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1. 名ばかりの皇后

 ルディス帝国──広大なラザロス大陸の大部分を領土とし、大陸の支配者として君臨する大国。その第十五代皇后であるイレーネ・アルテナ・ルディスは、皇宮のバルコニーから夜の庭園を眺めて深い溜め息をついた。


 視線の先には月明かりに照らされた美しい赤薔薇──の横で抱き合う若い男女の姿がある。熱っぽい眼差しで見つめる女性と、彼女の頬を愛おしげに撫でる男性。彼らがそのまま顔を寄せるのを目撃して、イレーネはたまらず背を向けバルコニーを後にした。


(……きっと今夜も彼女の部屋で過ごされるんだわ)


 イレーネの銀色の瞳が涙でにじむ。このまま泣いてしまえば先ほど見た光景を記憶から洗い流せるだろうか。自分の夫、皇帝オリフィエル・レクス・ルディスとその愛人コルネリア・レインチェス伯爵令嬢が唇を重ねる光景を。


 きっとこのあと皇帝はコルネリアに与えた白麗宮へ行き、彼女と一夜を共にするのだろう。正妻であるイレーネとは初夜から二年間、一度たりとも関係を持ったことはないというのに。


 でも、こんなことでいつまでも心を痛めていてはならない。早く慣れなくてはいけない。なぜなら、元々イレーネが皇后だなんて分不相応なのだから。


 イレーネはアルテナ公爵家から嫁いだ形になっているが、本当は平民しかも孤児だった。未来を見通す「先読み」という貴重な力の唯一の持ち主だったことから、前皇帝の命令で当時皇太子だったオリフィエルと結婚することになり、それに相応しい身分とするために公爵家の養女にさせられた。要するにイレーネの力を皇室で独占し、外に流出させないための政略婚だ。


 オリフィエルにとっては平民との結婚など屈辱以外の何物でもなかっただろう。初夜を拒否するのも仕方がないし、身分の釣り合う貴族令嬢を愛人にして寵愛するのも当然だ。オリフィエルを責める気にはなれない。


 しかし、そう思っていても胸の痛みと溢れる涙を抑えることは、貴族のマナーを習得することより難しかった。


(だって、オリフィエル様のことを愛しているから──)


 彼を愛しているから、どれだけ冷遇されても離婚したいと申し出ることができない。絹糸のように細く弱い繋がりだとしても、存在している限りはその絆に縋ってしまう。イレーネさえ我慢すれば、彼と夫婦でいられるのだから。


 皇后宮の寝室に戻ったイレーネが扉を閉めて泣き伏す。涙を流すだけにしようと思ったのに、我慢していた嗚咽が漏れてしまった。これでは廊下にいる侍女たちに聞こえているかもしれない。またいつものように「みっともない」と陰口を言われてしまうかもしれない。


「平民上がりの皇后様に仕えたって不名誉でしかないわ」

「こんなことなら私も白麗宮に配属されたかった」

「名ばかりの皇后より、実際に寵愛されているコルネリア様がいいわよね」

「なんたって平民じゃなくちゃんとした伯爵令嬢でいらっしゃるし」

「コルネリア様が皇后宮に来てくださればいいのに」


 そんな聞こえよがしなお喋りを、もう幾度となく耳にしてきた。イレーネが使用人を変えてほしいと言い出せないこと、言い出したとしても皇帝が聞こうとはしないことを見越して、わざと言っているのだ。そして彼女たちの思惑どおり、イレーネは皇帝に何も伝えられていない。


(……耐えるのよ。オリフィエル様は本当はお優しい方。きっといつか私のこともちゃんと見てくださる)


 そうだ。ちょうど明後日はイレーネの誕生日。今年は夜も一緒に過ごしたいとお願いしてみよう。何もしなくていいから、ただ同じベッドで眠りたいと。


(それくらいは許していただけるはず)


 イレーネはまだずきずきと疼いていた胸の痛みをなんとか抑え込むと、涙を拭いて顔を上げた。


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