどまで不幸にして苦しませたくせに、何の罪も償わず新しい幸せを掴む気なのか?)
愛されない妻であることに苦しんでいるなら、そのまま抜け出ることのできない地獄で苦しめばいい。自分はその対岸で、エレンとの幸せを見せつけてやるから。
オリフィエルは未だ収まらない怒りを抱えたまま、皇宮へと戻っていった。




